テレワークゆり物語 (97)12年前、四ツ谷にオフィスを置いた野望
東京にオフィスを置くなら、四ツ谷がいい。
ずっとそう思っていた。一番の理由は、母校があるから。
私が東京に住んだのは、大学4年間だけ。それ以外は、すべて地方。
東京で知っている地域は、四ツ谷周辺だけなのだ。
ベンチャー企業が大学の近くで創業する例は少なくないが、まったく違う。私に、上智大学と学問的・ビジネス的な大学とのつながりは、まったく無かった。
しかも、卒業したイスパニア語学科には「ゼミ」が無く、さらに劣等生だった私には親しい教授もいない。大学に行くと訪問するのは、体育会卓球部の顧問の先生だけだった。
2008年、2つめの会社として、(株)テレワークマネジメントを起業した。本社登記は、私が住む北見市。とはいえ、「日本初のテレワーク専門のコンサルティング会社」と銘打つ以上、やはり東京にオフィスを置かなくては。
2010年春。東京で社員を1名雇用し、四ツ谷周辺でオフィスを探し始めた。
探し始めて知ったが、オフィスの賃料の高いこと!
不動産会社からは、上智大学周辺で社員10人ぐらいのオフィスだと、月40-60万円と言われた。(当時)
とんでもない。
その頃は、「テレワークって電話の仕事?」と言われた時代。しかも、在宅勤務は、福利厚生のひとつでしかない。コンサルティングを依頼してくれる企業なんて無い。銀行にも頼らざるを得ない苦しい経営の日々だった。
「(大学周辺ではなく)四ツ谷駅の向こう側だと、安い物件があります」
不動産会社の担当が言った。
しかし、四ツ谷駅の向こう側だとダメなのだ。
そこには、「大学の近く」という理由とは別に、私の野望があった。
いつか、国のテレワークの仕事をしたい
霞が関も、永田町も、千代田区。国の中枢は千代田区だ。
企業としての信頼、国の事業への真剣度を示すためにも、名刺に書く住所、事業に入札する住所を、千代田区にしたい。
・・・と言ったら、笑われるので、当時は言わなかったけど。笑
上智大学は、四ツ谷のイメージが強いが、住所は千代田区。一方、四ツ谷駅を含む向こう側は新宿区。また、駅の西に広がる赤坂迎賓館は港区。三つの区がせめぎ合う地域だったのだ。
「やっぱ、千代田区にオフィスなんて、無茶だったか」
ショボンとしながら、懐かしい大学の裏門近くを歩いていたら、セブンイレブンがあった。気分転換に飲み物を買って、外に出る。
ふと、窓に貼られた「空室」という張り紙が目に入った。そこは、高層ビルと新築マンションに挟まれた、古めの小さなマンションの一階の窓だった。
賃貸住宅だけど、1階の隣は美容室のよう。ビジネス利用もOKのはず。すぐに、不動産屋に連絡した。
そこは、見事なワンルーム。トイレと浴室は同じ空間。
オフィスとしては、狭すぎる。
しかし、私がこだわった3点を見事にクリアしていた。
上智大学の裏門から歩いて1分。
住所は、東京都千代田区二番町。
家賃は、13万円。
狭くてもいいのだ。
テレワーク中心の会社を目指しているので、社員全員が入れなくてもいい。
むしろ、テレワークがちゃんとできれば、狭いオフィスでもここまでできる! いわば「テレワークのショウルーム」のオフィスにしよう。
今でこそ、テレワークする社員が増えたので、オフィスを狭くするというのは珍しくない。
しかし、当時は、あまりの狭さに来客者を驚かせたのは、言うまでもない。
そして、12年経った今も、弊社のオフィスはココである。社員は15名になったが、まったく問題ない。
だって、テレワークの会社のオフィスだもの。
#冒頭の写真は、オフィスを借りて、机と椅子を入れた頃の写真