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消費と味わい
いつも歌っているBARのカウンターにて、とても熱心に「箱」について語っている方がいた。
その男性はあらゆる商品の箱を作る会社を経営されていて、箱が好き過ぎて仕事になっているという、とても素敵な感性の方だった。
例えば高級ブランドの香水の入った箱の沈み具合と空気の抜け具合、紙と印刷の拘り、ありとあらゆる箱についての情報が僕の耳に飛び込んできた。
思えば「箱」について思いを巡らせてた事は今までなかった。
靴を買っても、財布を買っても、その中身ばかりに目が行って捨てる事が殆どである。なんて視野が狭かったのだろうか。
そこで僕は「箱を見れない人間」はとても寂しいと思うようになった。
以前こんな話を聞いたことがある。
例えば先輩が後輩を連れてお店にやって来る。
その先輩はそのお店の人が好きで、そのお店の雰囲気を味わって貰いたいから連れて来たとする。
しかし後輩はその先輩に気に入られたい事しか頭にないので、肝心の店には目が届かない。
そこで先輩の想いを汲み取るならば、お店を全力で楽しむ事である。
これが「視野」であり、空気を読む事であるという話だ。
「箱」を眺める事はそれと同じだと思う。
ただ消費するだけでなく、その物の味わいや拘りを感じられる人間に僕はなりたい。
消費だけじゃないのが人間味であり、食べ物でも表現でも何でも「味わい」を感じたいものである。
大量に物が消費され捨てられる中で、そんな風に考える事はとても素敵な事ではないですかね。
そんな人間になれるように、そんな人達と一緒に過ごせるように
僕は明日から箱を眺める。
きっと明日は良い天気!