観客が2人のライブハウスでバイトをしていた時に感じたTokyo
初めてのnote投稿ということで、自己紹介代わりに私の人生の中で、おかしかった出来事ランキング上位にランクインするエピソードで勝負したいと思う。
大学1年生の夏、東京にある小さなライブハウスでバイトを始めた。
田舎の進学校から関東の大学に出てきた私は意識高い系の痛い大学生で、「せっかく東京の方に出てきたんだし、1年生のうちから色々と自分を高められることに挑戦してみないと!」などと息巻いていた。
そのバイトに応募することになったのも、意識高い系学生御用達の求人サービスで「エンタメメディアの編集インターン生募集!」みたいな感じで募集されていたからだったと記憶している。
大学生特有の自意識と、アイドル好きでエンタメの仕事とか面白そう!という浅はかな考えが織り交じった19歳なりたての私は、このバイトに応募した。
面接では大手広告代理店出身という噂の社長が少し固めのビジネスの話を語っていたのだが、途中から突然聞いた事のない地下アイドルの話になった。
当時乃木坂46loverだったが乃木坂46しか知らなかった私は、Tokyoには色々なアイドルがいるのだと知った。あれから5年以上経ったが、今でも乃木坂46は好きです。(そうか)
いざバイトが始まると、初日に教えられたのはケーブルの8の字巻きとライブ会場の椅子の出し方と音響のいじり方だった。この時点でエンタメメディアも編集インターンも存在しないことを悟った。
詳細はぼやかして書くが、その施設はライブハウスやそこでのイベント運営、それに付随する副次的な事業を収入源としていた。
演者は女性地下アイドルグループもいれば、メンズ地下アイドルもいれば、ミュージシャンもいればお笑い芸人の時もある、といったように非常に様々で、客層も演者によって全然違うカオスな空間だった。
タイトルで「観客2人」と書いたが、実際はピンキリで、1番人気のアイドルグループは休日のイベントだと80人近く動員していたこともあったと思う。
観客2人だった日は、おそらく小学校低学年くらいと見られる3人組の女子ジュニアアイドルのライブで、客席にピンクのカーディガンを首に巻いた黒縁メガネのプロデューサーっぽい男と、保護者の母親1人と、おじさんの観客が2人いた時のことだ。
これがTokyoか、と思った。恐怖と得体の知れない好奇心が同時に沸き起こってきた、とても刺激的な景色だった。
ここまでライブハウスの実情について散々と書いてきたが、一緒に仕事をした社員やバイトの皆さんはとてもいい人たちだったと思う。
スタッフは20代後半くらいが多く、みんな明るくて優しい人たちだった。
社員の方は普通に大学を出て就職した人もいれば、元バンドマンなど音楽関係者の人もいて、比率としては3:7くらいだった。バイトの人達は現役で音楽活動などをやっている人達で、実際にそのライブハウスでイベントをしていることもあった。
実際に現場で作業を教えてくれるのはバイトの人達のことが多かった。これまでの人生の中であまり出会ったことのないタイプの人たちだったし、向こうからしても田舎から出てきた音楽の事も何も知らない18.9歳の大学生だったのに、皆さんとても優しく接してくれた。
彼らは「タバコ吸いに行こ」のことを「タスコ、タスコ」と言っていて、バイトに入った初日から喫煙所に誘ってくれた。雑居ビルの喫煙所からは東京スカイツリーがよく見えて、初日に見た時のスカイツリーは紫だった。
私は未成年だったのでタバコは吸わなかったが(今でも吸わないが)、それでも関係なく、よく喫煙所で駄弁っていた。ちゃんとした年齢も分からないけど、多分35歳くらいのバンドマンと、28歳くらいのDJ?と思われる女性と、私。考えてみたら意味の分からない組み合わせだと思う。
話している内容の中身なんて何も無くて、音楽活動のことを聞く訳でも、夢を語り合う訳でも、プライベートを干渉する訳でもなかった。タバコを吸えと強制されたことも1度もなく、ただただダラダラとおしゃべりをしていた。
それが不思議と心地よかった。世の中には自分が思っているよりも様々な人がいて、彼らの話は理解できる時もできない時もあったけど、それでよかった。
分かり合うまで熱く語り合う必要も、理解しようと努力する必要もなくて、ただただそこに一緒に存在して、おしゃべりをしていて、それでいいのだ、と思えた。
昨今多様性が~ダイバーシティが~と言う議論が盛んになっているが、本当の多様性とはお互いに理解し合わなければならないと努力することではなくて、理解できてもできなくても、ただただそこに存在していることを認め合うことだと私は思う。
それから色々あって、私は数ヶ月でバイトを辞めることになった。当時はバイト自体初めてだったのでとんだぶっ飛びバイトだったなと思っていたのだが、今考えると、とても刺激的で面白い経験だったと思う。
コロナ渦で多くのライブハウスが潰れてしまっているというニュースを見て、もしかして潰れてしまったかなぁと気になって調べてみたら、どうやらまだ無事に営業しているようだった。
あの頃のスタッフや、演者で来ていたアイドルや観客たちがどこで何をしているのか、私には分からないし、別に分かろうともしていないけど、
多分この世界のどこかで生きていて、もしかしたら今日も東京の違う場所から紫のスカイツリーを見ているのかもしれない。それだけでいいのだ、と思う。
あの時共に過ごしていた時間は確かに存在していて、普段通り過ごしていたら出会わなかったであろう人達と、今でも薄ーく縁のようなもので繋がっているような、そんな気がする。
あれから5年くらいが経って、私にも私の人生があり、就職をして、また新しい環境の中で、日々発狂したくなるようなことや、自分が嫌になることが沢山あるが、
あの時のタバコの匂いと紫のスカイツリーを思い出すと、何故だか全てがどうにでもなるような気がして、どんな自分でも良いのだと認めてもらえるような気がして、救われるような気持ちになる。
あのカオスなライブハウスで過ごした時間が不思議と今も力をくれる時があって、そんな体験を忘れられなくて、私は今も東京にいて、こんな文章をインターネットの海に垂れ流し始めているのかも知れない。【完】
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