「アイマスのアニメ」2020年7月6日の日記
朝食。昨日父親が潮干狩りに行ったらしく、あさりの味噌汁を飲んだ。
軽い二日酔いだったので、かなりありがたかった。
そして出汁もバッチリ出てて、赤味噌をしっかり引き立ててた。
実家は愛知県なので、赤味噌を中心に合わせ味噌と配合している。
夜中に起きて全く寝れず朝を迎えたので、朝ごはんを食べた後1時くらいまで寝ていた。
不健康さが立つなぁ。
昼ごはんを食べて、アイドルマスターのアニメを見始めました。
流石のクオリティだ。
王道というか、古典というか、ベタを抑えつつ意外な展開もある。
1話1話があっという間に終わっていく。
脚本家は相当な手練れだと感じた。
まず、アイマスはアニメスタートの作品ではない。
似たような印象で語られるラブライブ!はメディアミックスを前提とした組み立てになっていたが、アイマスはアーケードゲームから始まり、人気が出るとともにアニメが放映された。
全ての始まりから10年以上が経過した段階でのアニメ化。
自分の中のキャラクター像が壊れるのではないかと危惧したファンもいたのではないだろうか。
そしてそれは製作側も百も承知のはずだ。
アイマスはオタクカルチャーの勃興とともに歩んできたコンテンツだ。
けったいなものを作ることは許されない。
相当なプレッシャーだろう。
そして、アイマスの特筆すべき点は主要キャラクターの多さだ。
仲間を増やしていくようなストーリーではなく、物語の開始時点で12人のアイドルが活動している。(13人と見る場合があるのももちろん知っている)
最初の1話で12人の特徴を説明し、そのキャラクター達の目的や活動理由、悩みなども視聴者と共有しなければならない。
もちろんそれぞれに主役となる回があり、内面を深く知る機会が与えられる。
逆説的に考えると、脇役になる回というのがいくつも存在する。
この脇役のチョイスにも、仕掛けがあるのではないかと感じている。
人数が多いからこそ、脇役に意味が生まれる。
12人のうち、なぜそのキャラクターを脇役として登場させたのか。
適当にブッキングさせたのではない。
必然性があるはずなのだ。
そんな必然性を感じ取ってからというもの、アイマスは、それぞれのキャラクターに人格が宿っているように感じる。
設定なんていう安直なものではない。
信じられないほどのリアリティで存在するのだ。
まだ9話までしか見ていないが、これはすごいものを目撃してしまったぞ、という気持ちだ。
はやく続きが見たい。
今日アイマスのアニメについてしか話してないけど、それしかなかったので…。
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