一周忌の次の月命日
2ヶ月ほど前、母が
「一周忌すぎたら、あとは月命日にお墓行かなくてもいいかなって思うんだけど」
と相談してきた。
「いいと思うよ。一年間務めたし。お母さんがそういうふうに思えるってことは、気持ちの面でも区切りがついたんだろうし」
「んだよね、いいよね」
「いいよいいよ。――Nオバのアレは特別だから、あれは真似しなくていいよ」
Nオバというのは母の姉のことで、彼女は夫が亡くなったあと、よほど天候が悪くない限り月命日には必ずお墓へ行っていた。そのついでに、N家の親類のお墓も、掃除をし続けたのだという。
その期間、なんと10年。
「たまたま親類のお墓がオラィ(うち)のと並んでたからやったんだ」
と、大したことなさそうにNオバは言うが、12ヶ月×10年×数軒分のお墓掃除は決して簡単なことではないだろう。
「10年やったから、そろそろやめてもいいべが」
どうぞどうぞ。じゅうぶんです。
素晴らしいです。極楽行けます。
父の納骨のとき、「あんだも毎月掃除すんだ」と冗談っぽくNオバに言われて「えーっ」なんて思ってたが。まだ亡くなって一年も経たないうちは、月命日になると自然とお墓へ足が向く。
毎月手入れし続けたおかげで、石段や敷石にこびりついていたカナッこ(ヘドロが固まったようなもの)も取れて、きれいになった。
私と母の気持ちも、お墓掃除とともに落ち着いてゆく。
一周忌すぎたら月命日にはもう行かないようなことを言っていた母だが、結局は
「明日、月命日だからお墓行くけど。あんだはどうする?」
と当たり前のように尋ねてきた。
そして私も普通に、
「ああ、行く行く」
と返事していた。
考えてみたら、Nオバだって10年間毎月通ったのだ。10年間、きっと通わずにはいられなかったのだろう。
母も私も、まだたった一年だ。行きたいと思ったら行って、お線香上げてくればいい。それがそのときの「気持ち」なのだし、そうした方が、落ち着くのだから。
翌日。父の一周忌の次の月命日。
これまでと変わらず、母と二人でお墓へ。
先にお線香を焚いて、香りを楽しみながらお墓掃除をするのが母の流儀。
先月までは、さほど草は伸びていなかった。でも今回はカマを持参。伸びてきた草を刈り取っておく。
掃除を済ませ、お菓子を供え、すぐ下ろす。クマを呼び寄せてしまうから、食べ物はすべて持ち帰るのがここのルール。
下ろしたお菓子を二人でモグモグ食べながら、景色を眺める。うちのお墓は墓地の山頂部分にあるから、そこからの眺めはとても良い。
広い空。
山と田畑に覆われた大地。
一筋の道路を、時々車が走っていく。
自然と人工物のバランスは、このくらいがちょうどいい。
ふと何かが動いたような気がして目を向けると、墓地の底部のエリアを、悠々とカモシカが歩いていた。
こちらに気づいたらしく、カモシカがしばらくこちらを見上げていた。食べ物がないからか、ゆっくりと墓地内を歩き、そのまま去って行った。
クマじゃなくて良かった。
お菓子も食べ終わり、持ってきた掃除道具と、お焼香セットが入ったカゴバッグを持つ。
「じゃあね、また来るねー」
「またねー」
祖父母と父に、明るく別れを告げる。
きっとまた私たちは、月命日に来るのだろうな。