ジオフロントと呼ばれた地下空間の構想が壮大過ぎるfrom東京のナゾ研究所
バブル期の構想をみていると、いかに国全体の空気がイケイケムードだったのかを知ることが出来て面白いです。
今回は、その当時に計画された地下空間の構想についてお送りします。
「タクシーを移動手段からエンタメに変えていく」
日本タクシーエンターテンメント協会
発起人 ヨナシロ
東京でタクシー運転手をしていると、各地の様々なスポット、名称、歴史が気になってきます。
歴史で習った誰もが聞いたことあるあの「桜田門外の変」の場所であった桜田門は毎日のように通ります。
そこに反応するお客様もたまに居ますし、何度も通る僕は各地を通る度に「ここは〇〇があった」というちょっとしたテーマパーク感を味わえます。
桜田門外の変にの後の話ついて調べてみると、江戸時代の厳しさを知ることが出来ます。
あの日は寒く、皆防寒の恰好をしていたため、水戸藩の奇襲に対して井伊直弼側の家臣は抵抗が難しかったそうです。
結局すぐに抜刀することも出来ず素手で立ち向かう者も多く、辺りには切られた耳や指が転がっていたそうです。
そんななか、殺められる家臣や逃げる家臣も存在しました。
それらの家臣も、事件後に処罰を与えられることになったそうです。
逃げる家臣は当然罰を与えられるわけですが、殺められた家臣も井伊直弼を守れなかったというところから死人として罰を与えられるということもあったそうです。
その場合は、死んだ家臣の家族がその対象になり
今でいう犯罪者の家族というレッテルのような「あいつは逃げた奴の○○」という罰が家族に与えられ、生活は苦しくなったといいます。
そのような、各スポットの歴史を知ることは仕事を退屈にしないためであり、楽しむためでもある、趣味のような位置づけになっているのですが、
少し違った東京の街を楽しめる本を見つけました。
それが日経電子版の好評連載「東京ふしぎ探検隊」より鉄板ネタを選りすぐって、大幅加筆、出版された「東京のナゾ研究所」という本です。
(本のHPです。アフィリエイトではありません)
どれも面白い話ばかりですが、今回はこの中から「地下空間の構想」についてちょっと書いていきます。
バブル期に相次ぐゼネコン各社の地下開発構想
地下構想の先駆け
ゼネコンの地下開発構想はバブル真っ盛りの1988年に次々と発表されました。
地下開発構想自体はその以前、まだバブルとなる前の1981年に大林組が構想を発表します。
それが「アンダーグラウンド・テクノピア/緑の島構想」です。
東京湾に人工島をつくり、その地下に25万人が居住できる地下空間を構築するとされ、地下鉄、駐車場、多目的ホール、下水処理場などが計画されていたそうです。
(アンダーグラウンド・テクノピア「緑の島」計画より)
1981年ということは、東京湾の埋め立て計画が1960年前後にあったところからみると東京湾という海上の構想でいうと大分遅れた計画であることが分かります。
(以前書いた東京湾埋立計画の記事は一番下に張り付けておきます)
埋立計画から約10年程たったこの地下構想があり、またその7年後1988年にゼネコン各社が地下構想を発表するということは、それほど社会のイケイケムードが高かったんだなと感じることが出来ます。
最近で大規模な開発構想といえば渋谷くらいでしょうか。
高層ビルは増えましたが、埋立、地下構想から比べると程度が低くも感じます。
「アンダーグラウンド・テクノピア/緑の島構想」の詳しい内容はこちら
https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/upload/img/009_IDEA.pdf
1988年の相次ぐ構想発表
1988年以降、ちょうどバブル真っ盛りの時期になると、ゼネコン各社が次々に地下構想を発表したそうです。
1988年に発表された
清水建設の「アーバン・ジオ・グリッド構想」
大成建設の「アリス・シティネットワーク」
は中でも注目を浴びたらしく、内容も壮大で実現していたらどうなっていただろうと考えたくなります。
清水建設の「アーバン・ジオ・グリッド構想」は平均年齢32歳の清水建設の若手技術者6人がまとめた意欲的プランだとか。
地下30mに「グリットポイント(GP)」、地下50mに「グリッド・ステーション(GS)」を置き、それらをトンネルで結びます。
GPには展示場などのコミュニティー施設や図書館などの教育文化施設、プールなどのスポーツ施設を置き、
GSには駅やオフィス、ショッピングセンターを配置するという内容です。
駅の地下にショッピング施設があったり、高層タワーのオフィスがある現在の東京駅カタチを地下だけで発展させたモノというイメージかなと感じています。
東京23区がスッポリ入る大きさだというので、今の23区が地下にもう一個出来るというイメージでも面白いかもしれません。
大成建設の「アリス・シティネットワーク」は、23区で横に伸びるアーバンとは対照的に縦に、地下40階建てのビルを建設するというものです。
新宿の地下に深さ200m、直径160mの円形ビルを建て、
天井はドーム状のガラスで覆い、建物中央部を吹き抜けにして自然光を届かせるつくりです。
オフィスや商店街、ホテルなどを誘致する構想なのだそうです。
詳しくはこちらのページで大成建設の歴史と未来構想があるのですが、
他の構想も見るとめっちゃSF!!
これを現実的に可能だと構想していたなんて今では考えられないほど。
平成にも構想された地下計画
上記の構想が発表された1988年は遠い昔のように思いますが昭和63年、平成の1年前です。そして、平成に入っても地下構想は発表されます。
間組(現,安藤ハザマ組)が1992年(平成2)発表した「青山GIA(ギア)構想」は、当時青山に本社を構えていた間組が青山に情報、文化、レクリエーション施設を備えた複合都市を開発する構想です。
地下には球体状の空間があり、オフィスや商業施設、文化施設などを置き、オールシーズンのスキー施設やプールも作るといった内容です。
前出の内容に比べて少々収まりますが、それでも間組(安藤ハザマ)は大規模な構想もありました。
日本列島を縦貫する長さ1500kmのトンネルをつくり、全国規模での物流、交通などに使う「スーパーリザーバトンネル構想」と呼ばれるものがあり、
さらには深さ2000mまで掘り下げ、圧縮空気でロケットを打ち上げる「CALシステム」という構想まであります。
間組(安藤ハザマ)の社史では「単なる“技術者の夢”を描いたものではない」と実現可能だという意気を見せる言葉が書かれているそうです。
更にもう一つ、
株式会社フジタでは「ジオプレイン」という地下に飛行機を飛ばす構想があり、1992年(平成4)にはマツダと「地下飛行機研究会」というモノを立ち上げたとされています。
東京と大阪をトンネルで結び、400人乗りの飛行機を時速600kmで飛ばすと一時間で到着できるというそうです。
リニアモーターカーより速いことになります。
それでも、実験計画について書いた記事が1992年7月でその時点でそれどころではない状況に入っていったそうです。
山手線・中央線の地下化構想
バブル絶頂期、1988年には
「JR山手線と中央線(東京~新宿)をすべて地下100mに移設する」という
日本土木工業協会の報告書によって騒動が起きたそうです。
駅と地上は100人乗りのエレベーターで結び、地上の線路のあった跡地は超高層住宅街や金融センターを配置するという構想です。
それでも、当時のJR東日本の会長が
「非現実的だ」「地下まで10分以上かかる。利用客には迷惑がかかるだけだ」などと至極真っ当な批判をしたとされています。
バブルとは言え現実を見る事の出来る人がいたんだと、夢も希望も勿論大事だけど、全体を見た現実を考えることの必要性を感じます。
でも、なんとなく今の山手線が地下化され100人のエレベーターで行き来することを想像すればどうなっていたことは予想出来ます。
それほど地下開発の構想が熱を帯びていたと感じられる出来事です。
上記の地下計画だけでなく、他にも
東急建設の「ジオトラポリス構想」
熊谷組の「オデッセイア21構想」
戸田建設の「TUBE構想」
竹中工務店の「ジオブロックネットワーク構想」
といった計画があったそうですがひとつも実現はしていないそうです。
計画によっては2010年には完成したなんてモノもあったので、
もし実現していれば存在していることになります。
実現していたらどうなっていたんだろう。
以前の同シリーズ記事
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日本タクシーエンターテインメント協会HP(仮)
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