《映画紹介》15分で魅せるトムヨークのドリーム・ワールド「ANIMA」(2019)①《ネタバレ含》
今回は、Netflixオリジナルの「ANIMA」についてです。
この作品はレディオ・ヘッドのメンバーであるトム・ヨークが手がけたPVのような15分の短編映画です。
登場人物に台詞は一切ありません。
どこか不気味なコンテンポラリーダンスの映像と、トムヨークの幻想的な歌声をのせた3曲の歌で構成されています。
(15分の作品ではありますが、翻訳を含めて最後まで書いてしまうとなかなかのボリュームになりそうだったので、区切りよく1曲1記事とします。)
こちらの映像作品、日本語字幕が設定されているのに何故か表示されず。
恐らく不具合だと思いますが、こんなこと今まで無かったので驚きました。
和訳を載せているサイトも探しましたが、あまり見当たらなかったため意訳を使っています。ご注意下さい。
※ お読み頂く前に
この先は筆者の解釈が含まれており、作者の意図とは異なる部分がありますのでご注意下さい。
それでは、全容をご紹介していきます。
" Not the News "
地下鉄を走る、満員の通勤列車。
乗客は皆 黒・紺・グレーなど華美ではない色をした作業服のような服装に身を包み、何やら疲れた様子で微睡んでいます。
主人公の老人も他の乗客と同じようにウトウトし始めた時、一人の女性から向けられた視線に気付きます。
しかし目が合った瞬間に顔を伏せられてしまい、彼も顔を背けます。
突然、乗員らは電車の揺れに翻弄されるかのように無意識に動き始めます。
頬杖をついたり、腕を組んだり、人によっては隣の乗客にもたれかかったり。
そして、以下の歌が始まります。
列車が駅に停まり、乗客が一斉に降りて順序よくエスカレーターへ向かっていきます。
老人も列車を降りようとしたところ、先ほど目が合った女性の足元に鞄が置き去りにされていることに気付きます。
その鞄を持ってエスカレーターの先にいる女性を追いかけますが、ぞろぞろと歩く人々が邪魔をして思うように進めません。
残念ながらエスカレーターを上った先に女性はおらず、改札を通ろうとするとセンサーに感知されたようで自分だけ通ることが出来ません。
老人は何かを思いついたように助走をつけ、その改札を飛び越えて強行突破します。
改札を抜けた老人は彼女の影を求めながら歩いていくのですが、その最中で頭を抱えるように奇妙な動きをした人々とすれ違います。そんな彼らを不思議そうに見つめる老人。
人々の流れに逆らいながら彼女を追いかけるうち、いつの間にか彼は走り出す。
そこで " Not the News " のシーンは終わりを迎えます。
考察① “アニマ”
まず、この映画のタイトルになっている「アニマ」の意味について。
この単語にはラテン語で「魂」という意味があるのですが、一方では別の意味もあります。
ユングという精神医学者はご存知でしょうか。
ユングは、男性の夢を分析した際に特徴的な女性像が多く現れることに注目し、その女性像は男性達のなかに無意識に存在すると仮定して「アニマ」と名付けました。
「微睡んでいる男性が、その最中に見かけた女性」というシチュエーションからするに、この映画は後者である「男性の夢の中に登場する女性像」という意味になると思います。
考察② 曲名
この曲のタイトルである" Not the News "を和訳すると、「これはニュースではない」。
皆さんは普段ニュースというものをどのように見ますか?
例外もあると思いますが、恐らくほとんどの方が何となく流し見ているのではないでしょうか。
ニュースというのは傍観するものの比喩だと思います。「これはニュースのように傍観するものではない」。
最初の列車のシーンで通勤列車を思い起こしたのは私だけでは無いはず。
似たような身なりをして、疲れ果てながら前の乗客に従って降りていく。それはまるで私達自身です。
「これはニュースのように傍観するものではなくて、あなたの物語だ」というメッセージが込められているように感じられました。
考察② 歌詞
続いては歌詞の意味と、意訳した部分の理由についてです。
treacleは「甘ったるい感傷」「極端に甘くて感傷的な文書または音楽」を表現する言葉なのですが、一方で「糖蜜」を意味します。
一旦「黒い感傷のなかにいる」と訳したのですが、Black Treacle(ブラックトリークル)という商品を知って「黒蜜のなか」に直しました。
ブラックトリークルはイギリスの代表的なシロップのことで、黒蜜に苦みを足したような味をしているそうです。
微睡みのことを苦い黒蜜のようだと表現していたとしたらロマンチックすぎる…
トムヨークはイギリス出身ということもあって馴染み深い言葉だったのかもしれません。
ドラマの劇中にある撮影シーンなどで「3、2、1、キュー!」と言っているのを見たことがある方もいるのではないでしょうか。cueは「合図」という意味になります。
sliding violinは文字通りヴァイオリンをスライドさせる奏法のことで、これには「グリッサンド」という名称があります。実際にこの曲には何度かグリッサンドが使われているように聞こえます。
英語だと語呂がいいですが、日本語だと悪くなったのでグリッサンドと言い換えました。
sympathyには「同情」「共感」といった意味をもつ一方で、「共鳴」という意味を持ちます。
前の文章を考えると「共鳴する」が自然だと思いました。
そしてこの後鞄を持って女性を追いかける老人。
I can notではないので、「走れない」ではない。
なので老人は、早く追いかけなければならないとはわかっているけれど自分の意思で走らないことを選択しています。
しかし、その後の改札を抜けた世界で老人は走り出している。となると、上記の「走らない」は(いずれ走ることを決意するけど)このシーンではまだ「大衆と異なった行動はせず、走ってはいけない(波風を立ててはいけない?)」と感じているのだと解釈しました。
「割れたグラス」つまり、意図的に割るものではなく事故で割れてしまったもの。
「自分の力ではどうにもならない煩わしいもの」に屈託している様子を表しているのではないでしょうか。
元の文章を直訳すると「十分食べた」になります。しかしここでは食事をしている描写はないので、前の文章を強める文章ではないかと思いました。
何かに対して満足したり、不要になった時に『これ以上は要らない』という意味を込めた「お腹いっぱいだよ!」という意味だと解釈しています。
考察③ 改札の先にある世界
改札を抜けた後、老人が向かっている先から現れる人々の動きははまるでゾンビのようにも見えます。
このシーン、照明が特に良い演出をしていて、老人以外の人々の表情は見えないようになっています。
同じ服装で同じ動きをした人々がゾンビのような動きをして闇の中へ吸い込まれていく様子は、私達自身のように感じられました。
トムヨークはこの作品に関するインタビューで以下のように語っています。
この言葉を表面的に受け取ると、機械に管理された社会の風刺や、SNSに影響されやすい若者を揶揄しているように感じられます。
彼の発言を知る前にこの映画を見た私は、パワハラが横行していた会社で上司から言われた言葉がフラッシュバックしていました。
その言葉に従い、理解できない規則を守り、(理由を知りもせず)それが正しいと信じ、着たくもないオフィスカジュアルに身を包んで満員電車に揺られていた時の記憶。誰もが納得できる理由で「それはおかしい」と提唱できなかった悔しい記憶です。
こちらの記事でも書いたように、作者の意図と別の解釈をしてしまうことは時に危険であり滑稽です。
ただ、その会社に勤めていた頃の私は「自分の違和感と似たものを抱きながら生きている人がいる」と密かに救われていました。
最後まで読んで下さってありがとうございました。
次回は、2曲目の " Traffic " についてです。