配偶者居住権の論点 ~既存賃貸部分の賃料は誰のものか?~
はじめに
令和2年4月1日施行の改正民法により、配偶者の居住権を保護するための方策が新たに導入されたことは広く知られている。
今回は、その中でも「配偶者居住権」(改正民法(以下同じ)1028条)に関する論点、すなわち、居住建物の一部が第三者(賃借人)に賃貸されている場合の、配偶者と建物所有者との関係について検討してみたい。
前提となる事例
被相続人Aは、甲建物(区分所有建物でないアパート)を生前単独所有していた。
また、Aは、甲建物の一部分を第三者Z(賃借人)に賃貸し、賃料を得ていた。
Aの相続人は、配偶者Xと子Yの2名のみである。
遺贈等により、甲建物の所有権はYが取得したが、甲建物について配偶者Xが配偶者居住権を取得することとなった。
論点(誰が賃料を取得できるのか)
賃借人Zから賃料を確定的に取得できるのは配偶者Xなのか、所有者Yなのかが論点である。
なぜ、この論点が生じるかというと、それは配偶者居住権の内容・法的性質について解釈の余地があるからである。
以下では、まず、配偶者居住権の民法上の規律を確認する。
配偶者居住権の内容
法的性質
改正民法の立案担当者によると、
「配偶者居住権は、配偶者の居住権を保護するために特に認められた権利であり、帰属上の一身専属権である」と説明されている[※1]。
したがって、配偶者居住権は譲渡することができず(1032条2項)、配偶者が死亡した場合には当然に消滅する(1036条・597条項)。
なお、配偶者居住権は、配偶者を債権者、居住建物所有者を債務者とする賃借権類似の法定債権であると考えられている(堂薗・前掲14頁)。
配偶者は居住建物を使用収益できる
配偶者居住権は、居住建物の全部について、無償で使用及び収益をする権利である(1028条1項本文)。
ここでのポイントは、条文上、配偶者による使用収益権限が居住建物の「全部について」及ぶとされている点である。
用法遵守義務と善管注意義務
配偶者は、「従前の用法」に従い、「善良な管理者の注意」をもって使用収益をしなければならない(1032条1項本文)。
しかし、他方で、従前居住の用に供していなかった部分を、事後的に居住の用に供することができるともされている(同但書)。
承諾なくして増改築や第三者に使用収益させることはできない
文字通り、配偶者は、居住建物の所有者の承諾を得なければ、居住建物の改築若しくは増築をし、又は第三者に居住建物の使用若しくは収益をさせることができない(1032条3項)。
居住建物の修繕が可能
居住建物の修繕が必要な場合は、配偶者が修繕できるとされている(1033条1項)。
この規定の趣旨については、「居住建物の修繕について最も利害関係を有しているのは実際に居住建物を使用している配偶者であり、居住建物の所有者は配偶者に対して修繕義務を負わず、居住建物の通常の必要費となる修繕費用は配偶者の負担となることから(1034条1項)、配偶者に修繕の一次的なな権限を付与することとしたものである。」と説明されている(堂薗・前掲17頁)。
既存の賃借人との関係
配偶者がその配偶者居住権を第三者に対抗するためには、配偶者居住権の設定登記をしなければならない(1031条参照)。
そして、居住建物の既存の賃借人との関係については次のように考えられそうである。
すなわち、既存の賃借人は、生前の被相続人と賃貸借契約を締結し、すでに被相続人に建物の引渡しを受けていることから、その後に配偶者居住権を取得した配偶者は当該賃借人に対しては配偶者居住権を対抗できない(堂薗・前掲21頁(注3)参照。)
もう一度論点を確認
本事例でも、賃借人Zはすでに被相続人Aから甲建物(の一部)の引渡しを受けていることから、配偶者Xは配偶者居住権を対抗できない。
そうすると、賃借人Zは建物所有者・賃貸人であるYに賃料を支払うことにより、甲建物に居住し続けることが可能である。
ここで、論点をもう一度確認する。
配偶者としては配偶者居住権を既存の賃借人に対抗できないとしても、上述のとおり、配偶者居住権は建物「全部」を無償で使用「収益」できる権利である。
その一方で、賃借人と賃貸借契約を締結している(被相続人の生前に締結された賃貸借契約を引き継いでいる)のは建物所有者であり、所有権によってその建物を使用収益する権限を有しているはずである。
では、この場合、賃借人Zからの賃料(ないし賃料相当額の経済的利益)を最終的に、確定的に取得できるのは、建物全部を使用収益できる(とされる)配偶者居住権を有する配偶者Xなのか。それとも建物の所有者兼賃貸人であるYなのだろうか。
この論点については、所有者であるとする見解、配偶者が取得できるとする見解があるようである(以下の「所有者説」「配偶者説」のネーミング・整理は筆者による。)。
所有者説
賃貸借契約上の地位を有する者が賃料を取得するという考え方である。
通常は、建物所有者が賃貸人になることから、本事例では所有者Yが確定的に賃料を取得すると考えることになる。
立案担当者の解説には以下の記述があり、立案担当者は「所有者説」であるといってよいと思われる。
配偶者説(清算必要説)
最終的に、配偶者が賃料(ないし賃料相当額の経済的利益)を取得できるという考え方である。
この見解は、配偶者居住権が使用権限のみならず、「収益」権限を伴うことを根拠するものと思われる。
弁護士の坂田真吾先生は、次のように説明されている。(なお、坂田先生は後掲②では「清算必要説」と表記されている。)
ところで、配偶者が配偶者居住権に基づき収益ができ、かつ所有者の得る賃料が不当利得になるのだとすると、配偶者が所有者に請求できるのは、必ずしも現実に所有者が収受した賃料額に限定されるわけではなく、賃料が低廉な場合は、賃料相当額の経済的利益ということになると思えるが、どうだろうか。
私見:所有者説(清算不要説)が妥当
筆者としては、所有者説が妥当であると考える。
法律関係の整理
所有者・既存賃借人間の法律関係
所有者は、被相続人の所有権及び賃貸人たる地位を相続により承継する結果、既存賃貸借契約における賃貸人として、既存賃借人に対して賃貸借契約上の義務を負うことになる。
所有者・配偶者間の法律関係
一方、所有者は、配偶者居住権を有する配偶者に対しては、従前の用法に従って無償で建物(少なくとも既存賃借部分を除く部分)を使用させる義務を負うことになる。
配偶者に既存賃借部分の収益権限はあるのか?
結論として、配偶者は、配偶者居住権を既存賃借人に対抗できないため、既存賃借部分については、配偶者居住権に基づく使用権も収益権もないと解するほかないと思われる。
確かに、条文上は、配偶者は、居住建物の全部について無償で使用及び収益をする権利を有するとされる(1028条1項本文)。
しかしながら、既存賃借人は、(旧)賃貸人から賃貸借契約に基づく(建物の)引渡しを受けていれば、その建物について物権を取得した者に対して、賃借権を対抗できる(借地借家法31条)。
すなわち、本件事例では、仮に、甲建物を購入して新所有者が現れた場合にも、既存賃借人Zは、賃借権を対抗でき、正当な占有権原を主張できる。
そうすると、配偶者Xは、既存賃借人であるZに対しては配偶者居住権を対抗できない、と考えるほかない。
したがって、配偶者Xは、既存賃借部分を使用収益できる権利はないと解すべきことになる。
配偶者は所有者に対して賃料相当額の不当利得返還請求ができるか?
残された問題(論点)は、配偶者が所有者に対して賃料相当額の不当利得返還請求できるのか(所有者が受領した賃料相当額を不当利得として配偶者に返還する義務を負うか)である。
配偶者説では、所有者は配偶者に対して賃料相当額の不当利得返還義務を負うとする。
しかしながら、すでに検討したとおり、そもそも配偶者には既存賃借部分について使用収益権がないと考えるべきである。
そうすると、そもそも配偶者には既存賃借部分の賃料等を得る権限がないのであるから、配偶者には「損失」(民法703条)がなく、所有者が既存賃借人から賃料を得ることが配偶者との関係で不当利得になることはないと考える(清算不要説)。
配偶者説(清算必要説)の不都合性
①所有者は賃料を得られない“賃貸人”となってしまう
配偶者説(清算必要説)によれば、配偶者は所有者が得た賃料相当額を不当利得として返還請求できることから、所有者兼賃貸人は、既存賃借人に対して賃貸人としての義務(修繕義務等)を負い続けるにもかかわらず、その対価としての賃料は得られないことになってしまう[※2]。
②法律関係が複雑になる
配偶者説(清算必要説)をとる坂田先生は、次のように提案されている。
これは、配偶者居住権が設定された場合には(配偶者の意思にかかわらず)既存賃貸借契約における賃貸人たる地位を配偶者が承継する、という一種の法定承継のようなものを想定しているのだろうか。
しかし、これには賛同できない。まず、相続による地位の移転との関係をどのように説明するのかが疑問である。
また、賃貸人たる地位を承継するということは、賃貸人としての修繕義務や必要費償還義務等も負うということであり、これは配偶者にとっては予期せぬ負担となり得る。
さらに、居住建物自体の所有権には変更がないため、所有者と賃貸人が分離することにより、賃貸人としての義務履行に支障が生じることも想定される(修繕義務の履行など)[※3]。
(なお、私見では、配偶者が建物の修繕ができるとする1033条は、このような既存賃借人がいる場合においてはそもそも適用がないと解すべきである。同条の趣旨は配偶者自身が建物を使用することを想定したものであり、賃貸借契約の目的となっている部分について修繕できるのは賃貸人たる所有者のみであると考える。)。
このように、配偶者居住権の設定によって賃貸人の地位が自動的に配偶者に承継されるとすると、法律関係を混乱させるし、配偶者の利益になるとも限らない(もはや“居住権”の範疇を超えるといえる)。
もっとも、既存賃借人との賃貸借契約が終了し、既存賃借人が退去した場合には、当該賃借人が使用していた部分についても、使用できることになる。
ただし、配偶者には、用法遵守義務があるため、居住用だったものを営業用として使用することはできないと考えられる。
余談:配偶者居住権の評価(税務)
なお、国税庁による「配偶者居住権等の評価に関する質疑応答事例」(令和2年7月国税庁課税部資産評価企画官)では、相続時に居住建物の一部が賃貸の用に供されている場合の解説がある。
賃料を配偶者に引き渡す義務がないとする所有者説(清算不要説)からすれば、この評価方法自体は適切であるということになろう。
(弁護士 真鍋亮平)