見出し画像

「元旦」は正月一日午前中のことを指すわけではない!「旦」は地平線に登る太陽ではない!

これまでずっとX(旧Twitter)で活動してみましたが、情報が錯綜してかなり分かりにくいため、noteを始めることにしました。

改めてはじめまして。とこよのベアーと申します。
単なる漢文好き・酒好きのエンジニアのオッサンですが、よろしくお願いします。noteの転載はご自由にどうぞ。

さて、今回ですが、最近流布している「元旦とは正月一日午前中のみ!午後は誤り!」「「旦」は地平線に登る太陽!」という奇説について私の思うところを述べたいと思います。

「元旦」は正月一日午前中のことを指すわけではない!

これはどう見てもおかしすぎます。なにしろ、
元=はじめ(転じて初めの月、すなわち一月)
旦=一日もしくは朝
という意味しか漢語にはないのです。そして、旦で「一日」と「朝」という2つの意味(両義)を表すことは漢語の構成として異常と言わざるをえない。
なお、かなり間違えやすいのですが「元」に正月という意味は本来実はありません。
元の漢字としての大本の意味は『説文解字』に「始め也。」とあるように、単に「はじまり」しか意味がないからです。
だから、古典の用例としては「一月元旦」というのは普通にあります。この場合の元は「一日」という意味です。

一月一日早朝を特定して言いたければ「一月元旦」というしかない。

一月
元=一日
旦=朝
です。
元旦というのは本来略語なんです。文脈によりふわっとした感じで一月一日全体を指したり一月一日早朝を言ったりしていた。改まった時に一月一日朝と特定する時は一月元旦です。ところがいつしか元に正月の意味があると誤解されるに至った。

なにしろ五経の一『書経』(大禹謨)にはほとんど同じ意味の「正月朔旦」という表現が出てきますからね。朔は一日のことで、意味は元と同じです。『四庫全書』に入っている元の時代の注釈書『尚書句解』では、「乃ち年が明けるを以て正月一日となす」と言っております。ここでも「旦」は単に朝の意味しかない。

正月朔旦 (句解)乃以明年正月一日

元・朱祖義『尚書句解卷二』(大禹謨)四庫全書本 https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=302901

また、同じく『四庫全書』に入っている清の乾隆帝勅撰『通鑑輯覧』には

時新廟成,于正月元旦舍菜

清乾隆帝勅撰『通鑑輯覽』四庫全書本、卷八十

とあります。これは孔子廟の式典をしているのです。
これ以外にも『三国志演義』には「建安十五年、春正月元旦」とある。口語体の小説ですからあまり漢籍としては筋は良くないですが。
ちなみに「一月元旦」「正月元旦」「正月朔旦」と改まってわざわざ漢籍に出てくる時は「新年の参賀などの新年式典をやるとき」が多いです。そりゃ式典は朝からやるから、一月一日朝、とわざわざ書くわけです。『後漢書』によれば午前四時からかがり火を焚いて文武百官が正月一日に皇帝に万歳を申し上げるのだそうです。ここまでは特に問題はない。
もちろん江戸時代から明治時代の日本人も「正月元旦」と書いていました。江戸東京博物館には江戸・明治時代の町人の古文書・古記録が多数蔵されていますが、そのうちの一つ、今の東京都中央区日本橋二丁目の飛脚問屋の日記『米屋田中家 明治年間旧記』には「正月辰元旦」という記載があります。

「一月元旦」は誤りか。「元旦」は一月一日午前中のみか。


ところが世間は広いですねぇ、「一月元旦」(及び正月元旦・正月朔旦)を誤りと言う現代の日本人は多いですし、「一月一日午前中」だけが「元旦」というネットニュースは複数ある。嘆かわしいことです。これの原因だと思われるのは『康煕字典』のこの部分がとても紛らわしいのです。

爾雅·釋詁に旦は早也。書(経)大禹謨に正月朔旦とあり

『康煕字典』旦 https://www.kangxizidian.com/kxhans/%E6%97%A6

これをどなたかが「あっ、旦は朝なのか、じゃあ元旦ってのは一月一日朝なんだな」と思ってしまったらしい。これ、誤用としては相当古いようです。あまり言いたくないのですが藤堂明保『学研漢和大字典』1978でも「元旦 一月一日の朝。元朝」としてしまっているのですね。これがどうも独り歩きしてしまった。
『明鏡国語辞典』第二版や『三省堂国語辞典』第七版などの辞書ではなんと「一月元旦」は誤りとしているとのこと。NHK放送文化研究所の「視聴者の疑問・放送現場の疑問」というページでは以下のように有る。

多くの辞典が、冒頭に記した「旦」の捉え方から、「元旦」の主要な意味を「元日の朝」とし、中には「元日」の意味で使うことを間違いと明記する辞書もあります。『明鏡国語辞典』(第2版)は、<「一月元旦」「元旦の朝」は厳密な意味では重言。改まった場では、それぞれ「○○年元旦」「○○年元日」「○○年一月一日」「元日の朝」などとしたい。矛盾表現となる「元旦の昼」「元旦の夜」なども避けたい>としています。『三省堂国語辞典』(第7版)には、「(あやまって)元日」という語釈も載っています。

こうした状況から、NHKとしては、放送で「1月1日の朝」のことを言う場合は、「元旦の朝」という表現は使わず、多くの人が違和感を持たない「元日の朝」もしくは「元旦」を使うようにしているのです。

https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20150101_3.html

これを見た時に私は「エーッ」と言ってしまった。思わず。現代国語辞典のたぐいは何を根拠に重言や誤りと謂わっしゃるのか…「元」に正月という意味があると思ったのでしょうか。

でも、『書経』大禹謨にも類似表現が出てきて歴代の史書で出てくる表現を「厳密な意味では重言」「改まった場」「避けたい」「あやまって」とは…経書や史書は改まった書ではないのでしょうか。『通鑑輯覧』に至っては勅撰の書です。もっともフォーマルなものですよ。現代日本語の複数の辞典にこういうことを書くと、マスコミはこれを信じますし、これを信じて文句を言う人がいるのでしょう。現代日本語を研究する人を見ると世間の用例を一生懸命調べて最大公約数を辞書にまとめていることには注力していますが、古典はさほど見ていない人が多いような気がするのは私だけかなぁ、杞憂であってほしいのですが。
ただ、国語辞典が悪いというより、今の世の中の問題かもしれません。誤用の用例が多すぎたのでしょうか。誤用が国語辞典でも無視できないほどはびこり、世の中の言葉の最大公約数を目指す国語辞典でもこういう言い回しになってしまうのかもしれない。日本人の教養の減退に依るものか。嘆かわしいことです。
それだから原義とかけ離れた話をしてしまうのでしょうか。誤用が流布しているだけなんだけどなぁ…
Xを見ると「元旦は一月一日午前中だけ!」と言っている人がいくらもいますし、有る新聞社も同じことを言っていました。

なお、国語学者の飯間浩明氏は清代の書に「元旦の夜」という用例が有ることを取り上げ、元旦は一月一日全体と言っても良く朝と言っても良い、といっておられます。これが大人の意見というものでしょう。なお、『三省堂国語辞典』は第八版では「昔から例があり漢字の意味とも合うが、今では違和感を持つ人もいる」と苦衷の表現にしているとのこと。

なかなか難しいですが、やはり「元旦」=一月一日午前中のみの限定用法というのが定着してしまうのは宜しく無いと思う。
元が正月というのなら「元年」というのはそれなら年がら年中お正月でおめでたい年なんでしょうか?そんなことはない、単に「一年」の言い換えに過ぎない。くりかえすが元には「始め」の意味しかない。中国最古の字書『爾雅』(じが)の注釈(『爾雅注疏』)では、「元は人間の頭のことで、頭が人間の一番はじめにあるから始めというのだ」と言っている。

つまり、「元旦」は単に一月一日のことを略していっており、「一月元旦」の略に過ぎないのですが、どういうわけでしょう、何故か国語辞典の中には略称だとなっていないものが有るわけです。

「旦」は地平線に登る太陽!ではない!

なお、もう一つ誤解を言っておきますと、「旦」が「地平線から昇ってくる太陽」というのは、俗説であり正しくありません。これは後漢の許慎という学者が辞書の古典『説文解字』で「日見一上。一,地也。」と言い出したことですが、許慎は『老子』を読んでいたらしく、『老子』の説によって「一は世の中のはじまりなんだ!」と宗教的に信じ込み、「一は世の中の始まり、地平線に違いないんだ!そこからお日様が上がってくるんだ!」と思い込んで解釈をしたのですが、残念ながらこの人は甲骨文字を見ていませんでした(その約1700年後に出土するから見れやしない)。許慎は天才的な学者ですが、甲骨文字を見れなかったために随分誤った解釈もしています。おまけに後漢という時代が宗教がかった時代なので、宗教に目がくらんだような解釈も多い。これは随分後に批判されたのですが、未だにこの俗説がまかり通っているのは残念としか言いようがない。許慎の説をまるまる信じるべきではないことは私の大師匠の藤堂明保が力説するところでしたが、未だに許慎の説を信じている人が多いのも悲しいことです。

甲骨文字の「旦」の下の横棒は一とは似ても似つかぬものです。切餅のような四角いものです。

旦の甲骨文字(ウィキペディア「元旦」より)

白川静氏は四角について「雲じゃないか」と言っておられます(『字通』)。初日の出が雲海から上がってくるのは神秘的ですから、古代人がこっちを「旦」とするのはまだわからないではない。

AIコパイロットで出力した旦の初文「雲の上から出てくる初日の出」

トップ画像はAIコパイロットで出力した「古代中国の一月一日元旦」真ん中にいるのは道教の神で「混元老君」(老子のこと)だと思われます。許慎に敬意を評して。

詳しい人向けの注釈

上記はいろいろな人に見てもらいたいがために随分和らげて書いております。実際はもっと細かいのです。以下注記します。

注釈)元の漢字としての大本の意味は「始め」


段玉裁『説文解字注』によれば『爾雅』釈詁に既に見える解釈ということで、それが正しいとすれば解釈としては最も古い。人間の頭のことだから始めというのだそうである(『爾雅注疏』)。

注釈)許慎の誤った解釈について

池田秀三氏の論文『漢代の淮南学』によると、許慎はそもそも道家思想に傾倒しており道家の思想書『淮南子』の研究をしていたため、『説文解字』も道家思想や陰陽五行説が相当入っているという。陶方埼という人が調べたところ『説文解字』のうち220箇所も『淮南子』と共通しているという。白川静氏も同じ意見だという。それが『説文解字』の漢字の解釈を大いに歪めてしまった。
ちなみに許慎の学を継いだのは盧植であり、あの劉備の師匠である。劉備の字玄徳が『老子』に依拠するのは言うまでもない。

おまけに許慎は秦の始皇帝が文字を統一した後の篆書しか見ていないのである。更に言えば許慎の『説文解字』そのものは北宋の学者・徐鉉が遥か後世に復元したものである。中国は戦乱が多く、書物の消失や損傷も多いために古代からそのまま伝わった本は寥々たるものである。『説文解字』を頭から信じ込んで漢字を解釈することゆめゆめすることなかれ。『康煕字典』も誤りは多いが、まぁまとめサイトみたいなもので、説文解字以外の諸書を色々引用しているため、引用元まで遡ればさほどの危険性はない(と思う)。

なお、以下のページに説文解字の危険性について述べられている。
https://hccweb6.bai.ne.jp/~hgd17901/hirorinhp/1%20kanji/1%20ronkou/siryouhihann.html


いいなと思ったら応援しよう!