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【小説】雪鬼女狩りの村(十一)鬼と成りて

あらすじ第一話

八年前は、死んでも良いと思ったこの命。
今は、こんなにも惜しい。

生きたい。
影親と、生きてゆきたい。

死にとうない……死にとうない……
死にとうない――

歯軋りして悔しがる。
それほどまでに惜しくなった、この命。

燐は火刑場でかつてのなつめと同じ状態にあった。体は杭に縛り付けられ身動きができない。着物の右胸の辺りは、大量の血で真っ赤に染められていた。

朦朧とする意識の中、必死で影親を探す。
影親、影親、影親……
――いた!
群集の中に、縄で縛られた影親がいた。
近くには三沢もいる。

「お前の雪鬼女が火炙りにされるのを、ここでじっくり眺めているが良い」

ついに本物の雪鬼女を捕らえたとあって、物見遊山のように浮かれている。影親の顔は痣や傷だらけで、頭も殴られたのか意識が定まらないようである。

燐はふさがれた口からうめくように声を漏らした。涙が出て、ぱたぱたとそれは落ちてゆく。落ちた先には薪が組まれていた。

脳裏に鮮明に浮かぶ、業火に焼かれた母なつめの最期。その姿が、己の姿と重なった。

私、死ぬの……?

ドクンと鼓動が高鳴った。
それでも、影親さえ無事でいてくれるならそれで良い。

影親……おっ母……
私、二人に会えて良かった。

「準備ができました!」

おっ母……
私のおっ母になってくれてありがとう。

影親……
初めて会ったとき、撃たれそうだった私を守ってくれてありがとう。

私を守ってくれる人がいてくれた。
それだけでどんなに心が救われたか。
約束、守れなくてごめんね……
ずっと一緒に歩んで生きたかった。
影親、どうか……死なないで……

「よし! 火をつけろぉ!」
びくっと無意識に体が震えた。
「やめろぉおおっ!」
影親が叫ぶ。
「今すぐこんなばかなことはやめろぉーっ!」
「黙れ!」
三沢が怒りをあらわに影親を蹴り飛ばす。

――やめて!

「早く火をつけんか! 雪鬼女を殺せ! この男も黙らせろ!」

自分の足元に松明が投げ込まれても、燐は影親を見ていた。縄で縛られ無抵抗の影親が、腹を蹴られ、顔を蹴られている。

それでもなんとか意識を保ち、両膝で立っているところへ、
「しぶといやつめ!」
背後から棒を振り上げる者がいた。

やめてえっ!

ふさがれた口では声も届かず、影親の頭へ、それは強く振り下ろされた。激しい衝撃を受けた影親の体は、ゆっくりとうつ伏せに倒れた。

燐の足元の火は、すでに大きく成長していた。
炎の舌と熱風が燐を襲う。
熱さでもはや、もがくこともできない。
そして影親の体も、動かなくなった。

影親……死なないで……
あなただけは、死なせない……

業火に包まれ、失いゆく意識と引き換えに、燐の胸の、深い、深いところで――何かが獣のような唸りを上げた。

「体が火に包まれたぞ。これで終わりだ。これで――あっ」

顔が、溶け始めている。
血のように真っ赤な口が裂けながら、にぃっと横に開かれた。

業火を身にまとった燐の目がゆらりと開く。
大きく見開かれ、眼球がぐるりと動き、村人たちを捕らえた。

体が凍てつくような冷たい目。
それはまさしく、雪の鬼――

村人たちから恐怖に震える悲鳴が上がる。と同時に、山の方から低い地鳴りがした。

「……なんの音だ?」
「見ろ! 雪鬼女の体が溶けていくぞ!」

炎に巻かれた体が足元から溶けるように崩れ、崩れ落ちるそばから雪煙となって勢いよく舞い上がる。

村人たちを食い入るように見つめていた眼もついに溶け落ち、燐の体は全て雪煙となった。

大地の雪に染みた燐の血も、雪煙に赤い筋となって混じり、勢い良く空へと昇って散った。

  *

「……見たか」
誰ともなくようやく言葉を発す。
「見た」
「なんとも……恐ろしい顔だった」
「死体が残らず、空に散った。あれこそまぎれもなく雪鬼女だ」
「そうだ雪の鬼だ。それにあの目……!」
「冷たく、禍々しい……。まるで呪いでもかけられたような」
「おい! 不吉なことを言うな!」

だがその「不吉なこと」はすぐ起こった。
さっき感じた地鳴りが、次第に大きくなった。

「まさか」
「雪崩かっ?」
「雪崩だ! まずいぞ!」

村人たちは悲鳴を上げ逃げ惑った。しかしどこへ逃げようとも、もう間に合わない。

「燐……」

影親は生きていた。
頭を殴られ朦朧とした意識ではあったが、影親は燐の最期をしかと見ていた。

「燐……っ」

お前を守りきれなかった。
俺がお前を、鬼にしてしまった。

「うぁああっ、助けてくれぇえ!」
「逃げろぉ! 雪崩だーっ!」

あたりの騒ぎとは相反して、影親は恐ろしいほど静寂した心で村人たちを見つめていた。

「死にたくねぇ! おら死にたくねぇよー!」

死にたくない、か……。今まで何人の娘たちが、そう叫びながら焼き殺されていったのだ。

「滑稽だな。なぁ、なつめ殿、燐……」

倒れた影親の体に、雪崩の足音が響いてきた。

「燐……」

遠のく意識、迫りくる雪の圧迫感。
残りの力を振り絞り、影親は体を起こした。
膝を擦って山の方へ体を向ける。
雪の大波がすぐそこまで迫っていた。

影親はその白い大波と対峙した。
すべてを受け入れるように。

燐、俺を……殺せ……!

そのとき。一陣の風が、雪と対峙する影親の前に吹きこんだ。風は真っ白な雪をはらんでいたが、その中に一筋、紅い雪が差していた。

牙をむいた雪の大波が襲ってくるその瞬間。影親は目の前に、真っ白な着物を着た、――燐を見た。

村人たちの逃げ惑う雄叫びは虚しく、雪と轟音にかき消された。

やがて、村は沈黙に包まれた。


次回
雪鬼女ゆきめ狩りの村 第十二話(最終話) 紅い雪


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