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「温泉水のコーヒー豆」扱うアスリートが皆で作る“幻の熊野古道” 〈ローカルグッドの視座〉

地球環境や地域コミュニティなどの「社会」に対して「良い影響」を与える活動・製品・サービスの総称を「ソーシャルグッド」と言います。こういったソーシャルグッドな活動をより地域に根を張って活動されている方々を今回、“ローカルグッドな人たち”と定義。彼らはどのような視点でローカルグッドを実現しているのか、本人に聞いた。
 
日本三美人の湯のひとつ龍神温泉は、難陀(なんだ)竜王のお告げによって開かれたと言い伝えられる秘湯。温泉が存在する和歌山県田辺市龍神村に、カフェ「豆んと森珈琲」が誕生した。温泉水を活用したコーヒー豆「ドラゴンウォッシュロースト」などでまちおこしにチャレンジしているのが、焙煎士にしてコロンビアモントレイルアスリートでもある中川政寿さんだ。

神秘的なのに親しみやすい!龍神村の地産地消

龍神村に足を踏み入れると、神秘的でダイナミックな自然が迎えてくれる。かといって近寄りがたいというわけではないのが魅力だ。
 
「この辺りは面白いフィールドですよ。和歌山県で1番標高が高い龍神岳では、冬に樹氷が見られます。龍神岳の横にある護摩檀山には道の駅があって、雪が降る季節でも車で上がれます。高野龍神国定公園ではブナの巨木がボコボコ生えていて、車で1時間ほど走れば市街地では見られないようか植生を見られます」

2015年に龍神村に移住した中川さんは、龍神村と京都を中心にトレイルランニングのガイドをしつつ、コーヒーの焙煎もスタートした。

そんなとき、龍神村の温泉街の憩いの場であった飲食店が閉店することに。クラウドファンディングで資金を募ると、目標金額の300万円を超える金額が集まり、焙煎カフェ「豆んと森珈琲」をオープン。地産地消をテーマに、自然の恵みの活用を実践している。
 
「ドラゴンウォッシュローストという、温泉水で洗ったコーヒー豆の商品を販売しています。美人の湯なのでお肌に染み込みやすく、汚れも落ちやすい。その温泉水を豆に適用してミネラルを染み込ませ、皮を洗い流してから焙煎することで美味しくなりました」

中川さんはカフェ運営のほか、龍神村の豊かな大地でサツマイモを栽培中。人口減少によって休耕地が増える中、地域の資源活用にも貢献している。
 
「クラウドファンディングはソイルワーキングスという会社と一緒に取り組みました。僕がパタゴニアで働いていたときの1個上の先輩が代表をしているんですよ。僕が畑もやりたいと言ったとき、『サツマイモならなんぼでも買うよ』と提案してもらいました。一緒に龍神村を盛り上げるスタンスで、サツマイモを栽培をしています」 

「環境にいいことを」走り続けてたどり着いたライフスタイル

奈良県北葛城郡王寺町に生まれた中川さん。焙煎士、サツマイモ栽培、トレイルランナーと多彩なフィールドで活躍中だ。自然との関わりを考えるようになったのは、中学生の頃に遡るという。
 
「進路を考えたとき、どういう大人になろうか、山で暮らせば環境や自分の人生に負荷なく生きられるのかなと思ったんですよ。漠然とですが、環境に携わりたいと思ったことが記憶に残っています」
 
高校では陸上に打ち込み、シドニーオリンピック金メダリスト高橋尚子さんの出身校である大阪学院大学に進学。800メートル、1500メートルの中距離走選手として活躍した。
 
「ガンガンに飛ばしてどれだけ自分を追い込めるか、みたいな競技です(笑)。大学では環境サークルにも入っていたのですが、太陽光発電がちょうど出始めた頃。卒業後は神戸の太陽光発電の会社に就職しました。戸建て営業みたいなことをしていたんですけど、2年ほどでその会社が潰れてしまい......」

「奈良に帰って、小学生に陸上を教えるアルバイトを始めたんです。その頃にパタゴニアと出会い、トレイルランニングという競技を知りました。アスリートとしてトレイルランニングを始めて、パタゴニアの大阪心斎橋店で働くように。もう少し収入を増やしたいと思って、(職場の)近くにスタバがあったので面接を受けてみました」
 
仕事は世の中にたくさんあるのに、どうしてスタバを選んだのだろう。
 
「実はコーヒーを飲む習慣はなかったんです。ですが環境にいいことをしている企業で働きたくて、調べたらスタバが出てきたんです。面接でも『僕はコーヒーはあまり飲まないんですけど、環境にいいことをやりたいんです』と伝えたら受かって、そこからコーヒーの楽しみ方やコーヒー豆の味の違い、サードプレイスのような空間づくりを学びました」

トレイルランニングでさらに上を目指すために、一時はパタゴニアを退職。さまざまな大会で表彰台に立つほどのアスリートに。住まいを京都に変えつつも、スタバの仕事は10年ほど続けていた。
 
「京都にアウトドアのフィットネスクラブができるということで、パタゴニアのスタッフ繋がりで声がかかりました。スタバの仕事は、京都店に異動させてもらえたので続けられたんですよ。その頃、トレッキングのガイドもお願いされるようになり、山でコーヒーを淹れ始めるようになりました」
 
「今は昔ほど大会に出ていないんです」と語る中川さん。トレイルランニングの裾野を広げる活動も楽しいという。
 
「タイムや心拍数を上げて走るのではなくて、気持ちよくなるためのトレイルランニングですね。年配の方でも走れるような、誰でも楽しめる方法です。こっちの方が性に合っているようにも思っています」

“幻の熊野古道・奥辺路”のトレイル整備

中川さんが龍神村で新たに始めたのが「ネイチャーアクティビティツアー」だ。地域ならではの自然の成り立ちを肌で感じることができる。中でも気になるのが「幻の熊野古道 奥辺路」の散策だ。
 
熊野古道は、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された世界遺産。対して奥辺路とは、熊野古道には数えられていないものの、古来より地域の人や修験者が歩んできた由緒ある道だという。

「熊野古道が世界遺産に登録されたときはまだ、奥辺路は歴史に埋もれていました。近年、龍神村の村おこしとして再生しているところです。ですが世界遺産の追加登録を狙うには物証などがないといけません。龍神村に残っていた文献は火事で焼失してしまったので難しいんです」
 
世界遺産に含まれないことは痛手かと思いきや、メリットもあるのだと教えてくれた。
 
「世界遺産になると、僕たちは手を入れられなくなるんです。文化庁や環境省の方針次第で変わっていくこともあります。奥辺路は世界遺産ではない分、環境に適したトレイル整備の視点から手を入れられますし、自分たちで学びながら進めていけるのは魅力のひとつです」
 
そこでツアーに取り入れたのが、奥辺路の「道普請」だという。
 
「山を歩いたり走ったりして、さらに奥辺路のトレイルを整備できるのが道普請です。人が歩くと土が固められ、そこに水が流れ出します。ところが大雨などが降ると道の真ん中が削れたりするので、ステップを作って整備します」

「たとえばトレイルの外に水を流すための加工をする際は 『この道には傾斜があるから、こういうステップ作りましょうか』という風に、周囲の環境に合わせて整備するんです」
 
自然豊かな山々は、歩いているだけでも楽しい。けれど自分の手で道普請をすると、景色が変わってくる。
 
「道普請をしてみると、ステップがついている意味がわかってきます。普段から自分が歩いている道に対しても優しい気持ちになれると思うんです。トレイルランナーはレースの前に整備するのが常識になりつつあります。山で遊ぶ者として、トレイル整備の価値を上げていく活動を広めていかないといけないですね」

人と自然が共生したから生まれる「文化的景観」とは

2022年からは、地域の小学5年生を対象とした「森林環境学習ツアー」を実施。地域の自然や文化の魅力を伝えるガイド「インタープリター」として、子どもたちと自然のコミュニケーションをサポートしている。
 
「田辺市と登山アプリ『YAMAP(ヤマップ)』さんと一緒に取り組んでいます。学校教育として森林が大切だと知ってもらいたいのですが、自分の生活と森林がどんな風に繋がっているのかを伝えないと、子どもたちは腑に落ちないんですよね」

「僕だったら、山が好きでトレイルランニングをしているから道を整備しています。そういうバックグラウンドがあると、子どもたちにも伝わりやすい。アートと森林環境教育を繋げるインタープリターもいますし、その人ならではのスタイルで教えています」
 
2024年は市内16校でツアーを実施。2025年には20校への実施を予定しているという。さまざまな活動をしている中川さんだが、その軸となるものを聞いてみた。
 
「文化的景観という言葉をエコツーリズムのテーマとして考えています。文化とは人の生活で、自然環境に対して効率のいい生活をしてできあがったのが文化的景観です。たとえば雪国では、雪に対応するために屋根が合掌造りになりましたよね」

「龍神村の文化的景観は、水が豊かなことだと考えています。龍神は水の神様です。林業が営まれてきたのも豊かな水があるからですし、龍神温泉も龍のお告げで開いたと伝えられています。違和感なく目に入ってきたものが文化的景観だと思うんですよ」
 
文化的景観は、人と自然が共生してきた証のひとつ。中川さんは龍神村で今後、どんなローカルグッドな生き方を実践していくのだろう。
 
「僕は体験を推していきたい。まちおこしは、まちが一丸となって同じビジョンを持たないといけません。他の地域が成功している方法を真似すればいいのではなくて、その地域のフィールドの特徴や文化を捉えた上で、体験を打ち出さないと空回りするんじゃないかな」
 
何気なく見ていた風景も、ローカルの歴史や自然を理解すると文化的景観として解像度が上がってくる。奥辺路の道普請のように、地域に関わりを持つ体験がこれからのローカルグッドに求められていそうだ。

豆んと森珈琲


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