あるタクシー運転手に「将来の漠然とした不安」を話してみると、妙に納得させられた話。
タクシー運転手からは時たま格言が生まれる。
タクシー運転手以前の経験、タクシー運転手になってからの経験、
失敗を経験した者が就くというイメージも少なからずあるこの職業には
それらの経験の中で生まれた格言が多くの人間を納得させ、少しだけ困惑させる。
そんな、一度は聞いておきたいタクシー運転手の格言を紹介していく。
今回は「東京都、28歳、男性、Iさん」が頂いたという格言の物語。
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東京の中堅電機メーカーで営業職として働く池田(仮)は28歳を迎え、自分の人生がこのままで良いのか悩んでいた。
この仕事が嫌いなわけではない、今すぐ辞めたいわけでもない、ただ、これといってやりたいこともない。
仕事も覚え、無難に日々を送っているが、次第に同じような毎日を過ごしながら歳を重ねることで漠然とした不安感だけが増し、この頃は自己理解にふけることも多くなった。
そんな時、移動中のタクシーでふと、タクシー運転手と話す機会があった。
「新宿駅までお願いします」
「新宿駅ですか、かしこまりました。えーっと、ここから行くとトンネルを抜けるんですが、」
「トンネル?」
「あ、新宿御苑の下の御苑トンネル。この時間だと渋滞しているかもしれないですが、その場合は回避していきましょうか?」
「そうですね、それでお願いします」
乗ってきて早々、ルート確認だけでなく、この先に予想される渋滞も考慮してコースを提示してきた。
個人タクシーは割かし嫌いだったが、こういうベテランだからこそ当たり前にやれるところは良いなと少し得した気分になる。この運転手さんが良い人なだけかもしれないが。
「最近はお客さんみたいな若い世代も大変でしょ~?」
「えぇ、まぁ、そうですね」
ルート確認の流れから、会話に移った。しまった。特に話したいことはないし、この手の会話の微妙な空気感が苦手でどうせなら終始黙っていたい。
「今も言われてるかな~、少し前はゆとり教育がダメだとか言ったでしよ?それ言ったと思えば、最近はAIだなんだって仕事も減っていく、一方でユーチューバー?だっけ?、、なんか変わった職業も生まれてきて、世の中の変化だって早いしねー」
「. . . はい」
個人タクシーの運転手にしては珍しく、プライドが高そうな雰囲気は持っていない。物腰柔らかな雰囲気でどちらかというと、若い世代の目線に立ってくれているようにも感じる。
お歳はそう若くないはず。60は越えてるんじゃないだろうか。でも、車内にタブレット端末を取り付けたり、時代ごとの流れの中で必要な知識は身に着けた上で年齢を重ねているのかもしれない。
「年金とか、社会保障とかの話まで言っちゃうとキリがないけど、これじゃちょっと不安になるよなーって思うよね」
「そーですよねぇ. . . 」
社会保障とか、そういうのは特にわかっていないが不安なことは感じている。実際、今だってそうだし。自分がどうしたいのかが分かっていない。
「昔もね~、時代の流れ?みたいなものは早いは早かったんだけど、みんな同じ方向を向いていたというか、戦後のまだモノが足りなかった日本で物をつくる必要があったし、つくると世界でも評価されるようになっていったし、それに一般の社員だって働けば収入は増えたからねぇ」
「はぁ」
「思想の違いでぶつかることもあったけど、それでもみんなで前を向いていることだけは変わりない感じがあったな、うん。とにかく頑張って働いた先、希望が見えてた気はしたんだよ、それぞれに。今はそういう感じじゃない気がするね、悪いとは思わないけど」
「そうですかねぇ」
タクシー運転手としてここまでずっとやって来たのかは分からないが、それなりに色々見てこの歳まで来たんだろうな。
なんとなくだが、話でも聞いてみようか、そんな思いも浮かんできた。
「まぁ、おっちゃんはあとはゆっくり生きて死ぬだけだから、っはっはっは」
「あはは、そうですね、、」
ほら、これだよ、タクシーに乗って困るやつ。おじちゃんだった場合は大抵これで終わる。でも、今日は少しだけ嫌な気持ちはない。
自分からも話してみようと思った。
「あの、ボクー、最近このままでいいのか迷ってるんですよねー」
「あぁそうですか~、大変ですもんねぇ」
急に他人事になったな。失敗したか。
「・・・なんかどこに向かえばいいのか. . . 」
「どこに向かう、、ねぇ、、」
「はい」
「. . . . 私はね、思うんです、目的地を言うだけでいいんじゃないかってね」
「はあ」
「そうすれば自ずと道は見えてくる」
「ほぉ」
それは分かってる。その目的地がないから困ってるんだよこっちは。最近の同世代で悩むとしたらほとんどそれだろう。
それになんとなく、この後なんて言うのかが予想できる。
タクシーは目的地を言えばみたいなことだろう。
「タクシーはねぇ、目的地を言えばあとはそこに向かうんですよ」
ほら、やっぱりな。
「それはお客さんも知っているでしょう?」
「はい」
あたりめぇだろ。
「目的地を言えばあとはそこに向かう。実はそれってシンプルに見えて凄く複雑なんだよね」
「複雑、ですか. . . 」
何が複雑なんだよ。
「例えば、今お客さんが目的地として指定した新宿駅、そこに向かうにはここから行くにしても3つ、4つと通る道の選択肢がある。当然、私らは最短を選んだりする訳だけども、お客さんによってはこの道が好きだからっていって、遠回りのルートを選んだり、走りやすいルートを選んだりする人もいるんだよね」
「へぇ」
「それだけじゃないよ、もしお客さんの乗ってくる場所が今と違っていたら、その場所から新宿駅に行くには全てのルートが変わる。それに進行方向が逆だったら、この先の最短ルートが渋滞だったら、午前だったら午後だったら、あらゆる要素によって目的地までの道は変わってくるんだよ」
「はぁ」
「でもね、目的地さえ言ってくれたらどこを向いていようが、どれだけ離れていようが、どこに曲がれば良いのかが分かるし、今向いている方向が逆なのか正しいのかを知ることも出来る。このまま真っ直ぐでいいのか、この先が工事でいけないから一旦コースを変えるのか、時間によっては渋滞を避けるのか、いろんな選択肢を取ることが出来る」
「・・はぃ」
「これはあなたが目的地を言ったからこそ、今いる場所と、向かいたい目的地と、その方角、距離を認識してそこに向かうためのあらゆる方法を取ることが出来るんだよ」
「・・ほぉ、確かに」
いや、だからその目的地が分かんないんだよ。今いる場所はなんとなくわかるよ。いや、その感覚で言うと今俺がどこにいるのか分かんねぇよ。その上目的地も無いから路頭に迷うしかないじゃん。
「だから、まずは目的地を言ってしまえば良いの、そうすれば自ずと道は見えてくる」
「確かに、その話で言うとそうですね」
間違いじゃないんだけどなぁ。俺は目的地がないですから。その考えじゃ、、
「あとね、目的地なんてテキトーでいいと思うんだよ、最初は」
「. . え?」
「そんなさ、完璧な目的地なんて最初っから分かんないよ、誰も。それにタクシーで言ったってさぁ、新宿駅とか言いつつ駅で降りないお客さんいっぱいいるから。そういやお客さん、最終的にはどこで降ります?」
「あ、えっと~、西口のほうで」
「かしこまりました。ほら、これもさ、お客さんは西口でしょ?でも人によっては東口もあるし、南口もあるし、新宿駅まで行かないこともあれば、通り過ぎることだってあるから」
「あ~、そうですね」
「最初っから目的地なんて固めたらさ、『さっき新宿駅って言ったのに!』ってなるし、本当に細かいところまでは後々見えてくるんだから」
「あ~」
なんで何となく合ってる感じになるんだ。
「それに最悪ね、目的地が逆方向に変わった!てなることもあると思うんだよ、そういうお客さんもいっぱいいるし」
「はぁ」
「お客さんからしたら、遠回りに感じちゃうかもしれないけど、実はそっちの方が空いてる道に出やすかったりするし、そのまま行けば見ることの無かった景色だって見れるんだから、それもなんか良いじゃない。こういう仕事してるとそういう事ばっかりだよ」
「へぇ」
「だからね、この先、右に曲がったって、左に曲がったって、後ろに走ったって、赤で停まったって、最悪このタクシーが故障してしまったって。
君が新宿駅に行きたいって言いさえすれば
どんなに遠回りをしたとしても新宿駅への道が存在して、
その道を通れば時間がかかったとしても新宿駅に行けるんだよね」
「ああ、確かにそうですね」
ん、新宿駅に行くことってそんなに大変か。
「このタクシーが故障したって、別のタクシーに乗るか、バスに乗るか、自転車に乗るか、歩くか、ヒッチハイクをするか。
どんな方法であってもそこに新宿駅がある限り、そこへの道が見えてくるんだよ」
「あー、そうですね」
そこに新宿駅がある限りって、新宿駅を誇大表現し過ぎだよ。
でも、なんでこんな良い感じになるんだ。とりあえずしっくり来てるわ。
「君は自分を信じて目的地を言うだけで良い、そうすれば道は見えてくる」
「なんか、良いっすねその表現」
「そうかな?」
「もう、このまま、今日は家までタクシーで帰ります」
「あ、ご自宅まで帰られますか?新宿駅西口ではなく?」
「はい、もう少し乗ってゆっくり帰りたいんで」
「ということはー・・・どちらのほうまで行きますか?」
「中野駅までお願いします」
「ハイ,イタダキマシタ-!」
「えっ. . ?」
「中野駅までお乗り頂くということですよね?」
「はい」
「ハイ,イタダキマシタ-!」
「えっ?」
「いえ、かしこまりましたー。あ!お客さん、良かったらこれどうぞ」
「え、あ、ありがとうございますー」
「お茶で良い?水もあるけど、あとは~ブラックコーヒーとカフェオレ~もありますね」
「え!そんなに?お茶で大丈夫です。凄いっすね運転手さん」
「いえいえ、まあこういう時用に準備してあるんで、ゆっくりくつろいでください」
「ありがとうございます」
めっちゃいい運転手さんじゃん!
池田の目的地はさらに遠くまで伸びた。
人生の目的地も、何か見えてきたものがあったのだろうか。
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