ちょっとモヤっとした話
先日まで東京カメラ部写真展で写真を展示いただいたのですが、あるお客さんが私の写真を見ながらこんな質問をしてきました。
これどこ?
レンズ何ミリ?
F値は?
ISOは?
シャッター速度は?
何月なの?
ふーん、あっそう。
それだけ聞いて行ってしまった。
全部答えたけど、心の中がモヤモヤっとして
もうちょい、作品に対して関心を持ってもらいたかったなと。
でも、そんな質問をしてきたのはその人だけ。
逆に作品に関心を持って声掛けしてくださった方が大勢いらっしゃった。
「絵本の童話の世界のように思えました」
「寒そうなんだけど、なぜか心が温かくなります」
「この山はなんていう名前ですか?すごく印象的に残ります」
「どうしてここを撮ろうと思ったのですか」
「ちっぽけに写ってる列車が、自然の雄大さを感じさせますね」
「この写真を撮るためにどれくらい通ったんですか」
「なぜかわからないけど、あまりの凄さに鳥肌が立ちました」
「この会場の中でこの作品が一番好きです」
写真1枚の裏には奥深いエピソードがあります。
写真一枚一枚に、撮影者の魂が宿ると思っています。
少なくとも、私は「見た人に何かを伝える」を写真に込めています。それを感じ取った方は、後者のような質問をしてくれているのでしょう。
苦労したから良い写真とは言いません。
条件が揃うまで何度も通い、数年越しでようやく理想の作品として撮ることができた。そんなことは見る人にとって関係ないことです。それを押し付けることはしたくない。それによって写真の評価が変わることは望んでいません。
でも、これまで16年間に数十万枚もの写真を撮り続け、その積み重ねの上に今の写真がある。私の過ごしてきた生い立ちや人生もこの写真に乗っている。
言葉にはしなくとも、それを感じ取ってくれる人がいる。なんと嬉しいことでしょうか。
私は気に入った写真を見たときにこんなことを聴きたくなります。
「どんな思いでこの写真を撮ったのですか?」
「この写真で見た人に何を伝えたいですか?」
私の知る素晴らしい写真を撮る方々は、この質問に対してしっかり答えてくれます。それは作品に対する思いがきちんとあるから答えられるのでしょう。年齢や経験に関係なく、そういう受け答えができる人を尊敬しています。
「コモディティ化」というキーワードに押しつぶされそうになっても、この質問に答えられる人は残っていけるのだと思っています。
ちなみに、私は設定値を聞かれることは全く問題ないです。それだけじゃなくて、もうちょっと写真の話をしようよ。というスタンスです。
と、まぁグダグダ書きましたが、「写真を見てくださった皆さんのおかげで楽しかったです!」とお伝えしてこの長ったらしい文章を終わりにしたいと思います。