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【東日本実業団陸上① 女子5000m競歩・岡田久美子】

東京五輪女子20km競歩代表の岡田が日本記録に迫る好タイム
「最後まであきらめずにメダルに挑戦したい」

 東日本実業団陸上初日が5月15日、埼玉県熊谷スポーツ文化公園陸上競技で行われた。女子5000m競歩には、東京五輪20km競歩代表の岡田久美子(ビックカメラ)が出場。男子5000m競歩も同時に行われたため男子選手が歩いてはいたが、スタート直後から独走ならぬ独歩でハイペースを刻んだ。自身の持つ日本記録(20分42秒25)には惜しくも届かなかったが、自己2番目の21分03秒22で7連勝を飾った。
 女子競歩種目初のメダルを目指す岡田が、東京五輪3カ月前の今大会で得たものは何だったのだろうか。

●速すぎた序盤のペースで日本記録を逃す

 岡田久美子は最初の1000mのペースを悔やんだ。
「自分の日本記録も頭に入れて歩きましたが、男子と一緒だったこともあって、速く入りすぎてしまいました」
 競技時間短縮のため、今大会の5000m競歩は男女が同時に行われている。男子のトップは1000mを3分52秒で通過。岡田はもちろん距離をとって歩いていたが、トップ集団以外で歩く男子選手が近い位置にいる。
「そこは気持ちのコントロールが必要でした。4分8~10秒で入って、後半でタイムを削って(日本)記録を出せれば、と思っていました」
 この日の岡田の1000m毎の通過と、スプリットタイムは下記の通りだ。
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1000m 4分06秒 (4分06秒)
2000m 8分16秒 (4分10秒)
3000m 12分29秒 (4分13秒)
4000m 16分47秒 (4分18秒)
5000m 21分03秒22(4分16秒)
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 1000m毎を4分9秒平均で歩ききれば20分45秒になる。後半でペースアップできれば日本記録更新が可能な歩き方を岡田は考えていた。だが、最初の1000mを速く入りすぎたツケが2000m以降のペースダウンを招いた。
「最初に動きが良くてスピードを出してしまったこと、気持ちが先走ったことで生じた数秒の誤差が、後半に響いてしまいました。ちょっと惜しかったですね」
 今大会としてだけで結果を見れば、悔しさが残った。

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●敗戦からの立ち直りと女子競歩の系譜

 だが中期的に見れば、収穫の方が多いレースになった。まずは2月の日本選手権の敗戦から、しっかり再起した。
 岡田は2月の日本選手権で、同じ東京五輪代表の藤井菜々子(エディオン)に敗れた。15年から女子競歩の日本代表を単独で続けてきた岡田にとって、国内選手に敗れたのは4年ぶりだった。「3日間は落ち込んだ」と話したが、おそらくそれ以上に長く落ち込んでいた。何人かの競歩関係者に苦しい胸の内を吐露していたという。
「本番はオリンピックなので、と思いつつも、勝ち続けてきた(ことによる心の支えなどの)部分もあります。連覇することで会社の理解も、年々得られてきましたから」
 そんな岡田を励ました関係者の1人が川崎真裕美さんだ。現在は旅館の女将となっているが(現姓喜多)、04年アテネ、08年北京、12年ロンドンと五輪3大会に連続出場した代表常連選手だった。その五輪代表を16年リオ、21年東京と岡田が引き継いでいる。
 20km競歩の日本記録も川崎が03、04、07年と3回更新。09年ベルリン世界陸上6位入賞の渕瀬真寿美も07、09年と更新し、19年に岡田が現日本記録の1時間27分41秒をマークした。日本人初の1時間30分突破は渕瀬が果たしたが、川崎が1時間28分台、岡田が1時間27分台を最初に出した選手である。
「1回負けたくらいで競技人生が終わるわけではない、ということや、日本選手権で負けたときの私の表情が清々しくて器の大きさを感じられた、ということをおっしゃってくださいました。川崎さんの言葉は胸にしみましたね」
 東日本実業団陸上の女子5000m競歩は、50回大会(08年)からと歴史が浅い。連勝した選手は開始1~2年目に優勝した川崎と、今回で7連勝(14~19、21年)を達成した岡田の2人だけだ。
 狙っていた日本記録更新はできなかったが、この日の21分03秒22は「ほどほど良かった」と本人も納得できるレベル。そして、東京五輪へのトレーニングも、順調に進んでいることを示した東日本実業団陸上でもあった。

●女子競歩の歴史を作る選手に

 日本選手権で敗れた要因の1つに、昨年の体調不良があった。大きな変調ではなかったが、7カ月近く続いたという。
「土台が少し足りていない状態で冬期に入ったので、3月、4月としっかり体作りと、低速と中間くらいのペースの練習を行って、土台をしっかりさせてきました。オリンピックに向けてその土台をさらに、分厚くしていきたいと思っています」
 技術的には左の股関節が外旋するクセがあり、そのため「体重がしっかりと乗りきらない」ことで、ヒザに痛みが出ることがあった。それが中臀筋などを鍛えて外に開かず、体重を真っ直ぐに乗せられるようになり、ヒザに痛みが出なくなったという。
「両輪がしっかり回っているような形で、調子が上がってきているかな、と思います」
 この日の序盤でオーバーペースのスピードで入っても、大きく崩れなかった。現在のトレーニング内容を「自信になる」と感じられたレースになった。
 岡田の東京五輪前のレースは今大会が最後。札幌のコースは昨年の段階で下見をして、藤井と2人で時計台の前でスタートポーズをとるなどした。イメージトレーニングは万全のようだ。目標はリオ五輪当時から「メダル」と話していたが、19年の世界陸上ドーハ大会で五輪&世界陸上最高順位タイの6位に入賞して実績ができた。さらに昨年の体調不良と今年の日本選手権敗戦から立ち直った過程を経て、より具体的な道筋が見え始めた。
「まだ土台作りの段階なのではっきりとは言えませんが、入賞は確実にできる力は付いていると思います。メダルに関しては、今年も好記録を出している中国勢が強いのですが、(暑かった)ドーハのときのように何が起きるかわかりません。最後の最後まであきらめず、メダルに挑戦していきたいと思います」
 男子はすでに競歩のメダル常連国になっている日本だが、最初のメダルは15年世界陸上北京大会50km競歩銅メダルの谷井孝行(自衛隊体育学校。現コーチ)だった。わずか6年前のことである。
 翌年のリオ五輪で荒井広宙(自衛隊体育学校。現富士通)が五輪初となる銅メダルを取ると、17年世界陸上で荒井が銀、小林快(ビックカメラ。現新潟アルビレックスRC)が銅メダルと続き、19年世界陸上ドーハ大会では20km競歩の山西利和(愛知製鋼)、50km競歩の鈴木雄介(富士通)とついに金メダルを2種目同時に獲得した。
 その過程を近くで見続けてきたのが、15年世界陸上北京大会から代表に入り続けている岡田である。「女子も、男子に負けないように」、「男子に続けるように」と言い続けてきた岡田が、地元五輪で女子競歩の歴史を切り拓く。

写真・TEXT by 寺田辰朗

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