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企業のハコモノ激闘史・鈴鹿サーキットはこうしてできた。

おざき均整l浜松市l1日3名限定l腰痛に悩む女性のための整体院さん(@ozakikinsei)よりご投稿頂いた記事です。


「1番最初の予算は1億円だったんです。ところが最終的にサーキットが出来上がると25億円かかっていました。」

なんのお話かわかりますか?

これ「鈴鹿サーキット」ができた時のお話なのです。

今回は1999年に文庫化された軍司貞則著「本田宗一郎の真実」より鈴鹿騒動を書いてみます。

構想が持ち上がったのは昭和35年。

昭和35年というと三重県鈴鹿市にホンダの鈴鹿工場が設立された年。

それからわずか2年後の昭和37年に日本初の本格サーキットを有するモビリティテーマパーク(当時はモータースポーツランド)「鈴鹿サーキット」が完成するわけです。

鈴鹿工場と鈴鹿サーキットの建設責任者に任命されたのは塩崎定夫氏。

この塩崎氏はホンダの浜松工場に入社して早々に工場の杜撰さを憤り宗一郎に手紙を書いて訴え、宗一郎直々の面談で直訴した人物。

宗一郎は当時20代後半の社員である塩崎氏の案を認めて「やってみろ」と任せてしまいます。

浜松工場の改革が成功すると今度は埼玉(白子)工場の改革を常務の藤沢武夫に直訴します。

埼玉工場は改革前の浜松工場のように職人任せの杜撰な運営で品質も生産管理もぐちゃぐちゃでした。

塩崎氏は組織図を作って役目を与えて運用することの大切さを藤沢に解き説得しますが却下。

藤沢は役目をつけると肩書きで威張り出すからダメだと塩崎案に猛反対します。

社長が「やってみろ」というのに常務が「ダメだ」という会社。塩崎氏は頭を捻ってしまいます。

この当時のホンダは

埼玉県和光市の本田技研。
宗一郎のいる通称「ホンダランド」。

東京都の八重洲にある本社。
藤沢のいる通称「藤沢商店」。

この2つが絶妙のバランスで成り立っている会社でした。

宗一郎がものを作り、宗一郎が作ったものを藤沢が売る。

お互いの得意を担った理想の会社はこの頃、会えば喧嘩になって分解してしまうんじゃないか?という危険性があったのです。

三重県鈴鹿市に建てる工場の責任者になった塩崎氏は当初、藤沢がいうような工場にするつもりでした。

ですが宗一郎が示す未来予想と「金はがんがん使え」の言葉に乗り予算を大幅に上まる額の大きな工場を建ててしまいます。

当時の塩崎氏は34歳。

これはクビだろうな…そう覚悟してましたが上司の叱責以外お咎めなし。

助かった理由はホンダのメガヒット作スーパーカブ。鈴鹿工場が大きかったことで生産が追いつき大幅な利益が計上できたのでした。

工場が終わると今度はサーキット建設。

サーキット建設を言い出したのは宗一郎。

自身も数々のレースを経験してることからバイクや車を向上させるにはレースができるサーキットしかないと鈴鹿の土地に建設を命じます。

藤沢はサーキットの有用性よりも「いかに金を産むか」を考えていてあまり乗り気ではなかったそう。宗一郎の未来予想に乗ってみることにしました。

塩崎氏は海外から資料を取り寄せて分析するとどう考えても大幅に予算が膨らむ計算に。

それを聞いた藤沢は大激怒。

サーキットとテーマパーク作るのに不動産をなんでそんなにバカバカ買う必要がある!と怒鳴りつけます。

これは塩崎氏が資料を分析した結果、レジャー産業の衰退期に確保しておいた土地を売って企業のエネルギーを作るのが当時の最新。

そのために鈴鹿市の土地を開発する必要がある。

力説すればするほど藤沢はカンカンに。

塩崎氏をクビにしろ!と部下に命じますが宗一郎は「金を惜しむなどんどんやれ」とGoサイン。

揉めて宗一郎と藤沢が直接対決したら会社がどうなるか…。

しばらくしたら藤沢の怒りも解けるだろうしうやむやにしてほとぼりを覚ます。

塩崎氏は当初より早いスピードでサーキットの完成を急ぎます。

かくて資本金10億円のスポーツランドは総工費25億円で完成。

15億円の負債に「あのバカ野郎、またやりやがったのか。こっちの苦労も知らないで…。」と藤沢。
この一言は嘆きか怒りか。

現在も鈴鹿工場は稼働し鈴鹿サーキットはモビリティパークとして運営されています。

宗一郎の未来予想が現在も見事に当たってると言えますし藤沢の売る苦労が実り現在も続いてるとも言えます。

鈴鹿サーキットはいわば企業のハコモノ。

企業のハコモノは利益を出し続けなければ負債となり企業を苦しめます。

そのためキチンと計算されるのですが…なかなか予想は当たりません。

これまでも多くの企業のハコモノが消えていきました。

またハコモノは予算が増えるのが当たり前のようになっています。

塩崎氏の案は土地神話により価格が上昇する見込みがあったからこそもありましたが、たまたまとも言えます。

計上される予算に「ひとの金だと思って好きに使ってるんだろうが、許さねえぞ!」と怒鳴った藤沢の気持ちもよくわかります。

天井知らずのハコモノ。

終わったら片付けるではなく鈴鹿サーキットのように利益を出し続けるのは企業も行政も同じではないでしょうか?

予算が膨らむ話を聞いたら藤沢の一言を思い出したいものです。

参考資料
本田宗一郎の真実: 不況知らずのホンダを創った男 (講談社文庫 く 30-4)


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