テレワークゆり物語 (184) 九品寺の彼岸花の思い出
「あれは毒花やから、興味あらへん」
毒花? なんてこと言うねん。
娘がせっかく、満開の彼岸花を見に連れったる言うてんのに。
奈良の御所市に彼岸花が咲き乱れるお寺があると聞き、体調のすぐれない母の気分転換にと誘ったのは、2022年秋のことだった。
彼岸花はこどもの頃の秋の思い出
母にはバッサリと断られたが、
実は、私が見に行きたかったのだ。
私が奈良の生駒で育った幼い頃、やんちゃ娘だった私は、近くの田んぼや川で元気に遊んでいた。
たんぼの黄色い稲穂の中、ひときわ映える、真っ赤な彼岸花。
私の幼い頃の秋の思い出に、彼岸花は欠かせなかった。
でも、実家は駅の近くにあり、今は建物ばかり。
彼岸花を見ることはほとんどない。
私が住む北海道は、建物は少ないが、(寒すぎて)彼岸花は自生していない。
九品寺までの母と最期のドライブ
「まあ、そう言わんと」
私は、ほとんど無理やりに、母を車に乗せ、御所市に向かった。
目的の「九品寺(くほんじ)」まで、約30km。一時間半はかかる。
(北海道だと30分だけどね)
「そんな、遠いとこ、しんどいわ」と母は文句をブーたれていたが、
道中、母が若い頃カラオケで十八番だった「なごり雪」や「五番街のマリー」を一緒に歌って楽しく過ごした。
トイレに立ち寄ったローソンで、農家の出店「みかんの袋詰め込み放題」を発見。勝負ごと(特にパチンコ)が好きな母は、さっそく挑戦する。
「ほんまに体調悪いんかい?」
と言いたくなるほど、楽しそうにみかんを詰め込んでいた。
ようやく到着した「九品寺」は、奈良時代の層『行基』が開いたお寺で、1300年の歴史を背負ってひっそりとただずんでいた。
これが母との最期のドライブになるとは、その時は想像もしなかったが、本当に楽しい時間だった。
信じられないほど、美しい奈良の風景
九品寺の周りには聞いていた通り、彼岸花が各所に咲き乱れていた。
人が花を植えて作った、花畑の美しさではない。
仏様が私たちを幸せにするために、そっと添えてくださったのかと思うぐらい、自然な美しさだ。
それなのに、母は駐車場の車から出ずに「あんたひとりで行っといで」
と、道中に買った果物で心がいっぱいだ。(笑)
中でも、私が一番感動したのは、奈良の山々を背景にした風景。
この風景は、奈良でしか、ここでしか、見ることができない。
ああ、来てよかった。
そして、また来たい、と心から思った。
あの風景は「最後」だった事を知る
母との彼岸花ドライブから2年が経った、2024年9月6日。
高校の同級生のLINEグループ(写真部)から、『奈良県には最強に美しい彼岸花の絨毯がある』というXのツイートがバズっていると知った。
あの日のドライブの思い出がよみがえり、うれしくなった。
今度は夕方に行きたい!
しかし、コメントを読むと、
多くの人が「映え写真」撮影のため押し寄せ、花を踏み倒したり、近隣の住民に迷惑をかけたりするので、2023年の秋は、フェンスを作り見ごろになる前に彼岸花を刈り取ったとのこと。
確認したところ、本当だった。
2024年はどうなるのかわからないが、富士山ローソンの黒幕よりも以前にこのような悲しいことが起こっていたとは・・・。
「美しいものを見たい」「美しいものを記録したい」「美しいものを見てもらいたい」その気持ちは、私も同じ。
でも、自然を壊したり、人に迷惑をかけたりすることは、決して「美しい」ことではなく、「醜い」こと。
長く愛されてきた、地域の風景が、このような形で消えてしまうなんて悲しすぎる。
どうか、このようなことが、繰り返されませんように・・・
そんな思いをこめて、このnoteを書いた。
「毒花」は母の勘違いではなかった
後日、母が彼岸花のことを「毒花」と言ったことについて、調べてみると、本当だった。
彼岸花には「毒性」があり、特に毒が多く含まれる球根は、食べると食中毒を起こす。重症の場合は死に至ることもあるらしい。
母は、こどもの頃から、彼岸花に近づかないよう「彼岸花は毒花」と教えられてきたのだろう。
母の得意な「勘違い」と思ったことを反省する。
毒を持つ彼岸花は、ネズミやモグラなどの害獣から農作物を守るため、たんぼのあぜ道に植えられていたということ。
お墓を守るために、お寺のまわりに植えられることが多かったことも、後から知った。
一方で彼岸花は、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれ、“天上の花”というおめでたい意味ももつとのこと。
母は、あちらの世界でも、美しい曼殊沙華の花を見つけては
「これは毒花や。近づいたらあかん」
と、言いまくってる気がする。笑