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テレワークゆり物語 (81)ひとり娘といくらと涙

私は「いくら」が大好きだ。
だから、幼い頃から、家族でお寿司のにぎりを出前注文したときは、必ず「いくら」を私がいただいていた。

「由利、いくら大好きやろ。全部食べてええで。」
大好きな「いくら」を最後に残し、美味しそうに食べる私を、両親は幸せそうに眺めてくれた。
私は、ひとり娘。我が家では、お姫様だった。

ある時、親戚一同が集まる会で、にぎりの出前を頼んだ時のことだ。
いつものように「いくら」を食べれると思っていた私を、衝撃的事実が襲った。

「さあ、最後にいくらを食べよう」と、寿司桶を見たら、いくらが無い!
従弟のきょうだいが、我こそはと取り合って、先に食べてしまっていたのだ。

私は「いくら」を堪能するために、みんなが避ける固めのイカ握りやサパサパの胡瓜巻を先に食べてきたのに・・・それはあまりにも酷い仕打ちではないか。

寿司桶をじっと見つめながら、私は割りばしを持ったまま、固まった。

そして、目からひと筋の涙が流れた。

その涙を見た従弟は、「由利ちゃん、どうしたん?」
気の強い従妹の由利ちゃんの涙に、オロオロするばかりだった。。。

この経験で、私は「きょうだい」がいる家庭において、日々、私の知らない「戦い」が繰り返されてきたことを初めて知った。

それ以来、のんきなひとり娘は、
「本当に欲しいものものは、先に取る」ことを学んだのだった。

ちなみに、このエピソードは、私が小学生のときではない。
大学一年生、初めて年末年始に帰省したときの話である。(爆)

※冒頭の写真は、北海道北見市の回転すしトリトンのいくら。40年後には何個でも食せるようになることを、あの頃の私に教えてあげたい。


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