戦争が始まったときの芸術家は
戦争が始まったら、本当に言いたいことは言わせてはもらえない。
「あんたは何が言いたいの?」
と、顎をつかまれて、いやでも「戦がしたいです」と言わされる。
こんな記事もきっといつか削除するのだろう。怖くて、人が。
周囲が怖くて。仲間はずれとか、叩かれるのが怖くて。
「誰だって戦争は嫌だ。でも今は違う、国のため世界のため、戦うべきだ」
怖くて言い返せずに「そうだね」と言うのだろう。
歴史を鑑みて、どちらが何に似てるかなんか、もうどうでもいい。
綺麗事に騙されて、煽られて、正義は日増しに大きくなり
正しいことは結局は、与えられた情報無しには考えることはできない。
戦争になったら、一方的な意見しか与えられたりしない。どの国も。
中立はスパイとみなされ、作家らは1938年のように「愛国作家」になり…
さしずめ今なら「愛国漫画家」や「愛国youtuber」になるところだろう。
この国の人は異様なまでに連帯する。それが怖いだけだ。自由のためだと言うけれど、それでこの国の誰が自由になるんだろう?お金持ち?
もう誰もが何が本当だったかなどという「設定」はいつでもどうでもいい。
その正義を疑う人は逮捕したり処分したりされるから。
つまりは何かを考えることすら
怒り狂った誰かのターゲットになるから、暴力で考えるのをやめてしまうだろう。親近者が奪われることには悲しみより憎しみを。涙を怒りに変えて戦え殺せというだろう。悪魔はそれが大好物だ。
そうして中立だった学者も芸術家も全て大合唱しながら、炎の中に飛び込んでいく。ある人は恐れて、ある人はヤケになって。
本当に怖いのは人の恐怖心と疑心暗鬼だったのだが
それはきっと「理想」「お花畑」と罵られ、消されていくだろう。
いつか聞いた「日本万歳」が世に溢れ
私も半泣き半笑いしながら手を挙げて、街の中、同じように叫ぶだろう。
「こうやって一緒に叫ぶから私を許してください」と。
これのどこが自由なんだ。自由とか平和をよこせよ。
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