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夫婦と経営

最近印象的なことがあってどうしても書き留めておきたくてログインした。文章を書こうと思うと苦手な私はいつも別のスイッチを入れなければならない。でもこれは思うままに書く。夫婦と経営の共通点。とっちらかって長く自分の考えだけだから必要に応じてまた掘り下げたりまとめたりする時間を持とうと思う。私の職業は税理士であり、起業支援など創業時のクライアントが多いので、変化に強い組織をつくっていくためにどんな要素が必要かという観点で書いている。

文句ばかり言っている夫婦

お互い仕事を持ち、活躍されていて素敵な夫婦。でもいざ話をしてみると積み重なった相手への不満や要望があふれ出してくる。その状況だけを掬い取ると、「こりゃ大変だ、そんな不満があるなら仕事もしていて困らないだろうし別れたらどうか」なんて心の中で思っても、意外に「奥さんの言うとおりにするよ。」とか「旦那が怒るからね」って事が収まっていくことがある。自分も含めて。

知らないうちに生まれる信頼感

「夫婦喧嘩は犬も食わない」ということわざは的を得ていると思う。つまり夫婦じゃなくても親子もしくは友人でもそうかもしれないが、今持つ不満や思いをさらけ出して心がからっぽになるとそれを埋めていく作業に入る。そうすると、人間は自分にも悪かったところがあったなとか、相手の良いところを探そうとする余裕が生まれる。そうすると自分のカラダが自然治癒力を発揮するように、問題を解決しようと考え行動に出すことができる。加えて相手がそれを受け入れてくれると、その一瞬が記憶に刻み込まれ、その一瞬の重なりで次の困難にも向かっていけるようになる。

自然と役割を分担している

親子、夫婦はもちろんだが、一度絆をつないだチームやメンバーはいつからか相手の不足部分を補うように動くようになる。ダメな部分を指摘し合うよりも前に進めるように補い合えばいいと考える。

先ほどの夫婦のケースに戻るが、一方が職人気質で目の前の業務を完璧にこなしていくタイプだと、もう一方はその相方が自分とその家族が望む未来に向かっていけるように目標を掲げ道を差し伸べる。つまりその職人タイプは目標は相手に与えられたとしても構わない。自分は目の前のことに取り組むことが得意である。

だが、これが夫婦なら一方が自分の家族の未来を想像してマネジメントすればいいが、経営に置き換えるとそう簡単ではない。チームメンバーは目標を与えられないと、自分の現在地や向かうべき未来が見えない経営者自身もそうかもしれない。(この部分も本当は自分で目標を設定していけるメンバーがそろったら最高)。だから向かうべき未来を設定し、そこから解像度の高い目標を細かく設定してくれるリーダーシップとマネジメントが必要だ。そう、補ってくれる誰かが。

経営者のあり方は様々でいいのは?

よく「経営者とはこうあるべき」、「経営者が持つべき資質」とかあるが、これまでのことを振り返ると、別に経営者がすべての資質を持っている必要はないのではないかと思う。いや、職人気質の社長だとリーダーシップとれないからダメでしょって思うかもしれないが、他人が認めるレベルの職人であれば必ずそれを補おうとしてくれるリーダーシップやマネジメント上手な人が現れるはずだ。(この他人が認めるレベルはそれなりに高いということだ)。逆を言えば、ビジョンを示し強いリーダーシップを発揮することができるけど、マネジメント力が弱い経営者もいる。その場合は、マネジメントできる人とそれを忠実にこなしてくれるメンバーがいるはずだ。

必要な資質を持っているに越したことはないが、却ってマルチな能力をもつ優秀な経営者であればあるほどすべてを決定する必要が生じてしまい、結果的に組織が洗脳された状態、つまり何も考えず言われた通りにする方がうまくいくワンマン企業、もしくはすべてがシステム化されている、マニュアル化され自分が考えた効率化や変化は却ってこれまでのシステム変換を必要とするため多数に拒まれるという道へ進んでしまうのではないか。後者を考えるとやはり企業の適正サイズって中小規模なんじゃないかと思ってしまう。

同調意識は依存にもつながる

日本らしさは、秩序や美意識の高さ、規律を重んじるなど素晴らしいと思える一方で、ルールがないと進めないとか、外れた行為を排除する雰囲気を醸成したりとか、素晴らしさも行き過ぎるとマイナスなのではないだろうか。

企業人であれば、違和感があってもそれに抵抗すべきか見なかったことにするべきか一度は悩んだことがあると思う。でもここで重要なのは、経営者であれば絶対同調意識はプラスにはならない。人と違う商品やサービスに他人はお金を支払うのだから。では夫婦はどうだろう。相方の言う通りに生きていれば楽である。でもそれで本当に幸せなのだろうか。(幸せな人もいるかもしれないが、それは自分で考えた上での自己選択だったらいい。)

自己啓発の危うさ

企業の適正サイズについてはまた考える時間を持つとして、話を戻すと、私は「ひとりひとりが考えて行動する社会が可能なのか」という個人レベルで考える必要があるのかわからないテーマを常に考えながら生きている。自分で考えることを失わされるもしくは気づかせない機会は幼少期からひっそりと、でも至る所にあり、そのことに違和感を感じる人はきっと日本では苦しい経験をするのだと思う。実は私もいじめなどにあったこともありそのことで結構傷ついていたんだと理解した時期があるからそういう経験によるものが大きいのかもしれない。

つらい経験をした人こそ、その経験を振り返りそのままでいいのだという自己肯定を強く持ち、自分で考えて行動する力へ変えてほしい

その中で自己啓発のセミナーやコンサル、コーチングなどと出会うこともあると思うのだが、先に言っておくが、おそらくその類のもの自体は悪くないし、おそらく正しいのだと思う。ただ、ただ、そこに自分を変える”もの”が存在していて、自分が「行けば変わる」と思っていてはいけない。そこに行けば変わるわけではない。そこには魔法はない。シンデレラみたいにそこでの出会いで人生が変わるわけではない。あるのは自分を変えようと覚悟する機会を与えられるだけだ。

職人タイプも経営者マインドにはなれる

結局のところ自分の人生を変えるのは自分だと腹落ちした人だけが、どんどんキラキラ輝いていく。自分を変えるために努力が始まるからだ。経営者は人一倍勉強しなければならないと誰かが言っていたが、その通りなんだと思う。その努力で職人タイプもマネジメント能力を身につけることは可能だ。やりたいことも見えてきたらリーダーシップだってとれるんだと思う。時間はかかるかもしれないが。

なのでその間を埋めてくれる自分に必要なレベルの伴走者を見つけることは何よりも重要なんじゃないだろうか。そして自分が変わっていくことを喜んでくれ、その変化した後も伴走してくれる人がチームにいてくれたらきっとこんなに心強いことはないと思う。そのためには自分が何が足りないのかを知るべきなんだろうと思う。自分がリーダーシップ型なのか、職人型なのか、マネジメント型なのか。

ということで夫婦も経営も伴走してチームで進むという意味で私にとっては同じ。


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