正しさの基準
「正しいこと」とは曖昧である。
何が正しくて何が間違っているのか。
というのは、何を基準にするかで答えは変わってくる。
皆が信じているものが違うから 食い違いが起こるし、
皆が自分が正しいと思うから 争いが起こる。
例えば「エコ」で考えてみる。
割り箸は、本来、木材から柱を作りその端材を使って作られていた。
しかし日々消費される割り箸を見て、エコではない。マイ箸を持とう。となる。
このマイ箸は端材ではなく、いい木のいい部分を使って作られる。そして端材が生まれる。
材木の使い方からいえば、全然エコではない。
レジ袋も同じである。
本来、余っているポリエチレンの使い道としてレジ袋が出来、燃焼されやすいためゴミの焼却時の燃料としても有効だということだった。
しかしながらそれがエコではないとなり、ポリエステルを使った繰り返し使えるエコバッグが作られた。
まあレジ袋もきちんとゴミ箱に捨てられて焼却処分ができていれば問題ないのだが、街や山や川や海などで迷惑なゴミとなってしまえば、それは事故や環境問題になってくる。
でもそれはエコバッグも同じことで、繰り返し洗い使っていれば問題ないのだが、そうでなければカビや菌の発生源となり病気の原因となりかねない。
何にしても扱い方である。
なぜ「マイ箸」や「エコバッグ」という言葉が出てくるのかというと、そこには企業やらマスコミやらがあって、どこかに「利益」が生まれるからである。
「正しさ」を貫いている人に言いたい。
それは誰のための「正義」なんだ?
その「正義」は誰の「利益」になるんだ?