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日本選手権⑩ 男子400mハードルの若手とベテランが五輪代表内定

優勝した黒川の前半は世界レベルのスピード
故障明けの安部に感じられた完成度の高さ

 日本選手権3日目(6月26日・大阪市ヤンマースタジアム長居)。五輪参加標準記録突破者4人が出場する激戦種目となった男子400mハードルは、20歳の黒川和樹(法大)が48秒69で優勝。48秒87で続いた安部孝駿(ヤマダホールディングス)と2人が東京五輪代表に内定した。黒川の特徴は前半をものすごいスピードで入ること。そのレーススタイルは、世界陸上で銅メダル2個(01年エドモントン大会と05年ヘルシンキ大会)を獲得した為末大を彷彿させる。29歳の安部も中盤で黒川に並びかけ、最後まで善戦した。2人ともレース内容は評価が高く、揃って五輪本番への期待が高まった。

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●5台目通過は世界陸上銅メダルの為末レベル

 READY STEADY TOKYO(5月9日)で48秒68を出したときと同じように、7レーンの黒川が最初から猛スピードでハードルを越えていく。バックストレート中央付近では、早くも1つ外側のレーンの岸本鷹幸(富士通)を抜き去った。岸本は12年ロンドン五輪代表で、48秒41の日本歴代5位、現役最速タイムを持つ。当時は前半から積極的なレースを展開する選手だった。
 5レーンの安部は17年、19年と世界陸上の準決勝に進出。国際大会の実績では現役ナンバーワン選手で、長身を生かし、やはり前半からスピードを出す選手だ。その安部も、黒川はバックストレートで引き離していく。
 5台目で安部を1mほどリードしていた黒川。5台目の通過は手元の計測で20秒8。これは為末がエドモントン世界陸上決勝で47秒89の日本記録で走ったときと同じタイムである(ヘルシンキ大会決勝は20秒7。通過タイムは非公式)。
 黒川の前半の走りは、元々は110mハードルを専門(高校3年時のインターハイ5位入賞)にしていたスピードがあるから可能になった。法大には為末のハードル毎の通過タイムや練習メニューなど、世界で戦ったときのデータが残っている。黒川は為末の1~2台目の通過タイムで練習を行ってきた。昨年の自己記録は49秒19だったが、「47~48秒台を想定して前半を走る練習をしてきた」という。
 今回のバックストレートは、READY STEADY TOKYOのときよりも速かったのか?
「レース中のことなので(細かいタイムなどは)わかりませんが、自分なりに行っていた方だと思います」
 世界大会でも前半をリードできるようなタイムで、黒川が日本選手権の前半を飛ばしていた。

●29歳の安部が6台目以降で逆襲

 しかしそこから安部が差を詰めてきた。6台目の接地では1mを切っていただろう。黒川が歩数を13歩から14歩に切り換え、逆脚で6台目を跳ぶのに対し、長身の安部は6台目まで13歩で行くことができる。そこで黒川は区間タイムが0.2秒落ちていたが、安部はおそらく0.1秒くらいしか落ちていない。
 黒川も失敗したわけではない。「14歩への切り換えはかなりスムーズにできた」と感じている。6台目まで13歩ができる安部の武器が威力を発揮したと見るべきだろう。
 5レーンの安部は黒川の背中が見える位置で走っていた。先行する選手からプレッシャーを受けてしまったら、前半型選手の策にはまったことになる。だが日本選手権の安部は「しっかりと冷静に、自分の走りに集中できた」と、ハードリングが乱れることはなかった。「(黒川は)ホームストレートに入って前にいたので、初めて意識した感じです」
 7台目は黒川が利き脚の踏み切りに戻るのに対し、安部は14歩になって逆脚踏み切りになる。しかし、そこでも差が開かなかった。安部もかなりきつそうだったが8台目、9台目、10台目と本当に僅かずつだが、黒川との差を縮めていた。

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●ベテランらしい冷静さでつかんだ五輪切符

 4月にアキレス腱を傷めて追い込む練習ができなくなった。5月のREADY STEADY TOKYOは49秒45で黒川、山内大夢(早大)、豊田将樹(富士通)に敗れて4位。その大会後は治療を優先しながらも、痛みがなくなり練習もできるようになった。
 だが日本選手権では必要以上に勝負を意識しないようにしていた。同じヤンマースタジアム長居で行われた12年日本選手権で、「チャンスがあったが勝負に出すぎて、冷静さがなかった」ことで5位と敗れたからだ。今回も標準記録は破っているので、3位以内に入れば代表は決まる。故障明けということを考えれば、強引な勝負よりも「力を発揮すること」に集中した方が好結果が出ると経験的にわかっていた。
 0.18秒差で黒川には届かなかったが、「悔しさはあまりなくて、苦しい状況を乗りこえて東京五輪の切符をつかめた喜びが大きい」と噛みしめるように話した。
 故障明けで自己記録の48秒68に0.19秒差と迫った400mと10台のハードリングは、完成度としては高かった。
「(東京五輪は)1本でも多く走りたい。準決勝で自己記録を出せるよう、決勝を目指してやっていきます」
 以前より落ち着いた口調に実現の可能性が感じられた。

●気持ちが揺れても最後はスイッチが入る黒川

 黒川は5台目通過が日本記録とほぼ同じだったが、6台目以降は徐々に日本記録から後れていく。為末のエドモントンと比較すると1台毎で0.1~0.2秒ずつ違う。現時点で日本記録の力がない以上、その違いが生じるのはやむを得ない。黒川の現状としてはベストに近い走りをしていた。安部に追い上げられたときも「力まずに自分の走りをすれば」と、冷静に考えていた。
 だが最終10台目を越えてからは、「ここで負けてたまるか、という気持ちでガムシャラに行きました」と闘志を前面に出して走った。
 黒川の特徴として気持ちの切り換えの上手さがある。日本選手権のレース前は、気持ちが揺れていた場面があったという。
「4位になったらどうしよう、というプレッシャーがありました。アップで体は動いてもキツさもあって、メンタル的にもキツかったのですが、『自分のレースをすれば行けるから』と周りから言ってもらったことで、“自分のレースで勝とう”と思うことができました。スタート位置に立ったときは“絶対にやってやろう”と思っていました」
 110mハードルから400mハードルへの転向が正しかったと言えるのか、という質問にも次のように答えている。
「400mハードルは楽じゃありませんから、移行してからずっと、110mハードルに戻りたいと思っていました。でも、ここまで来たら400mハードルの方が楽しいですね」
 先輩の為末は勝負魂の塊(かたまり)のような選手だった。レース前に弱気なところは、目つきひとつも見せなかったと聞く。種目選択も、カール・ルイス(米国。走幅跳と100m、200mで金メダル多数)に憧れて陸上競技を始めたこともあり、やりたいのは100mだった。100mで中学チャンピオンにもなったが、自分が世界で通用する種目は何かを考えたら400mハードルしかない、と戦略的に決断した。100mに戻りたい、と取材で話したことはなかった。
 黒川は法大の大先輩とキャラは違うが、スイッチが入ったときの野性的な強さは共通している。そんな印象を受けた。
 為末が22歳で出場したシドニー五輪は予選で転倒して終わったが、翌年のエドモントン世界陸上で銅メダルまで一気に上りつめた。そこは為末にしかできない。超前半型のレーススタイルは受け継ぎながらも、黒川自身のやり方で世界への挑戦をすればいい。
 ただ黒川にも、何かやってくれそうな雰囲気が強く感じられた日本選手権だった。

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TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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