11. そもそも、なぜ「幸せに働く」ことが大事だと思うようになったか?①
つらつらと今やっていることややってきたこと、個人的な考えを書き連ねておりますが、そもそもなぜこういう部分に行き着いちゃったのか?的なお話ができれば、よりリアルなところとして感じ取っていただけるかなと思い、そのあたりの背景をお話したいと思います。
このあたりの話は、グリーCTOの藤本さんのインタビュー的な記事がありましたので、そこも合わせて読んでいただけるといろいろ理解いただけるかなと思います。
そもそも私の心理状況とかはあまりこのブログの趣旨とはずれているのですが、こういう考えに至った経緯を理解してもらうためにも書いておいたほうがいいかなという思いと、1つの経験談として書いておくことで同じような状態になった人たちへのなにかの気付きとかになっていただけるとうれしいなという思いでまとめてみました。
アカツキという会社との出会い
この一連の考えは、主にこのアカツキというチームとの出会いから経ての10年で僕の中で培われてきたものがベースとなりつつ、今まで歩んできた人生の考え方とかやり方が加わることによって出来上がっています。
アカツキとの出会いは2010年6月です。当時は私も別の仕事をしていましたが、昔から繋がりがあった香田さん(現在のCEO)からチャットで「今って暇ですか?」という連絡がきたことで始まりました。そんなに暇でもなかったと思いますが、いろいろな状況が相まって別の仕事を続けながら夜な夜なアカツキのサービスづくりを手伝うというような感じで始まりました。その時私は35歳か36歳だったかなと思いますが、今思うとよくその年齢でリスク取ってやり始めたなと思いますが、このベンチャー創業期のワチャワチャ感というか、とにかくがむしゃらに頑張るというようなやり方が自分にも合っていて、とにかくみんなで前進していく感じがたまらなく楽しかったのを記憶しています。
その時は永続的にそこに身を置くこととかも考えてなかったし、昔の友人関係の中でお願いされたことだったので報酬とかもなかったと思いますが、自分の仕事が終わると夜な夜な集まってきて朝まで作業して帰る的な生活でしたが、これがまたとても刺激的でした。朝、作業場の窓からカラスがかーかー鳴いているのを聞いて、「あ、やべっ、朝だ」という感じのサイクルでしたが、この感じがほんとに楽しかったです。
自分もチームを担う一員であると感じることがやりがいにつながっていた
私はエンジニアなので、当時はゲームの開発やインフラの部分とかを主にやっていましたが、基本的にはやれることは何でもやっていたと思います。
当時はチームも数人で小さかったですし、仲間感あってワイワイやって前進していく感じだったので、やっぱり自分1人の役割も大きかったと思います。
当時はまだiphoneもリリースされたばっかりでガラケー全盛期、モバゲーやグリーのソーシャルゲームが台頭してきているころで、「怪盗ロワイヤル」や「釣りスタ」というようなガラケーで遊べるゲームが世の中を席巻していて、携帯でソーシャルゲームという新しいトレンドができ始めていました。
アカツキでもソーシャルゲームを作るぞということで動きはじめていましたが、私はモバゲーもグリーもまったく使ったこともなく、そもそもiphoneにしたのが早かったのでガラケーも持っていなくて遊べない環境だったので、速攻でAUショップにいってガラケーを購入したのを覚えています。こんなレベルのやつでも、自分の能力云々ではなく、単純に頭数と役割として欠けると大変だったと思いますし、自分にも大きな責任がかかっていたと思いますが、それがまた自分がここにいる存在意義的な感じにつながっていって、より頑張るぞという気持ちにさせていきました。
ただ、今思うと、この作業感と作業量、寝ずにやる的なところに自分自身のやりがいと存在感を感じていたというのが真実だと思うのですが、このあたりの自分の認識や承認欲求的なところが、後々どんどん自分を苦しめるという、想定していないようななかなかつらい状況に陥ってしまったなと。
がむしゃらにがんばる楽しさと、人に使ってもらえる喜び
アカツキに残る決断をしたのにはいろいろな理由がありますが、そのうちで大きな比重を占めていたのが「みんなとがむしゃらにがんばる楽しさ」と「エンジニアとして作ったものが使われる喜び」の2つでした。
「みんなとがむしゃらにがんばる楽しさ」部分については先にも書いた通りなのですが、やっぱり自分の働くスタイルにも合っていたのだと思います。労働時間も長かったというか、日常生活との切り分けもあったようななかったような状況だったかなと思うので肉体的な疲労はかなりあったとは思うのですが、そういうものが気にならないくらいになにか別のところでの満足感ややりがいみたいなものを感じていたと思います。
もう1つ大事なのが「エンジニアとして作ったものが使われる喜び」の部分です。小規模な人数でソーシャルゲームの開発をしていたので、自分たちが設計して、コーディングして、デバッグして、直して、リリースしてというサイクルを繰り返していました。サイクルも早く、そして自分たちの手ですべてが回っていたので、ソフトウエアエンジニアとして関わって創り出したものが世の中にでて、それを使ってくれて楽しんでくれている方々がたくさんいらっしゃったということをより身近に感じられたというのが大きかったです。何らかの形で反応してくれるユーザーの方々がいて、良い内容であっても悪い内容であっても返答してくれることで創ったものが人に使われる喜びみたいなものをすごく感じました。創ったものが使われて反応があってはじめて世の中に対して価値があるものという認識になるのだなと感じました。
エンジニアにとって大事なことって、こういう実感が持ててよいものを作ろうっていう思いになれるかどうか?ということなんだろうなあっていうのをすごく感じた時期だったと思います。
露呈する「自分の存在の小ささ」
ものづくりの実感が得られていたし、頑張ればその分成果として返ってきていることが実感できていたので、過酷ではありましたが、寝る間も惜しんでやっていてもポジティブであったし、すごくいいサイクルで前進できていました。そこにいた全員が、絶対成功させてもっともっと大きな価値を生んでいこうって思っていたはずです。
が、うまくいくようになると人も増えてくる、役割も分担される、ラインも増えてくる、組織的な上下関係もできてくることになり、自分の存在感ってどんどん相対的に小さくなり薄まっていくのを感じるのです。四分の一の存在だったの十分の一になり百分の一になり、友人関係もいつしか上下関係になり始めると。そうなってくるとどんどん自分が小さい存在に思えてくるし、いままでワイワイガヤガヤのチーム感も感じられなくなり純粋に楽しめる状況ではなくなってくるのです。かつ、疎外感すら感じるようになってしまいました。存在していてもしていなくてもあまり関係ないよなと感じるようになってきてしまいました。
必要とされるものは時間とフェーズで変わるという事実
会社がうまく回り始め軌道に乗り始めると、採用も加速していき拡大フェーズに入り始めます。よりうまくいくようになると、どんどん優秀な方も入社され、能力的な部分でも劣等感というか、大きな差を感じるようになります。資金的にも余裕がでてくればより能力を持った人を採用することができるようになるわけです。
そうなってくると「自分の存在価値はあるのだろうか?」とかそういうことを考え始めるようになってくるのです。認められる感じもしなくなってくるし、いてもいなくても変わらないのではないか?という感覚に囚われてきます。
今思えば当然ですが、組織が拡大してくると最初の頃の「とにかくがむしゃらに頑張る人」とは違ったより専門的な能力が求められるわけです。創り出す製品もより高度化専門化してくるので、ド素人がゲーム創っていたときとは違って、もっと特化した能力が求められてくるわけです。
組織の構築についても当然ながら大きくなってくるチームをどう構築していくか?より会社としての機能をどう充実させていくか?こういう部分は経験と知識が必要になってくるわけですが、こういうものは当然ながら自分には持ち合わせていない能力になるのです。
最初はみんなこの「絶対成功させてもっともっと大きな価値を生んでいこう」っていうことを疑いもなく思っていたはずなんですね。しかしそれが実現すればするほど自分の心は追い詰められて苦しくなるという皮肉。もうどうしたらいいのやらという感じですが、完全に負のループというか。
思ったよりも話しが長くなりそうだったので、一旦ここで切って次の回に繋げていきたいと思います。
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