12. そもそも、なぜ「幸せに働く」ことが大事だと思うようになったか?②

前回の概要

前回は、同タイトル①として、アカツキというチームとの出会いから、組織の拡大とともに感じる疎外感、自分不要論をずらずらと記載してみました。完全に負のループに入ってしまったわけですが、更に拡大とともに自分の心を苦しめていくという辛いフェーズに入ってきました。そのあたりをまたずらずらと書いていきたいと思います。

会社の成長が自分を苦しめる

自分の存在がどんどん小さく感じられるようになること、能力的にも必要な感じが薄れていくこと、それがどんどん上手くいけばいくほど強まってきます。どんどん自分の自尊心も失われていき、真面目に向き合おうとすればするほど、とにかくこの場から逃れたいという気持ちが大きくなってきてしまいました。
今までの成功体験的なもので、自分はもうちょっとできるやつだと思っていたんでしょうね。今までもうまくいっていた部分もあるし、結構がんばれてきたはずだと思っていた。がしかし、自分の無能さ的なものも日に日に明らかになってくるように感じましたし、どんどん自分の想いとは逆の方にいき、自分のプライド的なものもどんどん傷ついていって、どうすれば救われるのかもわからず、こういうときが一番つらく、どうしていいのかよくわからなくなりました。とにかくやるべきことはたくさんあったので、それをひたすらこなしていくという日々。機械的に働くというか、そういうルーティーン的な感じで毎日仕事してたときがあったなと、いま振り返ると感じることがあります。
そうなってくると1つ1つのことにやりがいなどは感じなくなってきてしまうものです。毎日が機械的に回っているようで、その動きもなかなか自分で止められず、自ら抜け出す勇気も持てなくて、結果として惰性で回りつつけている感覚だったように思います。やっぱりやっていることに意義や目的がちゃんと見いだせなくなってしまうのが一番つらいですよね。そして、うまくいけばいくほど苦しくなるという辛さが、なんともいえないやるせない感じだった気がします。

刻まれない自分の名前

僕自身、創業期から一緒にやっていたので、会社やサービスの成功を目の当たりにして、少しずつ成長して大きくなってくる過程を間近に見られたのはほんとに貴重な体験でしたし、そこに身を置けたこと、誘ってもらったことは自分にとってもすごく誇りに思えている部分です。この想いは今も変わらないですし、当時一緒にやってきたメンバーとの思い出はほんとに貴重で大切なものだなと今でも感じます。

ただ、当時気づいてしまったことでほんとに辛かったことの1つが、この「刻まれない自分の名前」の事実。ずっと一緒にがんばってきたつもりではあったし、それを誇りにも思っていたし(今も思っている)、すごく楽しくエキサイティングであったけど、結局のところ僕という存在は、別に会社の歴史の中でどこかに刻まれているわけではないのです。創業者とい位置づけでもないので一人のただの従業員なわけで、歴史が長くなれば長くなるほど存在なんて薄まってしまうのですね。辛かった時期の状況とか思い出せないことも多いのですが、それに真面目に気づいてしまったタイミングがあって、本当に辛い一瞬だったことを記憶しています。

相対的なものより絶対的なもの

そんなこんなの精神的に追い詰められる辛い状況の中、どうやって立ち直ったのか、何がきっかけだったのかは覚えていないのですが、気付いたことがいくつかありました。「友人と一緒にがんばって成功させる」、「組織の成功のために頑張る」、「会社の歴史に名前が刻まれない」等々の事象を振り返ると、すべて相対的なところだったのです。
つまり、友人との関係性の中での自分、組織の中での自分、会社という組織と自分という相対的な関係性の中で常に自分の存在を考えていたし、その中での成果や評価をモチベーションにしてしまっていたので、その相対的な関係性の中で問題が発生すると一気に全体が崩れてしまうという構図になっていることが理解できた瞬間がありました。相対的なものが強いからこそ自分で辛さを作ってしまっているのでは?、そこに気づけたことから少しずつ考え方や自分の感情の持ち方が変わっていたのだなと思うのです。
相対的なものがだめなら何がいいのか?相対的⇒絶対的?絶対的とはどういうことなのか?というような思考ルートだったと思いますが、対友人、対組織ではない絶対的なものとは?を追求していったときに行き着いたのは結局のところ「自分という人間はどうしていきたいのか?」という自分の根本的な思いでした。

変えられるのは自分だけ

結局の所、「相対的」なものは相手ありきなので、自分だけが頑張ったところで相手がどう考えるかでも大きく左右されてきてしまうわけなのですね。また評価とは基本的に自分でするものではなく相手がするものなので、相手がどう感じるか、周りが自分をどう見るかのその感覚自身を変えたり制御したりすることはできないわけです。つまり自分しか自分で制御できないし、自分の意思で変えることはできないわけなのです。そういうものにすがってしまうと、どうしても自分で制御できない要素に引きずられてしまい辛くなってきてしまうというのが現実だよなと思うのです。
「となると自分自身が変わっていくしかないということか?」というところにも気づけたのも大きなポイントだった気がします。自分の考えや思いは自分で変えられると。相対的なものではなく、絶対的なもの。それを自分で決めていければもっと強く生きていけるはずだと思うようになりました。

僕自身なぜソフトウエアエンジニアを目指したんだっけ?と根本的なものを思い起こしたときに、「Mosaic(Web Browserの源流的なソフトウエア)のような世の中の価値観を大きく変えて影響を与えて、世の中の人達の生活や人生をより良くしていくためのものづくりに関わりたい」というところでした。その根本に立ち返ったときに今置かれている状況はどうなのか?というような考えに立ちかることによって、自分自身の立ち位置や役割を再認識して、自分が成し遂げたいと思ったことに向かっていけるはずだと思えるようになったことは、1つの大きな転機だったのだなと思います。

自分の考えが組織の考えにシンクロする

こういう流れで今に至ったときに、「今に至った大切なことって何なんだっけ?」と考えていくうちに、結局自分自身の根本的なところを大切にすべきだよなと思うようになりました。誰かの考えを押し付けるのではなく、自分の中からでてくるものを大切にする、相対的なものより絶対的なもの?そういう考え方にシフトしていくことが、自分を強く前進させることができるのではないかという考え方です。
僕自身、アカツキのCorporate Vision/Missionの考え方はすごく共感できるものがあり、すごく好きです。ただ、正確に表現するとすれば、Corporate Vision/Missionに共感しているからそこにいるのではなく、自分がたどり着いた考え方や思いに会社や組織の考え方が非常に近い、というのが表現的には正しいと感じています。だから、会社や組織の考え方が変わってくることも当然あると思いますが、だからといって僕自身の考え方が変わるわけではありませんし、自分自身の軸がブレることはないのだと思うのです。その変化が自分の中で許容できなくなってくることがあれば、そこが自分の限界点だなのだと思いますし、シンクロする部分が多ければ互いに一緒にやっていくことがメリットになるのだろうなと考えています。

なので、そういう考え方がベースになって今の組織づくりの基本的な方向性があるわけなのですが、この考え方を押し付けるつもりはありませんし、考え方は人それぞれ、想いもひとそれぞれなので、それを尊重したいです。
ただ、一緒に働く人達にはやっぱり「自分自身のwhy?なぜ働き、ここにいるのだろうか?」という部分は、ひとりひとりが自分の中から湧き上がってくるものを常に大事にしてほしいなと思いますし、それが毎日を力強く前進していくためのぶれない原動力になってくるのではないかと思うのです。
自分の心から湧き上がってくるものを大事にするとか、自分の言葉で自分自身の理解を表現するというような試みは、こういうところからの想いからきているものになるのです。

アカツキ社っぽく自分の想いを表現するならば、「如何にメンバーひとりひとりが自分の意義や意味を自分自身の言葉で言語化し、その想いでハートドリブンする世界を見出し」、「そのひとりひとりの想いが個性として輝き、そこから生まれる製品やサービスで世の中の人達の心を輝かせられる世界を創造する」というような表現になるかもしれません。

自分で結論を見出して強くなった気がする

辛いときは時間がかかってしまうし、ほんとに辛いのですが、自分で結論を見出して強くなった気がします。この精神的につらい時期に、自分で意義や目的を見出して乗り越えられたのは大きかったように感じます。こういう時期はほんとに辛いですが、この状況を自分で納得できる形にできないと、恐らくまた同じループに陥ってしまっていたように思うのです。この負のループを自分で断ち切れたのは本当に運が良かったなと。

また、こういう精神的につらい時期は「つらいな」って打ち明けられたらよかったのかもしれないなというのが今の反省点です。もう少し相談できていたりしたら楽になれて良かったのかもしれないですが、この手の相談の場合、ある意味自分の無能さ的なものを出していかないといけないので、それもなかなかハードルが高いものだと思います。こういう部分がうまくフォローできるような仕組みがあるといいのですよね。
よく「心理的安全性」と言われますが、これが担保される環境は本当に稀だと感じますし、「心理的安全性が」と言える人は相対的に「上」の人が多いのではないかと思います。本当に自分の辛さや弱さを出せて話ができる環境ができるといいですよね。

最後に

ずらずらと今までの心境の変化を正直に書き出してみました。当然ながら今でも自分は完璧な人間ではないので辛くなることもたくさんあります。ただ、大事にするものがあると少し安心できるのです。そのため、このあたりの考えの変化が、今のチームや組織づくりの基礎になっているのだなと改めて考えることができました。
次は、この心境の変化の中で転機になったコンテンツ、自分に取って大切で勇気をもらうコンテンツをご紹介したいと思います。

毎年何社も新しい企業が誕生し、新しいチームや組織が誕生してくると思うのですが、同じような心境になる方もたくさんいらっしゃるのではないかと思うのです。そうなったときに少しでも何かの手助けができるといいなと思うのと、一回通過した自分の状況で誰かが少しでも楽になるのならばいいなと思い、書き起こしてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?