2019/6/16 風をよむ「老後と2000万円」
●年金制度の成り立ちとは?
●相互扶助の精神
●本当に2000万の貯蓄が必要か?
街の声「覚悟はしていたんですけどやっぱりそうだったんだなっていう気持ち」「今ごろそんなこと言われたって、急に用意できるかっていう感じ」
金融庁の報告書が、老後資金として夫婦のみの無職の世帯では年金以外に30年でおよそ2000万円が必要、などと指摘した問題。
所管の麻生金融担当大臣が報告書の受け取りを拒否する異例の事態となり、波紋が広がっています。
小泉進次郎議員「報告書を受け取る受け取らないを越えて、制度をつくる側としても考えなきゃいけないことがあるということ」
今回の騒動の背景には、日本の年金制度が置かれている深刻な状況があります。
そもそも日本の「年金制度」。戦前は軍人や公務員を対象とする「恩給制度」のみで、一般労働者を対象とする年金は、戦時中の「船員保険制度」に限られました。
しかし戦後、憲法第25条で「国による社会福祉、社会保障の向上・増進」が掲げられる中、国民すべてを対象とする年金制度の検討が始まります。
とりわけ、1955年の保守合同で、いわゆる55年体制が成立すると年金制度創設は政治の大きな争点となったのです。
岸首相(当時)「国民のみなさんの理解と協力が必要です」
1959年、当時の岸内閣が「国民年金法」を制定。そして1961年、続く池田内閣のもと国民皆年金制度がスタートしました。その第1条「制度の目的」では、老齢などによって国民生活の安定が損なわれることを、「国民の共同連帯」によって防止するとしたのです。
そうした時代背景を専門家は…
飯田泰之・明治大学准教授(経済政策) 「年金制度導入時は戦争によって財産であったり、経済力であったりそれまでの仕事を失ってしまった高齢者を助けるという共有目標があった。『相互扶助』というところに力点がおかれていたんですね」
こうして誕生した国民年金制度のもと、日本経済が右肩上がりの成長を遂げるにつれて、膨大な年金資金が政府のもとに積み上がります。
バブル経済のさなか、政府が年金資金をどう活用したかというと…
記者レポート「東京ドーム70個分の広さの保養施設ですが荒涼とした風景が広がっています」
年金資金およそ3700億円を使って各地に展開した、大型リゾート施設「グリーンピア」。バブル崩壊後、次々と閉鎖に追い込まれ、ずさんな運用が明らかに。
国民の不満が高まる中、2004年、当時の小泉内閣が打ち出したのが…
小泉純一郎首相(当時)「確実なのは公的年金制度は、絶対に破綻させないということです」
いわゆる「年金100年安心プラン」でした。
しかし、その後も、2007年には5000万件もの年金記録が、ずさんな管理によって失われる「消えた年金」問題が発覚。
そして今、年金の「安心」そのものが、大きく問われることとなったのです―。
2004年、当時の小泉内閣が打ち出した「年金100年安心プラン」。
この制度は、集められた財源の範囲内で年金給付をするという仕組み。人口減少によって財源が減れば、年金の給付額も減らしていくというものです。
しかしこの改革が、日本の年金制度の問題を、より加速させることになったのです。
飯田泰之・明治大学准教授(経済政策)「徐々に時代がくだっていくと、高齢者だから経済的に苦しい、若者だからお金持ち、という前提がそもそも成り立たなくなってきている。現役世代の中にも、お金持ちから、全然稼げない人までいて、世代間の助け合いという前提自体が、非常に根拠の薄いものになってしまった」
当時、小泉内閣のもと積極的に進められた「規制緩和」や「民営化」。その一方で、日本社会の「格差」もまた広がっていたのです。こうした時代背景が、高齢世代を若い世代が支える、「相互扶助」の精神とずれを起こしたといいます。
実際、2000万人を超える非正規雇用者数は今も増え続けており、現役世代が担う、実質的な国民年金の納付率は、およそ4割にまで落ち込んでいます。
若い世代が高齢者を支えるという制度自体に無理が生じているのです。
にもかかわらず、政治は今…
麻生太郎財務相「30年で2000万円の赤字であるかのように表現をした点については国民に誤解や不安を与える不適切な表現だったと…」
今回の金融庁の報告書を巡る異例の事態…、それは一体何を物語っているのでしょうか?
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