【小説】太陽のヴェーダ 先生が私に教えてくれたこと(35)
●螺旋の指輪
約束の日。
美咲は出勤日ではないが、沢村は仕事をしている。花火大会は十九時からの開催。図書館を閉館してから落ち合う手筈だ。
「俺のことは待たせていいから、ゆっくりおいで」と言われていたが、美咲は早めに身支度を整え、家を出た。
沢村が指定した場所には植え込みがたくさんあり、ふちに腰かけて待つことができた。待っている間も体に負担がかからないようにと、気を利かせてくれたに違いない。
「本当に沢村さんとなら、上手くやっていける……」
呼吸を整え、沢村を待つ。
人が多くなってきた。
打ち上げ時間が近付いている。
遠くで、ひらひらと揺れる手が見えた。
――沢村だ。
すぐに立ち上がり、一礼して待つ。
「ごめん、お待たせ。ちょっと閉館間際に手間取ってね。疲れてない?」
沢村が顔をほころばせる。
「大丈夫です。沢村さんもお疲れ様でした」
「じゃあ行こうか。もう少し行ったところに、座って花火見られる場所が――」
「沢村さん、あのっ」
沢村が歩きかけた足を止めた。
「お返事……今、いいですか」
ゆっくりと振り返った沢村は、少し困ったように口を歪めて笑っていた。
「これは、ダメなパターンかな?」
あくまで明るく言ってくれる。
それが沢村の優しさ。
「ごめんなさい、私――」
「無理言って嫌われちゃった、かな?」
美咲は強く首を振った。
「嫌ってなんかいません。沢村さんとのこと、真剣に考えました。――持病のこと、理解してくれて本当に嬉しかったです。仕事でも尊敬してました。きっと私、……好きになったと思います。このまま沢村さんを好きになれたら、きっと幸せになれるのにって。でも……」
「でも?」
目をそらすな。
うつむくな。
まっすぐ向き合え。
自分の気持ちをちゃんと沢村さんに伝えろ!
美咲は顔を上げ、まっすぐに沢村を見つめた。
「私には、好きな……人が、います。今はどうしても、その人のことを思い続けていたいんです」
泣くな。
沢村さんを傷つけている私が泣くな!
「そっか……」
沢村はハンカチを出して、美咲の目元をそっと拭った。
「……ごめんなさい」
本当に、沢村を好きになれたらと思う。
「その人も天野さんのこと、好きなの?」
美咲は精一杯、笑ってみせた。
「いいえ。その人にも、とっても大切な人がいるんです」
そっか、と沢村はため息をついた。
だがすぐに笑顔になって、
「なんだー、それ余計に残念だなー。それ知ってたらもっと強引に押したのにー」
いつものように明るく振る舞った。
「聞いてもいいかな」
「……はい」
「天野さんの思い人って、前に食べに行ったとき、君がお辞儀した人?」
瞬時に顔が赤らむのがわかった。
沢村の唇の端が歪む。
「……そうです」
「その指輪、その人から?」
「……はい。前に指が腫れて、元々私が持っていた指輪をだめにしたんです。そしたら抜けやすいようにって、この螺旋状の指輪を探してくれたんです」
「そっか。それも知ってたら、俺もとびきりすてきな螺旋の指輪を君に贈ったのになあ」
居たたまれなくて、やっぱりうつむいてしまう。
「君がお祈りで繋がっていた偉大な存在は、その人だったんだね」
「――はい」
「優しそうな人だったね」
「はい。優しくて、厳しくて、私を救ってくれた人です」
沢村は何も言わずに、一度だけうなずいた。
「その人、振り向いてくれるといいね」
それは、多分ないだろう。
言葉にはしないで、ただひたすらに笑顔を作る。
泣き顔にならないように。
「本当に、ありがとうございました」
深く、深くお辞儀をする。
「一つだけ、教えてあげるよ」
顔を上げた美咲に、沢村が言った。
「男が女の子に指輪をあげるってさ、適当な気持ちではできないと思うよ。男の人格が誠実であればあるほどね」
少なくとも俺はそう思う、と沢村が付け加えた。
「だから、頑張って」
もうこれ以上優しくされてはだめだ。
涙があふれようと順番待ちをしている。
美咲はもう一度、深く頭を下げた。
アスファルトに、順番待ちをしていた涙が我先にと落下してゆく。
「じゃ、またね」
いつもの沢村の笑顔に応えるべく、美咲はのどから声を振り絞った。
「はい……っ」
踵を返して走る。
もう振り返ってはいけない。
あとは自分で決めた道を、ただひたすらに進むだけなのだから。
――行こう。
「ばかですねって、先生言ってくれるかな」
息を切らせながら、美咲は走った。
あの丘をめざして。
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【小説】太陽のヴェーダ
どう見ても異常があるのに「異常なし」しか言わない医者たちに失望した美咲。悪化した美咲に手を差し伸べたのは、こうさか医院の若き院長、高坂雪洋…
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