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「再放送の疑い」2025/01/07(火)の日記
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・カレライ、カッコカレライス。
・以前に書いた覚えがあるけど、それがいつの日記だったのか、というのが全く覚えていないし、そもそも本当に日記に書いたのかも曖昧だし、なんだかよく分からないのでとりあえずまた書こうと思う。どっかの日と被ってたらごめんなさい、意図的に被せに行っているし、分かった上で書いています。
・『ファミレスを享受せよ』というゲームの中に「ツェネズ」という名の人物が登場する。彼の正体がねずみなのかとかはゲームをやっていないし、以前触れたであろうゲーム配信も全然観進められていないので知らないが、おそらく、否、ほぼ確実に宮沢賢治の『ツェねずみ』をモチーフにした名前だと思われる。が配信者で触れている人がいなさそうだった、という話をしたんじゃなかったかな、多分。してないのかな。分かんねえんだよこれが。
・そこで今回、訳あってツェねずみを読み返す機会ができたので内容をおさらいしてみた。実に宮沢賢治らしいというか、童話だな〜という童話なのだが、日本の昔話よろしく、何その終わり方、みたいな感じのが多かったりするかも。以下、ツェねずみのネタバレ注意。
・ツェねずみというねずみがいて——『クねずみ』と同様に、名前の『ツェ』に関しては何も触れられていなかった——彼はどうにも人付き合い(鼠付き合い?)が下手くそというか、なぜか他人を付け離すような言動をとってしまって、そのせいで誰も寄り付かなくなってしまっている。とうとう生命のないモノしか相手してもらえなくなって——この世界観においてモノが話してしまうとモノにも生命が宿っているという設定で動きそうな感じもしてしまうが——しかもそのモノにすらもまた突き放すような態度をとってしまうのだ。
・こうなってしまったらもうどうしようもない。最後には人間よりもネズミに同情している鼠取りとの関係によって、なんとか我慢していた鼠取りもついにしびれを切らしてしまい、自らの行ないによって命を失う、という、遠回しに見えて結構短絡的な童話となっている。どうして「ツェ」なんていう名前が付けられているのか、どうしてそんな言動を取ってしまうのか、一切の説明がないので、受け取り手は「そういうもの」として受け取るしかない。
・大概何かしら童話には教訓めいたものがあるが、あまりにもこの話は単純すぎる「嫌われるような態度をとっていたら嫌われてしまうよ」としかとれない。ツェねずみを通して宮沢賢治は何を伝えんとしたのか。今回みたく「仕掛けた人間より親身になってくれる鼠取り」みたいなおもしろさを仕掛けることがほとんどだが、彼はたまに、よだかの星のような、ただただ悲しみに浸るしかないだけの切なくてどうしようもない童話を遺したりするから一概に言いづらいところもあるのだけど——そこにも確かに言いたいことは存在するのだが——無我の境地を目指した聖人みたいな人だから、私の考えの至らないような奥底の底の方まで見通しているのかもしれない。
ありがとうございます! pic.twitter.com/LTHeT3WK1B
— 山本 チンスケ (@Ochinchinhazan) January 6, 2025
・マルハンに隕石が落ちてきて犬がブチギレるまでの一連の画像、元ネタ全然分かんねえし何なのかも分からない。これ何なんだよマジで。
・ぜんまいざむらいって昔、あったな〜と思って調べていたら、昔井戸に落ちて死んだ滞在人が神様の計らいによってからくり仕掛けで生き返らせてもらったやつらしくて、ぜんまいが切れるともう一度死ぬ仕様になっているらしい。怖いし、Qooとかでこぼこフレンズと同じ人がそれを考えていたと思うともっと怖い。
・もしかしたらビオレママも、ポンプをシュコシュコする人がいなくなったら死ぬのかもしれないし、Qooを飲んで「ク〜」っていう子供がいなくなったら、あの青い元ネタがよく分からん生命体も死ぬのかもしれない。怖い。