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【小説】短編集サクラサク(2/4) Eの改造
短編集サクラサク
2.Eの改造
今度の仕事は事務職。
期間は3ヶ月。
さて、職場はどんな感じかな。
担当部署での朝礼で、課長がよく通る声で私を紹介する。
「今日から配属になった川村景子さんだ。3ヶ月だけだが、みんな色々教えてあげて」
「川村です。今日からよろしくお願いします」
月並だけど一発目のあいさつというのは、やっぱり大事だと思う。明るい表情と、聞き取りやすい声。これだけでも意識すれば、直後のなじみ具合が格段に違うものだ。
あちらこちらから明るい声で、よろしく、と声が返ってくる。まずは良し。
「仕事はエリちゃんから教えてもらってね」
エリちゃん?
課長が指した方向を見る。
腰まであるストレートヘアー。
目鼻立ちが整って華やかな顔立ちの……三十代後半か四十いってるかくらいの、結構な美人さん。
「中島江梨子です……」
声ちっちゃ!
「じゃあエリちゃん、川村さんのことよろしくね」
「はい……」
一日観察しただけで、エリさんが少々浮いた存在であることは容易に読み取れた。
「あれ? エリちゃんさっきまでいたよね。どこに行った?」
課長が騒いでいる。
「あの、技術部に行くと言ってました」
――すっごい小さい声でね。
何か残念な人なのよね、エリさん。もったいない。せっかく美人なのに。あの小声では仕事を教わるのも苦労する。
「何だかなー。みんなにも聞こえるようにもっと大きい声で言ってけばいいのになあ!」
課長は逆に少々お声が高いようですが。
本人がいないところで大きな口を叩いたところで、いい方向に変わるわけがない。上がそんな風では、下の人間にも影響が出る。
定時後も同じ光景の繰り返し。
「何だ、エリちゃんはもう帰ったのか?」
課長がホワイトボードの一点を見てぼやいた。
ホワイトボードには職員名がズラズラと並び、エリさんのところには「退社」の印である黒丸のマグネットが置いてある。
「黙って帰っちゃうんだからなー」
いえ、「お先します」と言ってましたよ課長。すっごい小さい声で。
この部署、一見すると雰囲気は良さそうなんだけどなあ。たった三ヶ月とはいえ、私がここで仕事をする上で、この悪循環は非常に面倒臭い。
挟まれた私が苦労するに決まってる。
帰り支度をしている私に、前の席の残業中の女性――菅原さんが振り向いた。
「エリさんって……ねえ? 美人は美人なんだけど。『美人だから』っていうか……ねえ?」
ねえ、じゃねえ。
同意を求めるな。
この人は貴重な昼休み中にもこうやって愚痴ばかり言っていた。仕事の愚痴、職場の愚痴、同僚の愚痴。こういう女性はどこの会社にもいる。
逆に仕事が好きなんじゃないかと言いたくなる。
こういう愚痴にうっかり「そうなんですか」などと安易にうなずいてはいけない。
勝手に尾ひれをつけられ、「川村さんも言ってたわよ」とデマを流されたことがある。
「でもエリさん、すごく仕事ができる人だなって思いました」
肯定も否定もせず、中和に努める。
それに「仕事ができる」と思ったのは本当だ。何の質問を投げても全部打ち返してくる。
仕事ができるから、周りの人間が当てにする。
エリさんだけ下の名前で呼ばれているのは、多分そういうこと。
親しみを持ったふうに、媚びている。
当てにするから、いなくなると騒ぎ立てる。
良くも悪くも、エリさんは目立ってしまうのだ。
それに「美人だから」か、同性に好かれてはいない。同性に好かれてはいないエリさんだが、敵がいるわけでもなさそうだ。
例えば誰それの彼氏をエリさんが取ったとか、そういう決定的な話はない。
それなら、何とかなるかも知れない。
「ねえねえ、川村さんはずっとこういう短期の仕事ばっかりやってるの? まだ二十代だよね?」
短期長期に年齢は関係あるのか。
「前は正社員やってたこともありましたよ」
「そうなんだー。何で辞めたの? 不景気だから? 人間関係? あ、それとも健康上の理由とか?」
会ったばかりで人の過去を根掘り葉掘り聞くな。
「まあ、いろいろですよ」
正解は全部だ。
転職しようかと思っていたが、不景気だからと辞めずにダラダラ会社にしがみついていたら、人間関係の泥沼にはまって、血を吐いた。
胃に穴が空いていた。
以来、風通しは胃ではなく、私の心にこそ必要であると肝に銘じた。
それを踏まえて、今はあえて短期の仕事ばかりをハシゴしている。たとえ環境が悪くても、ほんの数ヶ月ガマンすればニッコリ笑ってトンズラできるから。
しかしいつどこで誰と再会するかわからないので、決してもめてはいけない。
もめてはいけないが、かといって黙って言いなりになるのも良くない。
だから変えなければならない。
この環境を。
エリさんを。
すべては私が健やかであるために。
翌日、早めに出社してエリさんを待ち構える。
部内には課長の他に五、六人。
――来た!
Eの改造作戦、開始である。
「おはようございま……」
今日も声小さい!
「あ、エリさん、おはようございまーす!」
わざと大きな声で言う。
これなら嫌でもみんな気付く。
エリさんがはにかんだ顔で、小声ながら「おはよう」と返してくれた。
「おー! エリちゃんおはよう!」
課長の声、相変わらずでかい。
おかげで他の人たちもエリさんに声をかけてくれた。
よしよし、朝の存在アピールは成功。これから毎日、出社時と退社時、こうやって存在アピール運動を実施する。
月並みだけど、一日の最初と最後のあいさつというのは大事なのだ。
次。
エリさんはもう少し砕けて見えた方がいい。
女友達がいなくて、男とばかり話しているイメージが定着している。
声が小さいから、たとえ仕事の話であっても、何か秘密めいた男女の囁きに見えるのだろう。
真偽はどうでもいい。
同性とも気さくにおしゃべりしている、親しい人がいる、というイメージを広めなければ。
というわけで、まずは私が親しくなる。
休憩時間、作戦開始。
「エリさん、エリさん」
少し体を寄せて話しかける。
エリさんもつられて顔を近付ける。
「髪切ろうと思うんですけど、どのくらいの長さだと私の顔、輝いて見えます?」
「輝いて」のところは、わざとらしくおどける。
プッと吹き出して、エリさんが小さな声で笑った。何だ、笑うと愛嬌があるじゃないか。これなら同性でも十分好かれるはず。
「そうね、川村さんだったら――」
相変わらず声は小さいが、表情は格段に良くなった。よしよし。
「エリさんはずっとこの髪型ですか? 顔小さいから短くしても似合いそうですよね」
「え、そ……そうかな……」
この、エリさんの「ほがらかキャンペーン」も、毎日マメに繰り出していく。
それから数週間後。
「あのね、川村さん。私も髪切ろうかなって思うんだけど……」
エリさんに嬉しい変化が現れた。
「いいですねー、イメチェン」
「その……どういうのが、いいかな……」
気恥ずかしそうにエリさんがうつむく。
トレードマークの長い髪を切る――
ここを逃してはいけない。
この前テレビ番組で紹介していた「男性が好きな女性のヘアスタイル」で、ロングは一番の不評だったのだ。
理由は「見た目が重い」「女性としてのアピールが強すぎてウザイ」と予想どおり。
そしてそれは、女性から見ても同じ印象を抱く。私も常々、エリさんの髪型を変えたいと思っていた。
「わー、ウキウキしちゃいますね。そうだなー、ショートも似合いそうだし……」
「あ、私、あまり短いとクリクリになっちゃうの。少しクセがあって……」
「だったらクセを活かして、ゆるふわにしたらいいですよ。長さ肩くらいにして。……ちょっと失礼しますね」
エリさんの腰まであるストレートヘアを肩の辺りで折り、イメージしてみる。
楽しそうにおしゃべりする私たちを、前の席の菅原さんがチラチラと見ている。
「あ、ほら、短いのいい! 似合いますってこれ。ね、菅原さん!」
急にふられた菅原さんが「えっ、あ、うん。そうだね、似合うよ」と慌てながら同意してくれた。
こういうのは巻き込んだもん勝ちだ。
愚痴なんかよりよっぽど健康的だし、菅原さんとも親しくなっておけば、私が辞めたあとも大丈夫だろう。
「そ……そうかな。じゃあ、切って……みようかな?」
照れくさそうに、でもとっても愛らしく、エリさんが笑った。
週末が明けて、月曜日。
エリさんの髪が、肩までのゆるふわになった。
「すっっっっごい似合うエリさん」
ほらみろやっぱり似合うじゃないか。
「よかった……、ありがと」
髪が軽くなって、エリさんの表情も明るい。
その日エリさんは社内の行く先々で、同性異性に関わらず、職員から声をかけられた。
もちろん、「その髪型似合ってるね」と。
*
――無事に3ヶ月間、健やかに勤め上げた。
送別会までしてくれた。
なかなか過ごしやすい環境になったし、エリさんも以前よりステキな女性になった。
Eの改造、成功。
今日からまた新しい職場。
この間までとは別の通勤路を、風を切って進む。
「川村さんっ」
雑踏にまぎれて、聞き覚えのある声――
「あっ、エリさん?」
ゆるふわヘアの通勤美人が、キラキラと光の粉を放って駆けてきた。
もう「美人」というより「美しい人」である。
それに大きな声を出せるようになって……
ちょっと感動する。
「エリさん、お元気ですか……っていうのもおかしいですけど」
ついこの間まで一緒だったわけだし。
うふふ、とエリさんが笑って、ゆるふわの髪を耳にかけた。
「あのね、この前の送別会で言いそびれちゃったんだけど……」
え、改まって何だろう。
「ありがとネ。いろいろと……きっかけくれて」
「え?」
「そのおかげで私、彼と――会社の人なんだけど、結婚することになったの」
「えぇーっ?」
なんと!
「えっと、おめでとうございます。……ビックリした」
エリさんが肩をすくめて照れ笑いをする。
「じゃあね、次の職場でも頑張って」
美しい人はまたキラキラと光の粉を放ち、手を振りながら去っていった。
……なんと。
Eの改造作戦、バレてたのか。
それに結婚って……。しかも職場恋愛……。全然気付かなかった。
「ま、いっか」
大成功じゃないか。
私までウキウキと気持ちが明るくなる。
「さて、次の職場はどんな感じかな」