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あの時行動していなかったらどうなっていたか

定年まで同じ会社で働くモチベーションが失せた

2017年秋。

私が約9年間勤めていた会社を辞めて、フリーランスITエンジニアとして働き始めた時期です。

妻子持ち(子供2人)、住宅ローンもまだまだ残っている状況で、おまけに40を過ぎた会社員エンジニアが、フリーランスとして新たな仕事を始めるのは、普通に考えるとなかなか勇気の要る決断だったと思います。
(自分の事ながら)

しかも、当時の私はシステム開発の業務からは遠ざかっていた時期でした。
設計、実装、テストといった現場の開発業務に携わっていたのは30代半ばくらいまでだったと記憶しています。

フリーランスに転身する直前は、既存の社内システムの保守運用業務がメインとなっていました。自分で選択した訳ではないのですが、当時の私は心身の不調が原因で休職を2度経験した後だったこともあり、しばらくリハビリのような形で上述のような業務しか回ってこなかったのです。

そうは言っても、複数の社内システムの保守なんて、控えめに言っても「クソつまんねえ仕事」でしたよ。そもそもが他部署から「早期退職で人が居なくなって保守をやる人間が居なくなった」と、半ば強引に押し付けられた仕事でしたからね。

ただ、同世代の社員も開発案件を担当していたものの、年齢的に客先との調整役やスケジュール管理、要員管理がメインとなっておりました。
エンジニアであっても、正社員となると年齢が上がるにつれ、マネジメント業務にシフトさせられていくのは他業種とそう変わりません。

おまけに、給与もこの時点ですでに頭打ちの状態でした。
(この会社は年功序列ではありません)
基本給を上げるには、昇格試験にパスする以外に方法はなく、そのための重要なスキルは開発技術よりもプロジェクト管理技術でした。

この時点で確信していたことがあります。
自分は、マネジメントではなく現場のシステム開発業務がやりたいのだという事と、今の会社で定年まで働き続けるモチベーションはもう無いのだという事です。

もはや、自分の気持ちに嘘をついて定年までごまかし続けることは不可能に思えました。行動を起こすしか道は無いと腹をくくりました。
ここで、子供の教育や住宅ローンの事を言い訳にして自分の気持ちに蓋をする人って沢山いると思うんですが、この時私は「そんなん絶対無理」って思ってしまったんですね。

43歳でフリーランスITエンジニアという選択

こうして、2017年秋からフリーランスとして新たなスタートを切るわけですが、転職活動を始めたのが2016年冬だったので、フリーランスになるまでは約10か月の期間を要した事になります。

最初のうちは、普通に別の会社に転職するつもりでしたが、偶然にも今お世話になっているエージェント企業の事を転職活動中に知ることができました。今思えばラッキーだったと思います。

すぐに北海道の担当者とコンタクトを取り、エンジニア登録を済ませました。その後は案件が見つかるまでは半年ほど要しました。後日談ですが、たまたま欠員が出た案件が私に回ってきたらしく、それが無ければもっと時間がかかっていたかもしれません。
人生、「運」も必要なんですね。

実際、フリーランスになってから大変な事は多かったと思います。
そもそも現場の開発業務から遠ざかっていた中年エンジニアが、再びシステム開発の現場に戻るのって、普通に考えてしんどいです。
技術トレンドも若い頃と比べてすっかり変わっていましたし。

40歳を過ぎて、新しい事を勉強し直すのは苦痛に感じる人も多いはず。
ですが、私の場合は、勉強自体が嫌いではなかったのが幸いでした。

また、常駐先の社員は年下のほうが多く、しかも私より優秀な社員も多かったのです。もはや自分の年齢にこだわっている暇などありません。
年齢は関係なく、自分より仕事の出来る人を参考に、ひたすら勉強をしていた1年目でした。

一方で、収入は確実に会社員時代の月給を超えていきました。
前職では月給がそう高くはなかったのですが、ボーナスが比較的高給でした。しかし、毎年ボーナスの額が不安定な為、将来設計がしづらかったです。

毎年ボーナス時期に額を知るまでやきもきしていましたね。精神衛生上は良くないですよ。

かたや、フリーランスの場合ボーナスなどありませんが、自分の仕事を認めてもらえれば単価は上がります。自分はエージェントに報酬の交渉は任せきりでしたが、順調に単価は上がっていきましたね。
ろくに給与も上がらない会社員時代は何だったのかと思いましたよ。

もし行動せず前職にとどまっていたらと思うと

プライベートな話ですが、今年の春から、上の子は高校生になりました。
想像以上に高校生はお金がかかります。
公立高校は実質無償化であるものの、私立高校なので満額無償化とはいかず、また部活動での出費もバカになりません。

「いくらフリーランスになって収入が上がっても、支出もどんどん増えて楽にならないよ。。。」と思っていましたが、ふと気が付いたのです。

結局あのまま以前の会社のまま仕事を続けていたら、一体どうなっていたのか。。。

当時の状況からして、2年経過してもおそらく私の給与は変わっていなかったと想像できました。下手をすると、単身赴任で東京に飛ばされていたかもしれません。給与は上がらず、さらに家族と離れて単身赴任を余儀なくされていたら、今頃どうなっていたことやら。

現在上の子が通う私立高校にも、もしかしたら通わせられなかったかもしれませんね。私自身も単身赴任先でヤケになっていたかも。

あの時、フリーランスITエンジニアとして再スタートする決意し、行動を起こしていなければ、今の自分と経済的余裕と家族との生活も無かったことでしょう。
そう思うと、ゾッとしますね。

当たり前だが「行動」するから状況が変えられる

見切り発車」って言葉が、日本人にはすごくネガティブなイメージを持たれていると感じますが、実際何かを変えようとしたら、準備にばかり時間をかけていてもどうしようもありません。

結局、どこかで行動に移さなければ、ただの自己満足で終わります。
どんな人であっても、行動に移す際には程度の違いこそあれ、ほとんどの方が「見切り発車」になるのは当然なのです。

会社員の頃にうんざりするほど聞かされた「PDCAサイクル」ですが、何をやるにもPCDAはどうしても必要になると思います。
ただ、同時に思うのは、日本人はたいてい「Plan(計画)」で終わるんです。「Do(行動)」までいかないんです。
そのあとの「Check(評価)」と「Action(改善)」なんてまずたどり着きません。

ある程度の計画が出来たら、あまり時間を置かずに行動に移せばいいんです。
すると、行動してみることで新たに「気づき」があるものなんです。
実は、計画して行動すると、自然にCheck(評価)まではいけるんですよ。

自然に気づいたことをどうやって改善できるか考えてまた行動に移す。
こうすることで、自然にPDCAサイクルは回ります。

まずは「見切り発車」で、とりあえずP→Dまで行くクセをつけましょう。
自転車の最初の漕ぎ出しと同じだと思ってください。
一度漕ぎ出せば、あとは惰性で進みます。
最初のひと漕ぎは力がいりますが、そのあとは最初のひと漕ぎに比べればらくになるはずです。

以上、「行動」しておいて本当に良かったなあ、というお話でした。


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