見出し画像

「キヴン」2025/01/11(土)の日記


・白ご飯と炊き込みご飯のハーフ&ハーフがあったから載せようと思ってたのに、写真撮れてなかった。これはただの炊き込みご飯です。


・これも写真撮りそびれたけど、いつもお菓子を配ってくれる人が、休憩中にヤンニョムチキン味のカルパスをくださった。そんなのがあるんですか。味もそんなのがあるんですか、という味だった。他に配った人には「別々でいい」と言われたそう。そんなことを言ったら確かにそうなのだけど。

・何かと何かを掛け合わせた時に「これとこれ以外の組み合わせなんかありえない!」ということの方が少ないのなんか分かりきったことだけど、そうならなくともなんとなく「これとこれなら合わさっても食べた時に嫌な感じはしないんじゃない?」というのを探って商品開発しているんだろう。せっかくならちゃんと美味いもん作れよ、というのは、それはそうすぎるんだけど。

・身の上の話をいろいろ訊かれて、なんか気恥ずかしかった。小さい頃は甘いものが苦手で最近になって食べられるようになってきて、たまに甘いものすごく欲しくなる時があるんです、とか、とてもつまらないことを述べたりなどした。相手もそんなこと言われても「ふーん」で終わりだろ。少しは考えなさい。ごめんなさい。


・オッス!鍋っス!

・鍋ほど飽きないものも珍しい。こんなに食ってるのに。種類がその分あるからかな。


・ZAZEN BOYSとNUMBER GIRLを聴いていた。明日ZAZEN BOYSのライブがあるからというのもあるけど、NUMBER GIRLは別に関係ないので、聴きたいから聴いていた。前にもどこかに書いたけど、音楽なんてものは気分なので、聴きたい時に聴きたいものが聴きたくなるから、予習を「いまするんだ」と決めた時にそれらを聴く気分でなかったら、それは予習とは呼べないと思う。

・本家の勉強も予習も同じなんだけど、そんなことを言い出したら「いま気分じゃないので早退します」「仕事休んで帰ります」が罷り通ることになるので、社会では大抵許されない。だから、ただ私が他人と違って、行動をすべて気分に司られているという病気的な精神をしているだけなのかもしれないけど、それでも音楽というのは本来、精神に作用するために用いられるべきものだと思うから、娯楽に分類されるものに限っては気分に従って然るべきだとは思っている。

・癒しが欲しい時にはアンビエントを聴き、暴力に飢えている時にはパンクやメタルを聴き、トびたい時にはサイケやハードコアを聴き、死にたい時にはシューゲイザーやドリームコアを聴く。大体そういうサイクルで毎日回っている。時たま、自分を奮い立たせるためにテンションの上がる曲を選定したりもする。音楽を中心に据えて生きている人は、音楽によってその日のコンディションがある程度決まる。そういうもんだと思っているのは私だけですか。

・ちょうど今日の夜はZAZEN BOYSの気分で、ちょうど予習にもなるタイミングと重なっていたから聴いていただけなわけで、FRUSTRATION IN MY BLOODのZAZEN BOYSバージョンとNUMBER GIRLバージョンの両方を聴いたあたりからNUMBER GIRLの気分に推移していって、そこからはNUMBER GIRLを聴くなど、かなり自由にしている。気分に任せて音楽を聴いているからできる芸当だ。

・みんながみんなこんなことはないと思うし、「勉強だと思って」聴く時なんかは、現実の勉強や仕事と同じように、気分でなくても立ち向かわなくてはならない。聴いているうちにだんだんその気分になってくることはほとんどないが、それでも負けないよう立ち向かうわけです。みんなどうしてるんだろう。

・とりあえず、個人的にはNUMBER GIRLバージョンのFRUSTRATION IN MY BLOODの方が好み。


・高橋ユキヒロさんが亡くなってから今日で2年らしい。早すぎる。

いいなと思ったら応援しよう!