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テレワークゆり物語 (106) 『晴れ女と雨女』論
私は、自称「晴れ女」だ。
ここ数年、傘を持ち歩いていない。
建物の外で雨が降っていても「私が出るときは上がる」
行先が雨の予報でも「私が着く頃には上がる」
と豪語する。
しかし、当然のことながら、その場所にいる一人の人間によって、天気が左右されることはありえない。「晴れ女」や「雨女」は、非科学的なものであることも理解している。
正直に言うと、雨に降られることが無いわけではない。
ただ、少しなら濡れても気にしないし、誰かの傘に入れてもらってしのいでしまう。だから「傘を差した」「雨に降られた」という印象が残らない。
しかし、天気予報に反して快晴だったり、雨が上がったりすると、自分の手柄のごとく、「ほ~らね」と自慢する。
一方、自称雨女は「私のせいで雨が降るかも」と、常に傘を持ち歩く。
そして、小雨でも降り出そうものなら、「やっぱりね」と傘をさして、自分が「雨女」であることを再確認する。
彼女たちには、天気予報で雨マークがでいたにもかかわらず、雨に濡れながら走る自称晴れ女(わたし?)たちは、とうてい理解できない。
晴れ女は「前向き」「能天気」で、雨女は「心配性」「慎重派」。
どちらが良くて、どちらが悪いわけでもない。
無粋なのは「晴れ女や雨女なんていないから」と、正論をいう人。
ええやないですか。晴れ女も雨女もいるから、世の中面白いんです。だって、私も何回も雨女さんの傘に入れてもらっているもの。ww
これもダイバーシティ。
なんて自論を語りたくなる、梅雨の時期がやってきた。
#冒頭の写真は、ジュネーブのアンブレラスカイ