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「固まる前のアスファルト」2023/11/16(木)の日記
・物語の核心に迫るような話は全くしていないのでネタバレといえるのかどうかは怪しいですが、一応映画「ミステリと言う勿れ」の内容に関わる言葉に触れて話を進めています。まだ見ていない方は、念のためネタバレにご注意ください。
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・昨日後輩からもらったカイロ、帰ってからしばらくしても全然冷めなかったけど、朝起きて確認したらさすがに冷えてたので捨てた。
・嘘をついた。朝起きてない。アホみたいに寝た。多分9時間とか寝ている。6時過ぎに寝て15時過ぎに起きるという暴挙。あまりにも寝過ぎ。
・でもやはりそれだけ眠るとコンディションはいい。昨日久々に日記を短めにするくらいには眠かったので。寒さもいくらかマシだったこともあり。
・生活をしていて、無駄が多いなと自分でもよく感じることが多い。ただ、感じるだけで改善できないのが私の悪いところ。何とかならんものか。
・自転車の移動中、高校生くらいの2人組の一方が「俺、障害かもしらんくて」と言って、もう片方が笑って返し、話し始めた方が「いや、親に言うか迷うねんけどな……」というのを通りすがりに聞いた。これほどまで続きの気になる通りすがりの会話はないな、と思ったけど、信号を渡り切ってすぐのところだったし、そこで急に停まるのもあまりに不自然なので諦めて去った。
・自分が障害を持っているかもしれない、と自覚すること、もしくは自分が何かしらの疾患に罹っているのを自覚することは、想像以上に難しい。私も先天性の外科的な疾患ではあるが、「普段と少し違う頭痛」から大手術にまで発展したので、その辺りは分かっているつもりでいる。
・ちょうど昨日観た映画「ミステリと言う勿れ」でそれに関連するような話がよく出て来たのを思い出していた。子供の心は固まる前のアスファルトのようなもので、何か物を落としたりするとすぐにかたがつく、大人の事情で勝手に思考を植え付けられてしまうだとか、米国では殺人を目の当たりにした刑事は必ずカウンセリングを受けることになっている、自分の弱さを認めているのに対して、日本ではそれは甘えだとされているから弱さを認めることも大事、子供のうちなら固まりかけているアスファルトが直せるかもしれない、という話であるとか。
・自分の弱さを認めることが恥ずかしいとされる日本の風潮は、確かにかなりおかしいと思った。大学や高校にカウンセリング室が存在して、そこに行くことが甘えであるとか逃げであるとか、そういう考えが蔓延っている時点でもうすでにおかしい。それでいて、たとえば子供が自殺するとその親は「何で相談してくれなかったの……」だの何だのとほざいているのをドラマとかでよく見る。
・そういうヤツらに言ってやりたい。当たり前だろ、お前たち大人が子供に植え付けた固定概念によって行きづらくなっていた場所があるんだ、そしてお前たちに迷惑をかけないために誰にも相談できず孤独に死んでいったんだ、と。
・実際、私も相談できる相手が誰一人としていない。病院行ったほうがいい、というのは頭で分かっていても、そういう場所の悪い噂しか知らなくて本当に行くのが怖いし、なぜ外に出たくなくて話したくない時にわざわざお金を払って外に出て話さなければならないんだ、と思ってしまう。それでお金を払ったのに、もしクソみたいな対応をされてしまったらどうしよう、両親のように話を聞いているふりだけして内容は全く分かってくれていなかったらどうしよう、と思ってしまう。
・「精神的な疾患を患っている可能性がある、と思い込んでいるうちはその疾患ではない」という迷信を子供の頃に植え付けられ、今もなぜか信じ込んでいるからか、そうかもしれないと思っていても、いや、思っているうちは違うか、と思ってしまっている。
・母親は祖母が鬱病になった時に介護をしていた経験があるから自信があるのか、絶対に私は精神疾患ではないと信じ込んでいるし、父親は家庭内のルール全てを掌握し、それに準じなければ「甘え」と断定し相応の罰を下す。それらポリシーに則って彼らは動いているし、第一、何度か相談したり「うまく言葉が出てこなくて話せない」旨を文面で伝えて、少し対応が改善されたと思い込んでいた矢先、私の発言を揶揄するかのようにあしらった発言が父親の口からなされ、文字通り「見た」だけだと言うことが分かりで、1ミリも理解されずに終わった。以来、1ミリも信用できなくなった。
・大学は、一度はキャリアセンターで必ず個別相談をしろと言われたので行った時に担当だった方が、長々と私の病気についての話を聞いた上で、手術痕を隠すように髪を伸ばしているのに「バンドやってるからそんな髪型なんですか?」と揶揄するように言ってきたので、本当にイヤになって絶対に行きたくないとなったから。それ以来大学をひとくくり見てしまうので、大学全体に対して期待できなくなった。
・ずっと前から家にいるだけで母親から「頭がおかしい」だの「頭悪い」だの言われる日常だったはずなのに、最近やけに胸に刺さってくるのはやはり精神が疲弊しているのではないか、と思う。それか、もう成人はしたけど心はまだ言っても子供だから、固まり切っていないアスファルトにどんどん傷をつけられている最中なのかもしれない。
・あとは、やはり絶妙な他人との違いに敏感になっていることからも、本当に障害か何か持っているのではないかとも思っている。精神科とか先生とか知らん人に自分の心の一番大事なところを触らせるとかが本当に怖いからイヤだけど、もし行くとしたらそこでいいんだろうか。障害とかも含めるならまた別の機関に行かなければならないのだろうか。
・今日ずっと何の話してるんだっけ。
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・Instagramの投稿で、「感極まって」を「歓喜余って」と誤植しているの初めて見た。「雰囲気」を「ふいんき」とか、「閲覧注意」を「かんらん注意」とかはよく聞くけど、これは本当に初めて。調べたけど正しくは「歓喜のあまり」の後に何なにした、みたいな構文。
・こういうのに噛みつくあたり、自分は本当に性格悪いなとつくづく思う。