3か月で退職して
6月末に退職して再びの療養生活に戻りました。3か月は短すぎると思うけど、これからの人生目標を達成するための最低限の期間でもありました。
得るものは得て、反省すべきことは反省し、この経験を次に繋げたいです。
今回学んだことのうち1つは、職場との事前相談の正確性です。
採用面接で人事が「出していいよ」と言ってくれた医師の意見書が、現場で全く採用されないなんて…予想していませんでした。こんな事ってあっていいんですか?
職位や賃金に見合う働きができないと、相手も全力で働かせようとしてくるんだなぁ。そんなの、採用決定した部長に言ってくれって話です。面接だけで採用するからこうなるわけよ。
自分でもノルマをどこまで達成できるか不安でしたし、部長の「2年で状態を整えてくれ」という言葉を信じて就職したものの、管理職が求める初月のノルマ量と自分がこのくらい提供できたらいいかなと思った成果が、大きく解離しているとは思っていませんでした。
達成できなかった理由は、下記のように薬の服用量が適切でなかったことと思われました。
もう1つは、抗てんかん薬の薬物療法を確立しておくべきで、てんかん専門医に診てもらうべきでした。
主治医は「働くことに問題はない」と言ってくれたから応募したのですが、基本的な治療方針は「発作が起きたら薬を増量する」というものでした。後で分かったことですが「就職に向けて念のために」と増量した薬の服用量が排泄量を超えていたみたいで、脳に薬が蓄積して体調不良に繋がっていたように推察されます(あまりここを突っ込むなと別の医師に注意を受けたので、控えめに書きます)。
発作や副作用の可能性を、脳波検査や血中濃度などのデータで示してもらって、根拠に基づいて処方量を調整してもらわないと、患者としては納得できないです。
経緯を振り返ると、今の主治医は脳神経外科医で手術はできるけど、てんかん専門ではない。状態検査の提案は一度も無かった。
これでは次に進めないと思って、てんかん専門医がチームで診てくれる病院への転院を相談したところ、オッケーを貰ったところです。(「治療内容に不満がある」ではなく、「自宅から近いから」という理由で相談しました)
また、他にも誘われていた就職先に相談したものの、僕は責任ある仕事をすることが難しく、先方も現状での受け入れは難しいということです。当面は治療方針の確立を優先して、障がい者雇用枠で経験を積むなど、次に向かう準備に専念したいです。
波乱万丈の人生ですが、それはそれで楽しんでいくしかない感じです。
(ヘッダー画像は、もう一度行きたいフィレンツェの街並み@イタリア, 2011年12月27日撮影)