大学の授業「ヴォイス・トレーニング」
いま、まだ校長室に残って、明日の大学の授業の準備をしています。毎週木曜日は「ヴォイス・トレーニング」という授業があって、これが非常に重い責任を伴う授業なので、毎週かなり時間をかけて準備しています。
どうして責任が重いかというと、発声技術の訓練、ヴォイス・トレーニングというのは、音楽大学の声楽科の教育の根幹をなす部分であるから。まずこれが一つですね。
もう一つ、これは繊細な話でもあるのだけど、いわゆる「発声法」というものは、本当に色々な種類があって、千差万別と行っても過言ではない。だから、大学で教鞭を執ってらっしゃる先生同士でも、発声について語ると意見があわない、方向性が違う、と言う事は日常茶飯事で、これまた、悪い事ではないのです。
我々日本人は、芸術特別講座で話した事とも関係がありますが、「たった一つの正解に向かって努力をする」という面があります。そう言う傾向が強い。逆に言うと、「間違いを許容する力」が少ない。
でも発声技術というのは、色々な種類があって、それぞれがそれぞれの魅力と強みを持っている。一人一人の声が違うのと同じ事です。顔が違う様に声も違う。世界に一つだけの花です。本当に素敵なことですね。
だから、大学単位で一つの発声法を教える、と言う事は不可能に近い。でもそれを敢えてやっているのが、この授業「ヴォイス・トレーニング」です。大学一年生の選択授業です。クラーク国際高校という高校のパフォーマンスコースの皆さんも一緒に、高大連携をしている授業でもあり、このコラボの意義のために、敢えて高いハードルを越えてみよう!と言う授業なわけです。
今年2年目ですが、1年目は非常に大きな成果を上げ、今年は更にシステマチックに授業を進めようとしています。前述のように、責任が重く、また大学の色々な先生に師事している学生が混乱せず、授業の内容をレッスンにも行かせるような内容にしなくてはいけない。非常に難しい事に挑戦しています。だからこんな時間にまだ校長室・・・。
そんな時になんで校長便りを書いているかというと、先週の授業のプロトコル(記録)を見ていたら、「自分の苦手な事がどうして起こっているのか、どうして苦手なのか授業を見ていてわかり、とても大きな収穫になった。是非メンタリティとの関係も教えて欲しい」という感想があったからです。これで芸術特別講座の事、芸術特別講座の後のみんなの感想の事を思いだしたのです。
やっぱりね、音楽演奏とメンタリティの話は切り離せないな、と再認識したもんですから。また芸術特別講座の感想への感想も続けます。そろそろ授業準備に戻ります。
そう。昨日はフェイギン先生の芸術特別講座、素晴らしかったそうですね。僕は残念ながら聞けなかった。3学年揃っての芸術特別講座、とてもシリーズになってきていますね。コロナのせいで良いこともあるな、と思う1シーンでした。