テレワークゆり物語 (87) オホーツクの流氷は本当に燃えたのか?
流氷は本当に燃えたのか?
流氷は、ロシアの海や川で凍った氷がオホーツク沿岸にたどり着いたもの。もちろん、燃えるわけがない。しかし、作家・三浦綾子氏の「続・氷点」の最終章「燃える流氷」には、氷が赤く染まる様子がリアルに描かれている。
特に、三浦綾子氏のファンというわけではない。ただ、以前、網走の二ツ岩の近くのホテルに宿泊した時、
「三浦綾子さんが、このホテルで、夕日が当たり赤く染まる流氷を見て、『続 氷点』のラストシーンを執筆した」
と教えてもらって以来、ずっと気になってきたことがあった。
オホーツクの流氷の話をnoteに書くにあたり、名探偵ゆりりん(笑)が、調査を開始した。調査テーマは、
本当に流氷は燃えたのか?
そのホテルのすぐ前はオホーツク海。裏側は、能取岬に続く山。ホテルの全室の窓は、東にある知床半島を向いている。普通に考えると、
ホテルの窓から、西に沈む夕日は見えないのではないか?
名探偵ゆりりんは、Amazonで「続・氷点(下)」kindle版を購入して、該当部分を何度も読み返す。
なるほど。「宿の裏山」(西)から差し込む夕日の強い光が流氷に反射し、赤く燃えるように見えたのか。
太陽は、南から北方向へ少しずつ移動しながら沈む。東に向いている窓から見ると「右から左」になるではないか!
しかし、名探偵ゆりりんには、まだ疑問が残っていた。
「燃える流氷」の写真が、ネット検索をしても、ほとんど存在しない。もちろん、夕日に染まる流氷の写真はあるが、太陽が映っているものがほとんどだ。つまり、三浦夫妻が見た、夕日の反対側ではない。また、やさしい赤色で、燃えるような赤ではない。
そのホテルからしか見れない風景なのか。
実は、ホテルは廃業し、今は「サービス付き高齢者向け住宅」となっている。とはいえ、廃業は2010年。宿泊者が見ていれば、ネット上に何らかの痕跡が残っているはずだ。
名探偵ゆりりんは、考えた。まだ、何かある。
調査(ネット検索)を続けると、三浦綾子の夫、『三浦綾子創作秘話』に、「燃える流氷」の話が書かれていることを発見。さっそくAmazonで調べると、なんとkindle版が無料だ! すぐに読んでみた。
三浦夫妻にとっても、このときの「燃える流氷」は、心に残ったのであろう。そして、名探偵ゆりりんの疑問もここで解明できた。
えっ、3月末????
4月4日????
『燃える流氷』は、4月に入って現れた!?
流氷は、ほとんど3月中にオホーツクの沿岸から消えてしまう。それが、4月4日に戻ってきたとは、驚きだ。
実は「裏山から差しこむ夕日」にも疑問があった。裏山はホテルよりはるかに高く、その上からの夕日だと、まだ「燃える」ほどの赤さになっていないのではないか。ホテルの横から低いラインで夕日が差し込む必要があるのではないか。
この答えが、「4月4日」である。1970年のこの日の「日の入り」の方向を調べてみた。(日の出日の入りマップ)
裏山ではなく、裏山の横の低い土地を経由して、ホテル前の海に強くて赤い夕日の光が差し込んでいたのだ。
かくして、名探偵ゆりりんの謎は解けた。
しかし、悲しい事実がある。
近年、地球の温暖化で、流氷が去るのが早くなってきている。網走での「海明け」が、4月に入ったのは、2008年が最後だ。
さらに温暖化が進むとなると、4月に、二ツ岩の海岸が流氷で埋め尽くされることは、もう無いのかもしれない。
また、その流氷が、雪に覆われていると、夕日の光を吸収してしまい、流氷は「燃えない」。
名探偵ゆりりんによると「燃える流氷」を見るための条件は、以下。
網走周辺で、東に面した海岸であること
4月初旬に、流氷がその場所に接岸していること
その流氷に雪が積もっていないこと
その日の日の入り時間、夕日に雲がかからない快晴であること
つまり、この4つの条件がそろわないと「燃える流氷」は見ることができないのではないか。これが正しければ、ネットに痕跡が無いのも理解できる。
ちなみに、1970年の「海明け」は、三浦夫妻が流氷を見た翌日の4月5日である。
「燃える流氷」は、三浦夫妻のために、いや「続 氷点」のために、神が起こした奇跡だったのだろう。
※冒頭の写真は、そのホテルから見える流氷と世界自然遺産の知床半島。