推し以上、救世主未満。
〔エッセイ回〕
いろんなことをすっ飛ばして、
一昨日のことを書きます。
7月13日(火)19時から1時までの
たった6時間の出来事。
※当方、吉本興業所属の田畑勇一さんと藤本淳史さんを推しています。お二人は田畑藤本という漫才コンビでしたが、2020年末に解散され、現在はそれぞれピン芸人として活躍されています。
藤本さんの告白
7/13(火)19時。
7/11(日)の大宮クイズ王のアーカイブをしがんでしがんで期限ギリギリまで見たところで、Twitter上の友人から連絡が来た。
「藤本さんの発達障害の動画知ってる?」
すぐに察した。
藤本さん、
発達障害をカミングアウトされたな。
藤本さんがADHDだろうということは、
田畑藤本さんを知ってまもなく気づいた。
私が同類だからだ。
私は今、ほぼどこにも平らな部分がないリビングでこれを書いている。
箱か書類。
床の上もテーブルの上もソファの上も紙だらけ。
今日の昼間、仕事で関わった人たちには
絶対に想像できない部屋。
恥ずかしい。
情けない。
仕事をしている時以外は、
たいがいそんな感情の中で生きている。
「発達障害」「藤本淳史」
検索するとすぐに出てきた。
街録CH
街録CH。私は初見。
三谷三四郎さんによるインタビュー。
家庭環境、小学校、高校、大学。
芸人になるまでの話、芸人としての道すじ…。
これまで聞いてきた話、初めて聞く話が織り交ざって語られていく。
数日前のパチンコ動画(別掲)で、
自身を「嘘がつけない」と評した藤本さん。
ひとつひとつの質問に、静かに、まっすぐに答えていく。
コンビ仲の話になった。
藤本さんは表情を変えない。
「仲が悪かったことはない」
藤本さんが、コンビを、田畑さんを大事に思ってきたことが、ストレートに伝わってくる。
解散の経緯を訊かれる。
1月終わりの中西さんのインタビュー(別掲)で田畑さんが答えておられたこととほぼ同じ。
藤本さんがきつくなって、
それに田畑さんが気づいて、
「大丈夫か?」「ちょっと無理かもな。」
田畑さんは藤本さんが芸人を辞めると思った。
藤本さんは自分がコンビには向いていないと思っていた。芸人は続けるつもりだった。
ここが少し掛け違えている部分。
この後、
一緒に暮らす彼女さんがうつ状態になられたことをきっかけに、彼女さんとご自分のADHDが判明する経緯を語られた。
逃げずに向き合う藤本さんに心打たれる。
あれだけ賢い藤本さんが、
どう考えても理解できないご自身の不器用さ。
その原因が脳の微細な障害であるとわかった時、「ホッとした」と表現された。
多くの人が通る、救われる瞬間。
私は、待つことができなくて、
自ら目ぼしい分野に飛び込んで
もがきながら掴んだ。
大切な藤本さんにその時が訪れて、
本当によかった。
中尾班YouTube
後半の中尾班YouTubeの動画では、
今後の方針が語られた。
東大×ADHD×お笑い芸人。
これまで誰も携わったことがない分野。
ADHDの認知を広げ、
ADHDの人たちの力になれたら…
動画の終わりの藤本さんは、
今後の道が開けて明るくなっておられた。
しみじみ嬉しい。
気づいてはいた。
同じ種類の人だと。
だからこそ堕ちた。
漫才の中の藤本さんは、
憧れる存在というよりは自分を重ねる相手だった。
田畑さんの柔らかい笑顔にホッとして、
頼りきって過ごした。
私のうまくいかないことを
目の前で笑いにして見せてくれた。
泣きたい私の代わりに嘆いてくれた。
だからこそ、
突然の解散宣言は本当につらかった。
寄りかかっていた壁が急に消えて、
地面に叩きつけられたような。
広くて何もない場所に一人ぽつんと取り残されたような。
半年の時を経て、
藤本さんがこの日、
ご自身のADHDを告白された。
「僕は、あなただ。」と言ってくれた気がした。
みんなができることをできない私に、
仕事はできるのに人並みに暮らせない私に、
わかっていてもやれない私に、
「僕もそうだ。」と言ってくれる。
どれだけ励みになることか。
どれだけ力になることか。
YouTubeチャンネル「東大の底辺×高さ÷2」
後編を見終わる頃には、
藤本さん自身のYouTubeチャンネルの
1本目の動画も見ることができた。
…ちょっとここで言わせてください。
私はたばふじ時代から、
藤本さんの天然パーマの髪型が大好物だ。
自分でも不思議なくらい好きでたまらない。
でも、藤本さんは仕事の時、
整髪料で髪をピチッと上げてしまって、
それはそれでかっこいいけれど、
この大好きな天パーを拝めることは滅多にない。
この日は、街録CHも中尾班YouTubeも前髪を下ろしたナチュラル気味のヘアスタイルだった上に、このYouTubeではさらに無造作加減が際立って、私はずっと悶えっぱなしだ。
すみません、変な趣味の告白で。
さて、この動画で藤本さんは、
ご自宅での撮影ということもあって、
上記2本よりさらにリラックスして、
ご自分の特性を隠すことなく朗らかに語っておられる。
特性が出るたびに現れるテロップが
後半は止まらなくなって面白い。
そう。なんということはない。
我々はこの特性とともに生きているのだ。
首の上にこの脳を乗っけて生まれてきたのだ。
ADHDの理解を広める活動をしたいと語る藤本さん。解説の名手藤本さんが、ADHDをどう語るのか。本当に楽しみ。
田畑さんのツイート
突然の3本の動画を見て、感動に打ち震え、うろうろそわそわと落ち着かず、Twitter内の仲間とわぁわぁ言い合っている間に、田畑さんのツイートが上がった。
藤本さんの一連の動画では出なかった涙が、
ここでこぼれた。
田畑さんも、今知られたのだろうか。
私たちと一緒に、この3本の動画で。
13年間の、
いや、藤本さんと出会った13歳の頃から
24年間の、藤本さんの行動の意味を。
田畑さんは、ひたすら優しい。
漫才で「どしたんや?」と肩に手を乗せる田畑さん。
コーナーで藤本さんを心配そうに見つめる田畑さん。
YouTubeで藤本さんが開けられない袋を軽々と開ける田畑さん。
ぜんぶ蘇ってきた。
私は今でも田畑藤本さんの解散が受け入れられず、再結成してほしいと願っている。
ただ、これら3本の動画を見て、初めて揺らいだ。
三谷さん「漫才はもうやらないんですか?」
藤本さん
「僕はコンビが向いてないと、今思ってます。」
人と一緒に働くのがうまくいかないのは、
自分自身もそうだから痛いほどわかる。
また二人で組んで漫才をやってほしいという願いは、
藤本さんを苦しめていはしないか?
もういい加減、藤本さんを解放してあげないといけないのではないか?
そんな中で、田畑さんのこのツイートが出た。
藤本さんについての長年の謎が
どんどんわかっていく。
田畑さんの晴れやかな喜びが伝わってくる。
これまで、
自分でもわからなくて苦しかった藤本さん。
相方の行動の意味が理解できなかった田畑さん。
でも、今はわかる。
もっと知っていくこともできる。
新しい二人として、
またやっていくことは考えないだろうか?
勉強してきた人たちにしか伝わらないと思っていた漫才が、もっとたくさんの、生き方が不器用な人たちが共感して笑う漫才になるかもしれない。
あぁ、諦めかけていたのに、
引き戻されてしまった。
よけいな夢を、抱いてしまった。
田畑さんが、
優しく受け入れてくれそうな気がするから。
田畑さんなら、
笑ってくれそうな気がするから。
無線音声放送
23:30、1ヶ月ぶりの無線音声放送。
この夜は、話したかったから嬉しかった。
藤本さんは軽快にこの日の一連の流れについて話していく。
コメント欄は、「自分も同じだ」という人たちで溢れかえっている。
だって我々の琴線に触れる漫才をするんだもの。
そこから離れられなくなった人たちが、
田畑藤本さんを応援してきたのだ。
みんなでYouTubeチャンネルの開設を祝って、
出かける準備ができないことを嘆きあって、
ラジオの継続を約束してくれて、
新しい一歩を踏み出した藤本さんの
無線音声放送は和やかに終わった。
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翌朝、外に出ると景色が1トーン明るく見えた。
目の前の霧が晴れた。
晴れるまで、
霧がかかっていたなんて知らなかった。
もはや、
藤本さんのことを「推し」とは言えない。
これは明らかに、
「推し」がくれる幸せの量じゃない。
藤本さんは「推し」を超えている。
ただ、ラジオで勢いで
「我々の救世主」と言ってしまったのは、
違うような気がしている。
その荷はきっと、重すぎる。
我々も、藤本さんも、
自分が暮らしていく、
ただそれだけのことに、
ものすごくエネルギーを使うんだった。
推し以上、救世主未満。
お互い、
纏っている特性のややこしさを嘆きながら、
直ることのないおかしな癖を笑いながら、
うまくいったささやかな出来事を讃えながら、
ゆるゆると歩いて行けたら、嬉しい。
〔別掲資料〕
パチンコお見合い
後半のツーショット場面、必見。
1/30田畑さんのインタビュー記事
田畑さん目線の解散の経緯