テレワークゆり物語 (179)「スイスで子守りワーケーション」への道のり
「長女に会いに、スイスのジュネーブに行きたい」
その願いが叶い、私は今、2週間の「スイスで子守りワーケーション」を過ごし、帰路の飛行機の中でこの原稿を書いている。
とても充実した旅となり、書きたいことがたくさんあるが、まずはここに至る長い道のりの話をしたいと思う。(個人的な話です)
スイスでワーケーションをしよう!
最初にスイスに行きたいと思ったのは、5年ぐらい前のこと。
長女が、最初にスイスのジュネーブで働き始めた頃だ。
とはいえ、ヨーロッパは、遠すぎる。
移動も大変だし、数日の滞在では物足りない。
何より、私が長期に休むと、社員が困るだろう。
(私が思っているだけかもしれないが。笑)
「そうだ!スイスでワーケーションをしよう」
ちょうど地方活性化の目的から「ワーク」と「バケーション」を組み合わせた「ワーケーション」という言葉が注目され始めていた時期だ。
いつもと違う場所へ旅して、そこで仕事(テレワーク)をする。
もちろん、その地で休暇(バケーション)も楽しめる。
仕事と休暇の両立。まさに一石二鳥ではないか!
そう。最初は軽く考えていた・・・
コロナ禍が始まり断念
かくして、2020年3月。
数か月前から社員に予定を告知し、仕事の調整をし、航空券も手配して、その日が来るのを楽しみにしていた。
しかし、2020年2月頃から新型コロナウイルスが日本にも広がり、予定していた3月には、とても渡航できる状況ではなくなった。
「しかたない。この騒動がおさまったら、また企画しよう」
そう自分を納得させたが、コロナ禍は簡単には収束をしなかった。
追い打ちをかけるように、コロナ禍真っ只中に、両親の介護が始まった。
翌年には、母が入院・手術。さらに私までも大病を患い、
海外旅行どころではない状況に陥る。
一方、長女の勤務地は、ジュネーブからエジプトに・・・。
「スイスでワーケーション」は、かなわない夢となった。
コロナ禍収束で再燃
2021年、長女は結婚し、2022年にはパートナーと共に一時帰国。
北見と奈良の実家で、ウェディングドレス姿を見せてくれた。
その後、長女は再びジュネーブへ赴任する。
父と母の生活も、デイサービスに行くなどして落ち着いてきた。
リモート介護も順調だし、しっかり準備すれば行けるかもしれない。
夢がまた現実に近づいてきてくれた。
父の介護で北見と奈良の二地域生活へ
しかし、その年の秋に、母が突然の他界。
ひとりになった父のお世話のために、私は北見と実家のある奈良の二拠点生活となる。
テレワークのおかげで、仕事に支障はないものの、さすがに長期の旅行はできないだろう。
「スイスでワーケーション」の夢は、再び遠のいてしまった。
「三度めの正直」はあるのか?
父のこと、自分の体調のこと、いろいろ考えると、やっぱり無理か。
「気持ち悪いほど前向き」な私にしてはめずらしく、イジイジしていたら、
「おかあさん、行きたいんでしょ。行っといで。なんとかするから」
日本にいる次女・三女が背中を押してくれた。
コロナ禍が収束しそうな2023年の初夏をターゲットに、三度めの「スイスでワーケーション」を企画した。
おめでたい理由で延期
「赤ちゃんができたよ!」
スイスの長女から、LINEビデオで、嬉しい報告が届いた。ヤッター!
長女曰く
「予定していた時期はつわりでつらい時期。せっかく来てもらっても案内ができない。出産後に手伝ってもらう方が助かる」
確かに。
せっかく行くなら、赤ちゃんにも会いたい。
三度めは、納得の延期である。
そして『子守りワーケーション』に
出産予定が2024年1月なので、その頃に行けるかな。
と思っていたら、その時期のスイスは寒いし、産後は長女のパートナーが専任でサポートしてくれるとのこと(素晴らしい!)。
そしてついに、2024年7月。
長女の育休が終わり、赤ちゃんの保育園が始まる「すき間」を埋めるため、私のスイスワーケーションは、「子守りワーケーション」となった。
2週間、スイスのジュネーブに滞在し、平日は(現地時間の)午前中はテレワーク、午後は子守り。休日は、バケーション(観光)を楽しむ。
たった2週間、されど2週間。日々の暮らしの中で、感動や驚き、新しい発見など、今後の仕事(ワーケーションや二地域居住)につながる、たくさんの経験をすることができた。
(苦労話も含めて、あらためて報告したい)
今回の旅で一番嬉しかったこと
今回のワーケーションで一番嬉しかったのは、
(リアル孫に会えたのはもちろんだが)
長女が「母」になっている姿を見れたこと。
長女を産み、初めて「母」になったときを思い出し、うるうるした。
2024年7月18日
日本に向かう飛行機内にて
※冒頭の写真はジュネーブに着いて初めての休日に訪れたレマン湖のほとり