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【大阪国際女子マラソン2022レビュー】

松田が世界陸上オレゴンに大きく前進する優勝

2位の上杉も積極レースで派遣設定記録を突破

 大阪国際女子マラソンの30km以降で、松田は世界陸上のことを考えながら走っていた。「世界の猛者(もさ)たちなら、どうレースを展開していくかをイメージしながら走っていました」という。世界陸上オレゴン代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソン2022が1月30日、大阪市の長居陸上競技場を発着点とする42.195kmのコースで行われ、松田瑞生(ダイハツ・26)が2時間20分52秒の日本歴代5位で優勝した。2位には上杉真穂(スターツ)が2時間22分29秒で入った。世界陸上代表は3月の東京マラソンと名古屋ウィメンズマラソンの結果を待って決定されるが、松田は代表入りが有力になった。

●松田の東京五輪補欠から再起のプロセス

 東京五輪は補欠だった。

 19年9月のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。松田は東京五輪代表3枠のうち2人が決定)は5位と敗れたが、ファイナルチャレンジシリーズの20年大阪国際女子で、2時間21分47秒で優勝。高いレベルで設定されたファイナルチャレンジ派遣設定記録(2時間22分22秒)を破り、3枠目の代表を確定させたと思われた。

 だが1カ月後の名古屋ウィメンズマラソンで、一山麻緒(ワコール・24)が2時間20分29秒の国内最高記録で優勝した。松田は補欠に選ばれ、名古屋4日後の代表選手たちの会見では「気持ちの整理がついていません」と大粒の涙を流した。

 それでも松田は、補欠の責務を全身全霊でまっとうした。21年名古屋ウィメンズに2時間21分51秒で優勝した後も、「オリンピックは“日本バーサス世界”ですから」と、代表選手たちと同じ気持ちで準備をした。東京五輪女子マラソンのレース4日前に補欠を解除されるまで、本気で出場するつもりで練習した。

 東京五輪に出られなくなった時点で別の大会にスライド出場する選択肢もあったが、松田はしなかった。マラソンは走らなかったが、気持ちが東京五輪で完全に切れてしまった。もしも東京五輪を走っていたら、「競技を続けていなかった」と言う。

「東京五輪に出るなら“やり切った”と思えるくらい練習を積んでいました。“今やめても後悔は少しもない”と思えるくらいにやっていました」

 マラソンを走らず、特に痛みがあったわけでもない。それでも8月いっぱいを休養に充てた。そこまで自身を追い込んでいた。

 10月のプリンセス駅伝に向けて9月から練習を開始したが、10月に入って左太腿を肉離れしてしまった。プリンセス駅伝は無理はできないと判断して欠場。11月のクイーンズ駅伝は5区区間3位(チームは5位)と立て直したが、両駅伝の間に行う予定だったマラソンに向けたメニューができなかった。

 昨年の名古屋ウィメンズ前と比べ、マラソン練習に充てられる期間自体が2週間短い。山中美和子監督はクイーンズ駅伝前も「普通の練習はしっかりできていた」と感じたが、松田は大阪のことを考えると自身のトレーニングへの不満を拭い去れなかった。

 その分、12月から始めたマラソン練習はすさまじかったようだ。

「過去を超えるには、自分を超えるには、練習をするしかありません。月間の走り込みは、距離は伏せさせていただきますが、過去最高にやりました」

 昨年の名古屋ウィメンズの前は、1月に1200km、2月に1400kmを走ったと明かしていた。今回、12月には1400km以上を走ったことになる。ダイハツの先輩で同じように筋肉質の木崎良子(13年モスクワ世界陸上マラソン4位)から、ポイント練習後にも刺激として走った方が疲労回復が早いと、以前からアドバイスされていた。

 40km走などの距離走をした後にも走るが、距離走の後は昼食をとる時間がどうしても遅くなる。夕方から夜の時間帯に走ることになるが、「暗い中でライトを照らしてもらって走ると、ランナーズハイになってあっと言う間に距離を走れるんです」(松田)

 そもそも、ジョグのスピードが速いから、ゆっくりジョグをする選手より距離は伸びることになる。プリンセス駅伝欠場から3カ月しか経っていないが、松田はマラソン選手としてかなりの仕上がり状態で大阪のスタートラインに立った。

写真提供:フォート・キシモト

●「世界の猛者と」戦うことをイメージしながら走った松田

 スタートから2時間20分52秒。優勝テープを切った松田はテレビインタビューで感想を問われ、「率直に」と話し始めた。大半の視聴者は「うれしいです」と続けると予想したが、松田の言葉は違った。「悔しかったです。自分の目標は達成できませんでした」

 その後の記者会見で悔しかった理由を明かした。

「MGCファイナルチャレンジで負けた一山さんのタイム(2時間20分29秒)が最低ラインでした。それをクリアできずに悔しかったです」

 その目標をレース前に明言しなかったことを問われると、「大きな目標を口に出したり、“絶対に勝つ”と言ったりしたときには負けているんです。闘志は内に秘めていました」と答えた。本人も認める「究極の負けず嫌い」である。

 今大会は長居公園に入るまで約41km、男子選手3人がペースメーカーとして先頭の選手を先導した。ペースメーカー(の距離)については賛否両論あるが、選手にとって重要なのは自身が成長するためにペースメーカーをどう活用するか。松田は「大阪では30km以降、前や横に選手がいることはありませんでした。心強かった」と、ペースダウンを最小限にとどめることに役立てた。五輪や世界陸上のような駆け引きはないが、ハイペースを維持するキツさの中で、動かない体をどう動かすかを試そうとした。

「ペースメーカーの方たちに支えてもらっても、納得のいく結果を出せませんでした。だから悔しさがあります」

 松田が悔しさを感じたのはもちろん、フィニッシュ後のこと。レース中は一山のタイムを破るために、そして世界陸上の戦いを想定して、アグレッシブに立ち向かっていた。

「苦しかったのですが、この状況でも世界の猛者は前に出るのだろうな、と考えていました。暑い時期のマラソンは終盤の5~10kmの勝負になる。そこでの余裕度が勝敗を決めます」

 その終盤の戦いに負けたと、松田は自身に厳しい見方をした。

「東京五輪を見てもそこからのラストスパートが大切になるのですが、今日、そういったレースになったら負けていました。だから悔しい」

 松田は悔しい思いをしたところから這い上がり、結果を出してきた選手だ。代表に選ばれれば世界陸上が悔しさを晴らす舞台になる。「30km以降が大きな課題だとわかりました。その課題を埋めるための練習をして、今以上に実力をつけて、自信を持ってスタートラインに立ちたい。最終的にはトップ争いをしたいと思います」

 代表入りは残り2大会をまたなければいけないが、松田の気持ちはすでに、オレゴンに向けて走り始めた。

写真提供:フォート・キシモト

●1人になっても踏みとどまった上杉。「ここで世界陸上だ」

 大阪で2位になった上杉真穂も、「2時間23分18秒の派遣設定記録を突破して日本人2位以内」という選考対象となる条件をクリアした。今後の2大会の結果次第では代表に選ばれる可能性がある。

 上杉の自己記録は2時間24分52秒(4位)だった。日本代表となるにはやや物足りないタイムだが、世界陸上を明確に意識できたのは昨年8月に、JMCシリーズ

の大会毎のポイントなどが発表されたときだったという。

「それまで世界陸上は、もちろん出たいと思っていましたが、遠い存在だと感じていました。それが8月の発表で、去年の大阪のポイントで自分が6位に入っていたんです。あと少し頑張れば3位に滑り込めるかもしれない、と思いました」

 練習の手応えも、昨年より大きく感じていた。大阪には「攻めるレースをする」ことをテーマにして臨み、2時間20分台を目指す第1集団に加わった。中間点を1時間09分57秒と、ハーフマラソンの自己記録(1時間10分17秒)より速く通過しても臆することなく走った。

 ただ、20kmを過ぎると「少しずつ体がキツくなっていた」という。集団から微妙に離れ、追いつく展開を繰り返した。「私がその状態でも松田さんはペースを上げられた。強さを実感しました」

 タイムだけを見れば松田もペースを維持しただけだが、上杉は25km付近から後れ始めた。25kmで右折して風向きが変わり、ぎりぎりで走っていた上杉にはペースアップしたように感じられたのかもしれない。

 しかし1人になってから上杉は踏みとどまった。トップ集団から後退した選手によくあるのは、そのままペースダウンを続け、後方集団から抜け出してきた選手に抜かされるパターンだ。1人になったことでペースメーカーもいない。

 上杉が粘ることができたのは、第1集団から後れることも想定し、1人で走る練習も徹底して行っていたからだ。

「レース前に中村(悠希)監督とも話し合って、今の私が佐藤(早也伽・積水化学・27)さんに勝つには、前半行って逃げ切るしかない、と思っていました。おそらく後ろから佐藤さんが追いついてきている。でも、自分も体は止まっていない。ここで世界陸上だ、絶対に2位でゴールするんだ、と思って走っていました」

 3位の位置で25km以降差を詰めていたのは松下菜摘(天満屋・27)だったが、前半の1分20秒の貯金を生かし、36秒差で上杉が2位でフィニッシュした。2時間22分29秒は日本歴代11位の好記録を手にしていた。

 世界陸上代表は東京と名古屋ウィメンズの結果次第だが、世界陸上を目標とすることで上杉の成長が加速した。今年の世界陸上オレゴンに限らず、今後の代表争いを占うときに目が離せない選手が現れた。

写真提供:フォート・キシモト

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト


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