映画「運び屋」を見て
映画「運び屋」を見た。
「90歳」のお爺ちゃんアールが麻薬の運び屋としてお金儲けを始めるというストーリー。
アールは若い頃から家庭を顧みず、仕事に奔走する日々だった。
物語終盤でアールは、「家での居場所がなく、また、外で認められることの方が大事だと思っていた。」と語っている。
そんなアールは、長距離ドライバーとして仕事をする中で、違反切符を切られた事はなかった。
娘の結婚パーティーに来た男性から声をかけられ、
高額報酬の運び屋として働かないかと誘いを受ける。
自身が運んでいるのが麻薬だと気づいた後も
アールは長い道のりをトラック運び続けた。
捜査の手が迫る中、それでも運転を続けるアールだったが、運転中に離婚した妻(お婆ちゃん)が病に倒れたという知らせを受ける。
ギャングに命を狙われることを知りながら、最期は妻を見届けたいと家に帰るのだ。
「来てくれて嬉しい」病床に伏せながら妻はそう言った。
この映画のテーマとして、「仕事よりも家庭を第一優先にすべき」ということを伝えたかったのだと思う。
しかし、別の見方もあると思う。
アール最初、妻やその娘、孫娘との関係は最悪だったが、物語中盤で少しずつその関係が良くなっていく。
これまで娘の卒業式や結婚式まで行かなかった彼が、運び屋の仕事で稼いだ大金で、
孫娘の結婚パーティーや大学のお金を工面した。
また、家の外でも現役軍人が経営するカフェが火事になった事を知り、修理費用を出してあげたのだ。
これにより、家庭でも外でも、人に認められていく。
ここから理解できるのは、人のためにお金を使うことで人との関係を修復することが可能ということだ。
お金よりも時間が大事とよく言うが、
家庭との時間だけがあっても、アールは家庭で認められることは無かっただろう。
少し極端だが、お金を稼いで、家族のために、人のために使ってこそ、それらの人のために時間を使うことができるという褒美がある気がする。
麻薬取引は違法なのでやらないが、
人のために使えるお金を稼ぐことを、私もやっていきたいと思う。