日本在宅救急医学会の道のり②
「在宅医療と救急医療の一つの病院連携」をオールジャパンで考える
始まりは、前章でお話しした、第44回日本救急医学会総会・学術集会が行われた、品川のホテルのラウンジでした。わたくしと照沼先生は、パネルディスカッションを終え、たくさんの質問と取材依頼に対応し、興奮した心と、疲れた頭をいやすために、コーヒーを飲みながらソファーに寄りかかっていました。そこで、こんな会話が交わされました。
小豆畑:照沼先生、大変なことになっちゃいましたね。芯をつく質問をされて、思わず、この「一つの病院連携」の可能性を真剣に考える会を作るみたいなことを、みんなの前で言ってしまいました。もう、逃げられませんよね?
照沼先生:言っちゃったんだから、もう駄目だろう。なんか研究会でも作って、来年のこの学会で報告するしかないんじゃない?研究会やろうよ。僕が在宅医を2-3人集めて、小豆畑先生が救急医を数人集めて、話せばいいんじゃない?会の名前どうする?
小豆畑:在宅医と救急医が話す研究会だから、在宅救急研究会とか?うーん、在宅と救急をくっつけるのは、なんか、変で気持ち悪いです。大体、全く違う診療科名をくっつける研究会って聞いたことがありません。これは、だめですね。何かほかにないですか?
照沼先生:小豆畑先生、ちょっと、待って。在宅救急・・・。在宅救急研究会、いいよ。
小豆畑:えー、先生、本気ですか?やっぱり、変ですよ。
照沼先生:在宅医と救急医が同じ場所に集まって、地域医療について一緒に考える研究会。これ、世界初だよ。在宅救急研究会、いいよ。これは、数人集まってとか言っていちゃだめだ。小豆畑先生、ちゃんとやろうよ。日本を代表する、オールジャパンの研究会を作ろうよ!
小豆畑:照沼先生、本気ですか・・・?
照沼先生:本気。日本を代表する研究会を作ろう!それなら、研究会名は、日本在宅救急研究会だ!
小豆畑:先生、いきなり、日本ですか・・・。なんか、やばくないですか?大丈夫ですか?
信じられないかもしれませんが、本当に、こんな15分くらいの会話で、研究会を立ち上げることと、その名前が決まったのです。
代表世話人の言葉
私と照沼先生は、自分の時間の多くを割いて、この研究会の発足の準備をしました。もしかしたら、この研究会が日本の地域医療を変えるかもしれない。これをきちんとかたちつくるのは、自分たちの責任だ。と、考えていたのだと思います。発起人は私たち二人です。発起人が、最初にやらなくてはいけないことがいくつかありました。まずは、研究会を運営するコアメンバーである世話人の人選です。そして、もっとも大切なのが、代表世話人の制定です。所謂、この研究会のトップを決めることです。発起人がそのまま、代表世話人になる場合も多いのですが、私たちは、この研究会を同学の徒の勉強会ではなく、発信力のある団体に育てたいと思っていたので、それにふさわしい学識と知名度のある方にお願いしたいろ思っていました。しかし、こんな小さな研究会の代表に、しかるべき人が就任してくださるとは思えませんでした。困った私は、照沼先生に相談しました。そして、この時も、照沼マジックがさく裂したのです。照沼先生は、第44回日本救急医学会総会・学術集会の会長をされた横田裕行先生にお願いしようとおっしゃるのです。なぜなら、「あの学術集会での発表をきっかけに、この研究会の発足を決意したから」、「あのセッションを考えた先生であれば、我々の意思をご理解いただけるはずだ」、というものでした。
照沼先生とは、不思議な人です。在宅医なのに、プライベートでも自分は車を運転しません。いつも、秘書のおじさんがそばに控えていて、先生を車に乗せています。それなのに、車に詳しくて、車が好きなのです。背が高くて大きな体に、いつも、ニコニコ笑顔を浮かべている。「いばらき診療所の照沼です。茨城県の北のほうで訪問診療をやっています。」、挨拶はいつもそれだけ。それで、どんな人にも会いに行ってしまう。思いついたら、パッと、です。その行動がうまくいけば、ニコニコが増える。うまくいかなくても、「ダメだったね」と、また、笑うだけです。私が照沼先生に何かを相談すると、「小豆畑先生、○○さんに会いに行こう。連絡して。」「わかった。それは○○さんだな。紹介するよ。いつ、時間ある?」いつもこんな感じです。そして、私は照沼先生に引っ張られて、たくさんの人にお会いするようになりました。この時も、そうでした。照沼先生が「横田先生に会いに行こう」とおっしゃられて、最初こそ、お会いしても無理じゃないかなと思いました。でも、照沼先生が「会いに行こう」と私を連れて行ってくれる時、いつも何らかの進展があるのです。この時、すでに、私は照沼先生のそういう不思議さを何度も経験していたので、自然と、昔いただいた横田先生のお名刺を、名刺ホルダーから探し出して、初めて横田裕行先生にメールを送ったのです。
私と照沼先生が、横田裕行先生にお会いしたのは、2017年2月27日でした。横田先生が主催された、日本救急医学会学術集会から、3か月が過ぎていました。私は、横田先生に説明するために用意した研究会の資料を何度も確認して、緊張していました。「横田先生が開催された日本救急医学会の学術集会で発表し、在宅の話に皆がどれだけ真剣であったかということ」「私たちは、在宅医療と救急医療が一つにならないと地域医療はよくならないと考えていること」「そのためには、在宅医と救急医が一緒に話し合う場が必要であること」これらを用意した資料を見ていただきながら、一気にお話ししました。横田先生は、真剣なまなざしでわたくしの話を聞いてくださいました。時々、小さく頷く姿に勇気をいただきながら、私は一所懸命に説明しました。おそらく、40分くらいも話したと思います。そして、私は切り出しました。「私たちは、先生の学術集会を経験したことで、この研究会を発足しようと心に決めました。だから、どうしてもこの研究会の代表に先生をお迎えしたいです。横田先生、お願いできませんでしょうか?」。
横田先生は、しばらく、考えていらっしゃいました。そして、こうおっしゃいました。「私は救急医です。ずっと、救急の世界で生きてきました。だから、照沼先生に教えてほしいのです。先生たちのお考えが広まれば、在宅医療はよくなりますか?」照沼先生は答えました。「小豆畑先生が考えている一つの病院連携は、在宅医にも救急医療に参加することを要求することになります。おそらく、反発する在宅医も多いと思います。ですが、一つの病院連携が当たり前になれば、在宅医療がどうというよりも、地域で生きる患者さんのためになると思います。そのためには、在宅医も、もうちょっと頑張らないといけないのかもしれないと考えています。」この言葉を聞いたあとに横田先生は深くうなずいてこうおっしゃられました。
「在宅医も、救急医も、患者さんのためにもう少し頑張れ、ということですね。わかりました。私に何ができるかわかりませんが、照沼先生と小豆畑先生に教えていただきながら、私も頑張ってみましょう。代表理事をお受けさせていただきます。」
日本在宅救急研究会設立まで
代表理事に横田裕行先生の就任が決まり、2017年の初めから、日本在宅救急研究会設立の準備を、私と照沼先生は急ピッチで進めました。その中で、私と照沼先生には不安がありました。この研究会は普通の医者の研究会とは違ったからです。一般的な研究会とは、一つの疾患または病態に対して、複数の専門家が、その治療法などを、専門知識を持ち寄って考えていくのです。例えば、以前、私が行っていた敗血症研究会などもそうです。敗血症(細菌感染により引き起こされる重篤な病態)の病態の解析や治療法を、感染症治療の専門家が抗菌薬治療法から考え、集中治療医が重症管理の視点からアプローチし、外科医が感染源の外科手術について言及していく(わたくしの専門はこれです)、それを集約して敗血症治療をすこしでも進化させる。しかし、日本在宅救急研究会はそうではありません。疾患でも、病態でもないのです。医療体制の変革で、地域医療をより良いものにしていこうというもので、いわゆる社会医学といわれる領域に属するものでした。このような研究会には、どうしても、医療倫理や、医療に対する国の動向や政策にも詳しい人が必要でした。我々にはそういう知識は乏しかったので、補っていただく方を私たちは必要としていたのです。
その結果、野中博先生と会田薫子先生にこの研究会への参加をお願いしたのです。野中博先生は、クリニックの院長でありながら、20年前から在宅医療の必要性を唱え、東京都医師会を中心に、在宅医療の充実に尽力された先生です。会田薫子先生は、死生学の専門家で、end of life care (終末期の医療)のあるべき姿を長年、研究されてきた方です。この本を執筆にあたり、会田先生が書かれた「長寿時代の医療・ケアーエンドオブライフの論理と倫理(ちくま新書)」を、私は、終末期医療の辞書のように使わせていただいています。このお二人に参加していただくことで、私たちは安心して、日本在宅救急研究会を始める自信が持てました。
(写真)日本在宅救急研究会設立の準備
2017年3月 私と照沼秀也先生は、二人で研究会設立の準備を急ピッチで進めていました。夜遅くまで、小豆畑病院の会議室で、趣意書や世話人の人選を行いました。後ろで立っている左端が筆者、その隣が照沼秀也先生。