【俵万智の一首一会⑪】果てなき最後の恋
ただ白き光となりてわがあらむ 君のすべてを抱(いだ)かんがため 池田理代子
『ベルサイユのばら』などで知られる漫画家、池田理代子。四十七歳のとき音楽大学に入学し、その後はソプラノ歌手として舞台にも立つ。七十代を迎え、挑戦に年齢など関係ないとばかり、このほど第一歌集『寂しき骨』(集英社)が出版された。章ごとに、人生の詞書とも言うべきエッセイが寄り添い、短歌の味わいを深めている。
戦争から生還した父との確執と看取り、才能あふれる娘に夢中だった母との絆、不器用な初恋、自身の老い、猫との暮らし……。生きることの重みと確かな技術に裏打ちされた短歌が、胸に迫る。漫画でも音楽でも表現できなかった世界なのだと思う。
「母さんを頼む」と洒落(しゃれ)たことを言う「おう、任せとけ」と私も応じる
あれほどに子を慈しみ子を抱きし 母が見知らぬ人となるとき
最期を迎える父とのやりとり。互いの強がりが、かえって心の慟哭を感じさせる。父から頼まれたその母が、母ではない誰かになってゆくさまを、淡々と捉えた一首も切ない。
そして本書の白眉は、なんといっても最終章「最後の恋」だろう。親身な解説を寄せた永田和宏も「この一冊の歌集は、その最終章を書くための一巻であったのかもしれない」と書いている。その通りだと思う。
オペラの稽古場で出会ったとき、池田理代子は六十歳、彼は三十五歳だった。
悠然と二十五年を遅れ来て 我を愛すとなど君の言う
幾たびか君をあきらめ書きたりき 書きて捨てにき訣別(わかれ)の手紙
エッセイに「二十五年ものんきに遅れて来やがって!」というセリフがある。愛に満ちた最高の悪態である。彼の方はさほど気にしていないようで、だからこそ「悠然と」した態度に、いっそうイラついてしまう。
友達でいようと心にストップをかける気持ち。今はよくても、いつ捨てられるかという猜疑心。何が目当てなんだと見る周囲の好奇心。さまざまな障壁がありながら、別れの手紙は捨てられた。「書きたりき」とまず書いた上で、「書きて捨てにき」と重ねた一首の呼吸が、葛藤をみごとに表現している。
いにしえの武士(もののふ)も見し宇治の月 いく世へだてて君をとらえぬ
武士も見たであろう宇治の月が、今夜君の心を捉えた。そのように自分は、時を越えて君を捕まえたのだ。歴史的な時間を意識する中で、むしろ自分は「君が生まれた時代に降臨した」と感じたのだろう。いつしか作者自身が、時間の影響を受けない月そのものに見えてくる。スケールの大きな恋歌だ。
池田さんと私は、河野裕子短歌賞の選考委員として長年ご一緒してきた。今は夫婦となられたお二人と食事をしたこともあり、あの自然な佇まいに至るまでにこのようなドラマがあったのかと胸が熱くなる。
大いなる君がみ胸に頬うずめ 疾(と)く確かなる鼓動を聴けり
この一首などは、河野裕子の「夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと」を彷彿とさせる。ただし、河野が二十歳前後の作品だ。池田作品「鼓動を聴けり」の瑞々しさに、あらためて圧倒される。
君のすべてを包むべく、ただ「白き光」になりたいと詠む掲出歌。肉体の衰えと精神の瑞々しさを統合した結果、時を越えた存在となった作者を思わせて眩しい。
ちなみに私は今、池田理代子が運命の人に出会った年齢に、ようやく近づくところ。そう思うと、これほど希望に満ちた歌集はない。
(西日本新聞2020年2月5日掲載/題字デザイン・挿画=北村直登)