採決権は何百万人もの民意が託された「一票」です
こんにちわこんばんわ。
全ての増税に反対し、全ての減税に賛成する自由人、七篠ひとり(@w4rZ1NTzltBKRwQ)です。
前記事の「自公過半数割れ。まずは11/7の首班指名に注目です」の続きとしてちょっと補足しておきます。
こちらは国民民主党の玉木代表の衆院選投開票日当日のポストで「みんなで投票に行きましょう!」と有権者に選挙に行くよう呼びかけるものです。
このような投票への呼びかけポストは非常に大切で、同時に「白票や棄権は白紙委任」という訴えも多くあることは皆さんもご存知のことでしょうし、それに反論する声はほとんどないと言っていいでしょう。
では皆さんにここで質問です。
この玉木代表の「首班指名で石破野田の決戦投票になっても玉木と書く」は「棄権による白紙委任」ではないのですか?
選挙で白票を入れるのと、首班指名の決選投票で100%無効票となる「玉木」と書くことは何が違うのでしょう?
散々選挙に行かない人達や白票を入れる人を批判しておきながらなぜこれに誰も怒らないのでしょう。
この玉木代表の「玉木と書く」に違和感を覚えないなら、今後の選挙における白票に対しても批判すべきではありません。
ダブスタは恥ずかしいので止めるべきです。
さらに言えば2021年の衆院選では、国民民主党は11議席を得ました。(その後4名の離党者が出て7議席に)
それが今回の衆院選では28議席まで躍進したのです。
また今回の選挙での国民民主党の比例票は617万票です。
つまり国民民主党が持つ「採決権」は、
何百万人もの有権者の思いが託された「一票」
であり有権者が持つ「投票権」とは質も重みも全く違うものです。
そんな採決権を「公約実現のための戦略」も持たず「玉木」と書いて放棄することがどれほど有権者を愚弄する行為であるかは説明するまでもないでしょう。
もちろんこれは全ての党に対していえることなのですが、国会議員が採決権を放棄することほど民主主義を否定する行為はありません。
かつて「ガーシー」という議員がいました。
彼は一度も国会に登院することなく除名処分となりましたが、彼が行った有権者に対する最大の罪は国会に来なかったことではなく
採決権を放棄したこと
です。
委員会での審議は会派で質疑時間が与えられるためにガーシー氏の質問時間分は同じ会派の別の議員が質疑に立てますし、実際に立っていました。
しかし委員会や本会議などでの採決はガーシー氏本人しかできません。
有権者から託された「採決権」は議員本人しか行使できないのです。
彼の除名処分に対して「民意を無視している」「民主主義を捨てた」という批判がありましたが、民意を無視し民主主義を捨てているのは採決権を放棄した彼であり、それを黙認してきた党です。
それと同じように今回の首班指名においても、決選投票で「公約実現のため」という駆け引きも無く「玉木」と書くことは、有権者の信託を無視した一番やってはいけない選択です。
国会議員の持つ一票は「数百万人の有権者の思いが託された一票である」ということを忘れる議員に民主主義を語る資格はありません。
数百万人の有権者に約束した選挙公約を実現することを目的に行動しないのなら議席は返上すべきです。
国会議員が持つ採決権は何百万人もの有権者の思いが託された「一票」です。
前記事でも書いたように、今回の与党過半数割れは野党にとって公約実現のチャンスです。
だからこそ公約実現のために戦略的に採決権を行使すべきです。
ということで、今日はここまで。
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