ボケてボケて、つっこまない。
外国に生きることは、ときとして辛い。辛さのポイントはひとによって様々あるだろうけど、言葉の問題は母国語圏外で暮らす人みんなが一度は感じたことがあるのではないだろうか。
その土地での言葉をだいたい話せるようになったとしても、言いたいことがとっさに言えなかったりする。気持ちがうまく表現できずにもどかしい。すばやいレスポンス、機知のきいた切り返し、豊かな語彙、などなど求めるものは多く、語学習得の道は長くけわしい。
言葉の壁は、大阪に生まれ大阪で育った生粋の浪速っ子である私にとっておおきな問題である。おもしろいことが正義である大阪では、おもしろいことのひとつも言えない「おもんない奴」であることは、お金をもっていようが勉強ができようが、それだけでかなり不名誉なことである。フランス語でとっさに面白いことが言えないということは、けっこう長い間私を苦しめた。人と会って楽しい時間を過ごしたあとでも、「あーなんであのときもっとうまく返せんかったかなー」などと自分に失望する日々であった。まさかのおもんない奴になりさがってる・・・?と考えては夜も8時間くらいしか眠れなかった。
フランスでの笑いはとりわけ手ごわい。なぜならツッコミという技が使えないからである。これはフランスというか欧米全体の傾向だと思うけど、日本的な笑いと大きく違うところである。
ツッコミは安易である。「いやいや間の取り方が」とか「機転が」とかツッコミを擁護する向きもあろうが、やはり安易であると言い切ってしまおう。
誰かがボケたとき、ツッコミは入らない。誰かのボケに対して周りはどう出るのか。さらにボケるのである。ほかの誰かが重ねてボケて、みんなでボケ続けるのです。そしてゲラゲラ笑っているのです。
ボケてボケて、つっこまない。
誰かがボケたならとっさにボケ返さないといけない。その難易度を想像していただけるだろうか。スピードとエスプリが問われるし、しかもフランス人は油断しているといろんなシーンでちょこちょことボケてくる。まったく気が抜けないのである。
さすがに20年もフランスの荒波にもまれていると、少しはマシに返せるようにはなってきた。前の会社で新しいコピー機がやってきたときのこと。コピー機交換を担当した同僚が、新しいコピー機の設定がおわり今から使えるよと言いに来た。「いろいろできるマルチファンクションのコピー機やでー。コピーも早くなるしスキャンもできるしコーヒーも淹れてくれるし!ははは!」というので「肩ももんでくれるんやろ?」と返した。あはは!と笑って彼は去って行った。笑ってもらえて私は嬉しかった。ちょっとフランス社会になじめた気がした(遅い)。
日々鍛錬。何気ない日々のひとつひとつの会話が腕の見せところ、実践の場である。いかにうまくボケるか。ボケ返すか。フランス生活は過酷である。常に緊張感をもって過ごしている。