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【東京五輪-世界と戦った日本勢①】

廣中璃梨佳が20歳の夏に2つの快挙
5000mで16年ぶりの日本新と10000m25年ぶりの入賞

 廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ)が複数種目に活躍した唯一の日本人選手となった。大会初日(7月30日)の女子5000m予選を14分55秒87で通過すると、4日目(8月2日)の決勝では14分52秒84の日本新で9位。入賞まであと1人と迫った。
 そして大会9日目(8月7日)の10000mでは31分00秒71で7位入賞。この種目では96年アトランタ五輪(千葉真子5位、川上優子7位)以来、25年ぶりの入賞を達成した。

●5000m予選:悔しさが残ったラスト1000mの自己最速タイ

 5000m予選の廣中は1組で14分55秒87の9位だった。大会前の自己記録(14分59秒37)を更新したが、歴代順位は日本記録(14分53秒22)の福士加代子(ワコール)、14分55秒83の新谷仁美(積水化学)に続く3位のまま。組トップのS・ハッサン(オランダ)には約8秒差をつけられた。着順通過の5位選手とも5秒半の差があった。
 プラスでの通過ではあったが、それができたのは2組と比較して速いペースで進んだから。そのペースを作ったのはスタートから先頭に立った廣中なので、自力で通過したと言っていい。廣中は3000m手前まで先頭を走った理由を、「初めてのオリンピック。自分らしく、怖い物知らずで、思い切り走ろうと思っていました」と振り返った。
 だが最後の1000mが不満だった。4000m以降のスプリットタイム自体は2分53秒3で、判明している範囲で最速だった昨年12月の日本選手権とほぼ同じ。だが、そのときは3000m通過が9分18秒とスローで、後半は田中希実(豊田自動織機TC)とデッドヒートを展開した結果、出すことができたタイムである。
「オリンピックで自己新を出せたことは自信になりますが、もう一段階ギアを上げたかった」と話したのは、4000m以降で外国勢に置いて行かれた悔しさが大きかったからだろう。

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●5000m決勝:成長の足跡にライバルたちとのレース

 だが決勝の廣中は、予選よりも成長した姿を見せた。スタートしてペースが遅いと判断すると、躊躇うことなくトップに立った。フィニッシュでは14分52秒84の日本新で9位。入賞にあと1人だったことに悔しさも残るが、予選1組で9位だった選手が決勝でも9位に入る。普通は起こらないことをやってのけた。
「ラスト1000mが対応できなかったのは予選と同じですが、(決勝の)4000mまで食らいつくことができたのが1つ大きかったです」
 廣中の1000m毎のスプリットタイムを見れば、この1年間での成長がよくわかる。
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▼全日本実業団陸上(2020/9/20)
1000m 3分02秒5(3分02秒5)
2000m 6分01秒3(2分58秒8)
3000m 9分00秒9(2分59秒6)
4000m 12分01秒3(3分00秒4)
5000m 14分59秒37(2分58秒1)
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▼日本選手権(2020/12/4)
1000m 3分06秒(3分06秒)
2000m 6分15秒(3分09秒)
3000m 9分18秒(3分03秒)
4000m 12分14秒(2分56秒)
5000m 15分07秒11(2分53秒)
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▼東京五輪予選(2021/7/30)
1000m 3分00秒9(3分00秒9)
2000m 6分00秒0(2分59秒1)
3000m 9分01秒8(3分01秒8)
4000m 12分02秒6(3分00秒8)
5000m 14分55秒87(2分53秒3)
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▼東京五輪決勝(2021/8/2)
1000m 3分00秒7(3分00秒7)
2000m 6分00秒8(3分00秒1)
3000m 9分00秒7(2分59秒9)
4000m 11分58秒6(2分57秒9)
5000m 14分52秒84(2分54秒2)
※全日本実業団陸上の4000mまでは筆者計測。それ以外は主催者発表
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 廣中がレース直後に話したことが、スプリットタイムにも現れていた。決勝のラスト1000mは予選より0.9秒遅いが、ほぼ同じと言えるだろう。それに対して4000m通過が4秒速い。それが自己記録の3秒更新と日本新に結びついた。
 廣中の成長の背景には、ライバル選手たちとの対決があった。
 昨年の全日本実業団陸上は、14分55秒83の日本歴代2位(当時)で走った新谷に敗れたが、前半の700mから2400mまでを廣中が引っ張った。負けはしたが「新谷さんと走れたことが自信になった」と廣中は感じている。
 昨年12月の日本選手権は、田中希実とデッドヒートを展開した。田中のラストスパートの前に敗れたが、2400mから前に出て、残り3000mを8分秒52秒1と東京五輪決勝とほぼ同じタイムで走っている。
 2000m通過は全日本実業団陸上と同程度で、残り3000mは日本選手権と同じ。つまり昨年の全日本実業団陸上と日本選手権はライバルに敗れたが、その2レースで良かった部分(スプリットタイム)を合わせ、東京五輪で発揮した。

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●10000m:自身3本目の10000mで五輪7位

 10000mもペースが遅いと判断すると、すぐさまトップに立った。2700m過ぎまで先頭を走り、4000mから徐々に離されはしたが、そのままズルズル後退することはなかった。
「最初はレースに身を任せて先頭に立ちました。ペースが上がって少し離されましたが、ターゲットを見つけて少しずつ前に行こうと考えて走っていました」
 9000mで8位、9600mでは9位に下がったが、最後の1周で2人を抜いて31分00秒71の7位でフィニッシュ。
「ラストは気力で、色んな方たちの思いで、思い切り腕を振りました」
 前述のように日本選手の入賞は、96年アトランタ五輪以来、25年ぶりの快挙だった。4年に一度の巡り合わせの妙も影響する部分なのだが、30分台を出している新谷、渋井陽子(三井住友海上)、福士の3人も五輪入賞は果たしていない。
「(9日間という)短期間で3本レースをこなせて自信になりましたし、今後につながるレースになりました」
 3本とも自己新記録(日本歴代3位・日本記録・日本歴代4位)だが、五輪という勝負優先の舞台で、自分の展開に持ち込んだことに価値がある。廣中らしいレースができた結果の自己新3連発だった。五輪で廣中らしく思い切った走りができたことが、彼女の潜在能力を一気に引き出した。
 10000mは東京五輪での3本目のレースだったが、廣中の10000m初レースからの本数も東京五輪が3本目だった。
 東京五輪がもしも予定通り昨年の開催だったら、廣中は5000mだけで狙っていただろう。しかし五輪は1年延期され、最初の選考レースである12月の日本選手権長距離は、5000mでライバルの田中希実に敗れ2位。五輪参加標準記録は突破していたが、代表入りを逃した。
 すぐには立ち直れなかったが、今年の2月頃から10000m出場を検討し始めた。高橋昌彦監督は「10000mなら5月に代表権を取れる。6月の5000m選考は気楽に臨めるし、5月から五輪に向けて世界を意識したトレーニングも始められる」と10000m挑戦の経緯を話す。駅伝などの走りから、10000mの距離への適性があることは判断できた。
 初10000mの金栗記念(4月10日)で日本選手権の標準記録を突破すると、5月3日の日本選手権10000mで五輪標準記録を破って優勝。2本目の10000mで予定通りに五輪代表に内定した。6月の日本選手権5000mにも新谷を破って優勝し、2種目の代表権をこれも予定通りに獲得した。
 代表を決めた5月の日本選手権以後、世界を意識したトレーニングに取り組めたことと、5000mのスピードが上がったことで、3本目の東京五輪で7位入賞を実現させた。
「去年になかった積極性が、東京五輪という舞台で生まれたことが一番の収穫です」
 駅伝では最初から先頭に立ち、自分のペースで飛ばすのが廣中のスタイルだが、昨年12月の日本選手権では田中との対決に慎重になり、前半は自分のペースに持ち込めなかった。
 10000mに挑戦する過程で、精神面でも積極的になることができた。5月の日本選手権10000mでは安藤友香(ワコール)と交互に前に出て五輪標準記録突破のペースを作り、東京五輪では世界のトップ選手が相手でも、最初から先頭に立って自分のレースをすることにチャレンジできた。
 初の五輪だからと昨年12月の日本選手権のように消極的になっていたら、自分のペースに持ち込めなかっただろう。
「初めてのシニアの舞台で2種目、世界と戦うことができました。たくさんの方の励ましに背中を押されたから、笑顔でここに立つことができました。2種目戦えたことを自信に、これをスタート地点として、世界と戦う挑戦をしていきたいです」
 20歳の廣中が今後、どういう成長を見せてくれるのか。ライバルの田中の成長や種目選択と、廣中のそれがどう交わっていくのかも興味深い。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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