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「アーティストという称号」2025/01/28(火)の日記
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・ラーメンかと思った?実は麺がないんだよ。
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・ほら、麺が別でついている。
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・丸源の肉そばつけ麺なるもの。割と美味しかったし、スープがいわゆる「つけ麺」ほどは濃くないので、スープで割らなくても飲み干せました。
・楽曲「わたしは人類」の概要を調べてみて、改めてやくしまるえつこ(敬称略)がすごい人だったことをきちんと知る日。なんか賞とか獲ってらっしゃるなあ、とは思ってたけど、なんかの曲で何かしらの音楽の賞を獲ってるんだろう、くらいにしか思っていなかったが、全然違った。この事実、みんな知ったうえでそこそこくらいの知名度で止まってしまってるのだろうか。
・ご存知の方には釈迦に説法で恐縮だが、端的にやくしまるえつこが残した業績を記すと、CDやデジタルのデータなどに収録するのが常とされる近年の楽曲の保存方法だが、初心に立ち帰ってと言うべきか、原初の思想を取り戻してというべきか、地球に古代から生息している微生物「シネココッカス」の遺伝子を書き換えることによって記録するという方法をとった。人類史上初めて、CD、音源配信、遺伝子組み換え微生物の三形態で発表されたのだ。
・CDやレコードは壊れると聴けなくなる、データは破損すると聴けなくなる、ではどうすれば、もしも人類が滅んでしまった後の地球上に音楽を残すことができるのか。『”人類滅亡後の音楽”をコンセプトにしたプロジェクト』としたこのテーマに対して、『微生物「シネココッカスの塩基配列を用いてポップミュージックを制作し、さらにその楽曲情報をコドン変換して長いDNAシークエンスの設計図にし、 人工合成したDNAをこの微生物の染色体に組み込んで『わたしは人類』とする』としたよう。大枠でしか意味を理解できていないが、概ねは前述した通りの内容と同じ。
・微生物、並びに生物であれば繁殖をすることが特性として挙げられるが、このシネココッカスという微生物の特性として、自己複製を繰り返しながらその数を増やすという繁殖方法を取っている。そして生物特有の特性である「進化」や「突然変異」による楽曲の変容、その拡散の可能性も鑑みたうえで、やくしまるえつこは『新しい音楽――伝達と記録、変容と拡散――の形を探る試みである』としている。
・映画監督である黒沢清氏のコメントにもあったが、もちろん「その手があったか」なのだが、まずその思考回路を通って、微生物の遺伝子情報を書き換えて音楽を記録すると帰結したのが、天才の域へ到達している人間の思考なのだな、としみじみ思うほかない。どういう経緯でこの曲について調べようと思い立ったかすら思い出せない人間からすると、どういう思考回路を辿っても延々と辿り着けない思考の域だと思う。そもそも「人類滅亡後の音楽」についてを思案する機会すら、日常生活におけるタイムラインのどこにも存在しないのだから。
・こういった「芸術家・アーティストとしての思考」ができるミュージシャン・音楽家というのは割と少なく、バンドマンやミュージシャンの域を出ない人は多い。近年においてミュージシャンとアーティストは混同されて用いられることが多くなってきているが、あらゆる表現方法を模索し、音楽という範疇に留まらない活動を繰り広げる人にこそ『アーティスト』を称号として掲げてほしいものだ。少なくとも私はそのように思う。
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・丸源の鉄板チャーハン、店員さんに卵を入れられちゃうので、やはり横綱派。