【第55回織田幹雄記念国際前日①】
山縣と桐生が8年ぶりに織田記念で対決
ピークが合う時期が少なかった2人だが今年は同じ課題を持って激突
第55回織田幹雄記念国際が明日(4月29日)、広島市のエディオンスタジアム広島で行われる。どの大会でも注目される男子100mだが、今大会の山縣亮太(セイコー)と桐生祥秀(日本生命)の対決は特別だ。2人の初対戦が13年のこの大会で、洛南高3年生の桐生が予選で10秒01(+0.9)と当時の日本歴代2位、高校記録を0.18秒も更新するタイムを叩き出し、日本中距離を驚愕させた。決勝は追い風2.7mで参考記録になったが(2.0mまで公認)桐生10秒03、山縣10秒04と0.01秒差の大激戦を演じた。
だがその後の2人は、織田記念で直接対決することはなかった。8年が経った今年、13年以来の織田記念での対決が実現する。2人の足跡が交わる部分や、今大会でテーマとしている技術的な課題を紹介する。
●2人の直接対決は山縣8勝、桐生5勝
2人の直接対決を表にしてみた。
他の大会でも13年織田記念のような、僅差のレースはないことがわかった。14年の日本選手権が0.05秒、16年の布勢スプリントが0.03秒、18年のGGP(ゴールデングランプリ)が0.04秒のタイム差で、この3大会が0.05秒以内の争いだった。
長年日本の男子100 mを牽引している2人だが、好調な時期や(インカレでは)出場種目が重ならないことが多かった。
例えば14年5月の関東インカレは桐生が個人種目は100 mだったのに対し、山縣は200 mに出場していた。同年9月の日本インカレは逆で、桐生が200 mで山縣が100 m。
国際大会でも、14年アジア大会は山縣が100 mで6位になっているのに対し、その年の日本選手権で優勝した桐生は故障のためアジア大会を欠場した。19年アジア選手権は桐生が優勝したのに対し、山縣は予選を通過したものの決勝を欠場している。
---------------------------------------------------------------------
桐生 山縣
2013/4/29 織田記念(+2.7) 10秒03(1位)○ 10秒04(2位)●
2013/6/8 日本選手権(+0.7) 10秒25(2位)● 10秒11(1位)○
2014/6/8 日本選手権(+0.6) 10秒22(1位)○ 10秒27(2位)●
2015/3/28 テキサスR(+3.3) 9秒87(1位)○ 10秒15(7位)●
2016/5/8 GGP(-0.4) 10秒27(4位)● 10秒21(2位)○
2016/6/5 布勢スプリント(-0.5) 10秒09(2位)● 10秒06(1位)○
2016/6/25 日本選手権(-0.3) 10秒31(3位)● 10秒17(2位)○
2017/3/11 キャンベラ(-0.1) 10秒19(2位)● 10秒08(1位)○
2017/6/24 日本選手権(+0.6) 10秒26(4位)○ 10秒39(6位)●
2018/5/20 GGP(-0.7) 10秒17(4位)● 10秒13(2位)○
2018/6/23 日本選手権(+0.6) 10秒16(3位)● 10秒05(1位)○
2018/9/21 全日本実業団(±0) 10秒22(2位)● 10秒01(1位)○
2019/5/19 GGP(+1.7) 10秒01(2位)○ 10秒11(5位)●
※GGPはゴールデングランプリ
---------------------------------------------------------------------
織田記念での直接対決がなかったことも、不思議な感じがする。桐生にとっては10秒01を出したことで「人生の第一ピリオドじゃないけど、最初に注目してもらった大会」というほど大きな節目になった。広島県出身の山縣にとっては地元で思い入れがある。
14年大会は山縣が4位に入ったが、桐生は決勝を欠場。15年大会は桐生が2位になったが山縣が大会を欠場。16年大会は山縣が優勝して不調を抜け出したが、桐生は出場しなかった。17年は桐生が優勝したが山縣が不出場。18年は山縣が優勝して桐生が不出場。最初のインパクトが強かっただけに、すれ違いが続いてきた印象である。
28日に行われた前日会見で桐生は、8年ぶりの対決を「楽しみです」と話した。
「色々な選手がいますが山縣さんは僕が高校の頃から一緒に走って、勝ったり負けたりしてきました。1戦1戦、集中しないといけない相手です。お客さんは地元の山縣さんの応援が多いと思いますが、それを桐生祥秀の応援に変えたいですね」
ユーモアを交えつつ、思い出の大会での再対決に思いを馳せていた。
●16年のリオ五輪リレーと17年秋の100 mで歩調を揃えた2人
2人の軌跡が同じようにピークを描いたこともあった。
リオ五輪では1走で山縣が、3走で桐生が、その走順でトップのタイムで走り、日本の銀メダル(トラック種目五輪最高順位)を実現させた。
17年の日本選手権では2人とも3位以内に入れず、個人種目の世界陸上代表入りを逃してしまった。桐生は「今は色々な選手が出てきて盛り上がっていますが、僕らで陸上界の盛り上がりを作ってきたと思うんです。最初に僕らが頑張ったから今がある。だからこそ、また戻って来ようと2人で約束しました」とレース直後に話している。
それから3カ月後の9月の日本インカレで、桐生は9秒98(+1.8)と日本人初の9秒台をマークして歴史に名を残した。山縣はその2週間後の全日本実業団陸上で10秒00(+0.2)と、前日本記録に並ぶタイムを出した。
18年は山縣がアジア大会代表で銅メダル(10秒00・+0.8)と活躍したが、桐生は個人種目の代表入りを逃し4×100 mリレーだけの出場だった。19年は桐生が世界陸上ドーハで準決勝進出と、国際大会では自身最高の結果を残したが、山縣は故障で5月のGGP以降は試合に出られなかった。
昨年(20年)も桐生が日本選手権優勝と好調なシーズンを送ったのに対し、山縣は故障から復調できなかった。
だが山縣も、今年は復調に手応えを感じている。
「2月に鹿児島、3月に宮崎で100 mを走りましたが、痛みはまったく感じていません。股関節を上手く使ってヒザに負担がかからない走りができるようになりました。課題をしっかりクリアしていけば、良い走りができる手応えがあります」
桐生も3月の日本選手権室内60mの予選で、ふくらはぎのヒザに近い部分に違和感が生じて決勝を欠場した。だが、無理をすれば走れるくらいの状態だったという。
前日会見では「初戦の織田記念に自信を持ってつなげる練習を優先しました。棄権は間違っていなかったと思いますし、明日が楽しみです」と、自信を見せていた。
●2人の織田記念の課題は「トップスピード」
2人が織田記念でテーマとしている走りが、桐生は「トップスピード」(桐生)、山縣は「爆発力」と、言葉は違ったがほぼ同じ内容になった。
桐生は昨シーズンのレースパターンを分析した結果、50m付近にかけての2次加速の上がり方が不十分だと結論を出した。
「中盤の走りが省エネ過ぎたのだと思います。10秒0台で走ってもあまり疲れていなくて、少し物足りなさを感じていました。回転数(ピッチ)はそのままに、ストライドを伸ばす走りをしたいと思っています。エネルギーを残さない良い走りをしたいですね。そこはレースでしか試せないので、織田記念で試したいです」
一方の山縣は「とにかくスピードです。もとから爆発力に欠けると言われてきましたし」と言う。以前からの課題だった部分だが、「故障で落ちていた部分もあった」という。
「冬期はパワーとバランスをしっかり整えることも重点的にやってきました。同じ60mをスターティングブロックから行っても、意気込みを変えてみたりして、100%、110%を出すようなスピードトレーニングをしてきました。自分の中で1次加速、2次加速とイメージしている部分がありましたが、それで最初に力を出していなかった可能性もある。気持ちの壁も取り払って、スピードを作る意識の練習をしてきました」
8年ぶりの対決は2人の50mまでのトップスピード、爆発力に注目して観戦すると面白いだろう。雨の予報なのでタイムは8年前に届かないかもしれないが、激戦を展開できたら21年を2人は、そろってピークを上げていくシーズンにできる。
TEXT・写真 by 寺田辰朗