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しぐれうい5周年とは何だったのか(中篇/アルバム)
前回まとめ
・しぐれういの構造は、上から現実の人間→作者→Vtuber→キャラクターの四層構造だが、5周年では黒髪ういという新たな存在が生まれた
・黒髪ういはメタキャラクターであり、しぐれうい(Vtuber・キャラクター)を描き、生み出した存在として設定されているようだ(では彼女は誰なのか? という考察はこれから行う)
・しぐれうい5周年は「なぜしぐれういは平凡な女の子を愛しながらも正反対のVtuberのようなポップを志向するようになったのか」という問いに答える作品である
5周年施策の分析・レビュー(承前)
ここからはアルバムとライブに焦点を移すが、その前に黒髪ういに対する新たな仮説を立てておきたい。
僕の仮説はより一歩踏みこんで「黒髪ういは(正確には)しぐれういとは違う、別の女の子である」というものだ。
つまり、彼女はどこか遠い(作家しぐれういの中の)世界で作家しぐれういに創造され、そこでスケッチブックにあの姿形の「しぐれうい」を描いてデザインした、どこにでもいるような、名もない高校生の女の子なのだ。
よって彼女は作家しぐれういのアバターではない。
これが5周年最大のトリックであり、ミスリードなのだ。
彼女は自分を素材にキャラクターの姿を創造したのかもしれない。しかし本人の名前が「しぐれうい」なのかは不明なので、ゆえに今後は「黒髪の女の子」と呼んでいこう。
ではなぜそうなるのか?
その観点から、アルバムとMVを語っていく。
3.アルバム『fiction』
しぐれういのセカンドアルバム。前作『まだ雨はやまない』は約半数がカバー曲だったが、今回は全曲オリジナル楽曲となっている。前作との違いについて彼女は以下のように語っている。
(前略)そもそも1stアルバム(2022年5月リリースの「まだ雨はやまない」)のときも「“イラストレーターがアルバムを出す”ってなったら、あまりにも変で面白いな」と思ってお引き受けしたんですよ。ただ、その中でけっこう私にとって学びがありまして。曲を通じて何かを伝える、絵とは違う手段で何かを表現することに大きな魅力を感じたんです。なので2ndアルバムは“1つの作品として人に見せる”という目的で作らせていただきました。
──つまり、1stアルバムとは少し意味合いが違うということですよね。“やってみた感”の強かった前作に対して、今作はもうちょっと“音楽の表現者として何ができるか”にフォーカスしたものになっている。
そう見えてたらうれしいんですけどね。
また5周年から少々を脇道に逸れるが、彼女の音楽的アプローチとしては、同インタビューの以下のような発言が参考になる。
たぶん自分自身が音楽的なスキルを持ち合わせていないので、「イラストレーターかつVtuberのしぐれういがやるからこそ意味のある歌にしたい」とはずっと思っていて。たぶん、そこなんじゃないですかね。
──その意識は明確にあるんですね。
ありますね。やっぱり素人がやるからには素人がやる意味というものを見出せなければいけないですし、そうでないとちゃんとやってる人たちにも失礼ですから。
作詞は全曲しぐれういでないが、打ち合わせたのか作詞者が深く解釈できたのか、彼女のステートメントとして聴くことができるようになっている。
この作品のコンセプトについてもっとも詳しく語っているのはナタリーとVtuberスタイルのインタビューである。以後、適宜この二つを中心に引用する(歌詞とともに著作権上の問題があれば対応します)
この作品が『fiction』というタイトルである理由。それについて彼女は以下のように語る。
これは完全に、「Vtuberしぐれうい」としてのCDアルバムを作ろうと思ったので。「Vtuberしぐれういは、完全にフィクションですよ」っていうのを、言いたくて。
(略)
「みなさんの生きている世界には実在しない、インターネットのキャラクターですよ」っていうのを言い切るようなCDにしたくて、『fiction』 という名前を付けました。
また、コンセプトの話はあまりしていないが、各楽曲のレコーディングについては配信で詳しく説明しているので、音楽的な興味のある方はそちらも要チェック。
個人的には、作家しぐれういの最高傑作の一つ。2024年の年間ベストでさえあると思う。また「アルバムを通して自分の存在を再定義する」という試みは、Vtuberがリリースしたアルバムとしても大きな意味性を帯びている。
本人も手ごたえがあったようだ。
みんなアルバム聴いてくれた? すごくない? 名盤だよね。自分でいうのもアレだけど。ベスト盤みたいな。しぐれういの中でもめちゃくちゃいい曲集めましたみたいな。すごいアルバムになってるよね。
今作の曲順はおおまかに「イラストレーターしぐれうい」と「Vtuberしぐれうい」の曲が交互に登場する、と彼女は語っている(ナタリー)。僕の考察では完全に守られているわけではないと思うのだが、やはり基本的にはそうなっている。また、両方のペルソナで歌い方を分けているという試みも行っている。
実はキャラクターのしぐれういの楽曲とイラストレーターしぐれういの楽曲があり、歌い方を意識的に変えました。
キャラクターソングを愛するという作家らしい、演技性・虚構性への拘りが感じられる。
前置きが長くなり過ぎたのでアルバムの解説に移ろう。
ジャケット
水たまりに映る逆さまのしぐれうい。前回書いたように、これは画集の表紙と対照的になっている。Vtuberのアルバムでキャラクターが逆さまになっているのは非常に目を惹く。このアルバムが"作品"であることを強烈に主張している。
初回限定盤ではケース・プラ板二枚、CDの盤面、歌詞カードの表紙の四段でひとつの絵になるように非常に凝ったデザインがされている。フィジカルにも強い拘りを持つ彼女の信念がデザイン制作者にも届いているようだ。
1.ハッピーヒプノシズム
この曲は歌詞がめっちゃいい。ぜひ私が一曲目に選んだ理由とかね、考えながら歌詞見てくれたらいいなって思います。
アルバムのオープニングナンバーかつ、ライブでも冒頭に披露された楽曲。彼女のVtuberとしての姿勢、それに対する態度、ひいてはこのアルバムと企画全体の要約にまでなっている。
作詞作曲は堀江晶太。個人的には美少女ゲームのテーマソングの印象が大きいが、この楽曲もそれらと同様にバンドサウンドで、メロディーセンスも彼らしい。ピアノも入っているが絶妙なバランスのミックスで過剰に主張していないのも好感触だ。
ちなみにドラムはヒトリエのゆうまおが担当。余談だが、しぐれういは彼を10年前から知っていた(配信のコメンタリーより)。
歌詞は本人の言葉どおり、ある種の前説、作品の前提の説明となっており、同時に彼女がVtuberという文化への批評的姿勢を歌ったものとなっている(ね、の連呼の最後ではちょっとトーンを上げて語り掛けるようになっており、かわいい)
楽しいね、ね、ね、ね、ね、ね?
これから錯覚しようよ
(略)
そういうことにしといて
大げさにしないで
深読みばかりは疲れちゃうのさ
あなたはどう
楽しい錯覚、とVtuberを呼ぶのは彼女らしい。配信でも頻繁に語っているが「Vtuberは最高に楽しいコンテンツであり、そこでネガティブな感情を使うのは損」という主張を裏付けるものとなっている。残念なことに誹謗中傷、大きな対立や分断、過剰な商業化など、物議を醸す複雑な感情もまた生み続けるこの文化を、それでも「楽しい」と屈託なく評する彼女の純粋さは、ときに歪に思えるほど眩しい。それが理想論であったとしても、理想は存在していてほしいのだから。
アルバムとしては、「イラストレーター・作家」しぐれういが歌った楽曲だと思われる。その証拠になりそうな「あいしてやまない」との関連については当該曲で解説する。
2.うい麦畑でつかまえて
3D配信でお披露目され、MVも制作された。このアルバムでのシングル曲のようなポジションか。
作詞作曲はナナホシ管弦楽団。ロックテイストの印象が強いが近年ではVtuberの楽曲で著名。しぐれういはその前から依頼していたようで、彼女のボーカロイド趣味が伺える。
楽曲も隠し味的にギターソロなどが交えられているが基本的には「粛聖!! ロリ神レクイエム☆」を連想させる中毒性の高い電波ソングである。
タイトルはサリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』(村上春樹訳では『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)のパロディー。歌詞中にも"キャッチャー・イン・ザ・うい"という英語タイトルの捩りが登場する。
この曲は「Vtuberしぐれういのキャラクターソング」である。
(前略)わたしはVtuberだからいいんですけど、たぶんこれ、本当の人間…生身の人間が歌ってたら、ちょっとキツめの歌詞にはなると思うんです(笑)キャラクターだから許されてるような。
歌詞中にも、「~が?」などの口癖(本人はイメージほど言っていないと主張するが)、有名な発言、パスタ、後光、求婚、ママという愛称、マシュマロノック等の配信のネタを大量に取り入れており、遊び心とリスナーへのサービスに溢れている。
また歌詞中に「ういビーム」の縦読みが(二つも!)入っていることで有名。これについては作曲者が密かに入れた小ネタであり、しぐれうい本人は指摘されるまで知らなかった。
リスナーに向けた楽曲であるにもかかわらず、冒頭から衝撃的な"I hate you"で始まる。
うい、夢に見るよ 新婚旅行
そっかそれなら 空き缶はお前らだね
しっかりくくるね
キラーフレーズである。
しかし「お友達」とガチ恋を拒絶する一方で、なんやかんやでリスナーを大事に思っているという歌詞も作詞者は忘れなかったのがニクい。
嫌になっちゃうぐらい
伝えきれないから引き続き
凸凹コンビネーションで
so YES / NOならどーなの?
NO 成仏してくださーい!
ダメじゃん。
「はい次」というマシュマロを飛ばす有名な台詞で次の曲に移る。
3.ひっひっふー
曲目発表時にタイトルで話題を呼んだ楽曲。
作詞作曲はじん。本人も初らしい、ガチのラップナンバー。これは同じくマルチクリエイターの彼が作家として共鳴した結果自分の殻を破ろうとして"なってしまった"事故的な一曲だという(ナタリー、ぶいあーる! 等)
このような音楽に詳しくないので評価が難しいが、バックトラックはギターのカッティングなども入り、非常に凝っている。
本人は歌うのが非常に難しかったそうで、特にライムに合いの手を入れるのに非常に苦労したそうだが、憶えてなんとかなったようで、完成した楽曲は遜色ない出来になっている。ライブでは披露されなかったが、本人はいつか生バンドで演奏するのもやってみたいと意欲を示している(5周年振り返り配信)。
制作中だったと思われるVtuberスタイルでは、試行錯誤が伺える。
これは、私もまだ作曲者さんからお渡ししてもらったばかりの曲なので、あんまり意図を深くお伺いできていないタイミングなんですけれども。たぶん、「イラストレーターのしぐれういと、Vtuberのしぐれういが、向かい合って語り合ってる」みたいな構図の曲だと思います。
(略)
互いに認め合いつつも、お互い譲れないところもあるよね、みたいな。
「ラップバトルのよう」と評する歌詞は混沌としており、完成した楽曲は二人が語り合っていると考えにくい。しかしお互いに自身を挑発するような歌詞もある。
いやぁ のんべんだらりでやってねぇんすわ
鉄火場でシノギ削ってますか
タラタラしてっと落っちゃうぜ My way
「人間に恵まれている」と常々語る彼女らしいリリックもある。
多少のbusyで得るのは$? The 円?
は二の次で乞う「奇縁」
どちらのペルソナで歌っているのか歌詞や声から判別しづらい。両方、と解釈する。
4.微炭酸SWIMMER
作詞作曲はQ-Mhz。畑亜貴や田淵智也を擁するチームである。アニソンを愛するしぐれういにとっては夢のような布陣だろう。
内容も台詞調(かわいい)の瞬間はあるものの基本はアニメのOP風のポップナンバー。
タイトルのとおり「闇鍋的」なアルバムの清涼剤のようになっている。
アルバムのコンセプトにはあまり合っていないかもしれないが、こういった曲が入っているのもいいと思う。名盤には一曲箸休めが必要だ(謎の持論)
楽しい楽しいって 毎日元気に過ごそう
もしかして それが遠回りでも最速かも
(略)
想像ではできないことないよ さあ自由になっちゃえ
いつでもハッピーな彼女を具現化したような曲。
コンセプト的には誰の曲なのか悩むところ。歌い方からするとVtuberだろうか?
5.Paint It delight!!
作詞は松井洋平、作曲は睦月周平。台詞の多い演劇、ドラマCD調の一曲。これもそんな文化で育っている彼女らしいかもしれない。
語りの一番目は作家(ひいては現実に近い)しぐれういの日常を歌ったようなもので、二番目はVtuberになってからの変化を語っている。
「二次元に生まれなおした"わたし"を通して、いろんな人と繋がって、
ゲームをするのも歌ってみるのもお喋りするのも絵を描くことも
喜んで欲しい誰かと作る物語になったみたい、これってすごいことだよね?」
(略)
「そんなエンタメ、どうですか?」配信中
私はもともとデザインやエンタメを学んでいたところからイラストレーターになっているので、ずっと「人を楽しませるには」という思想が根底にあるんですよ。
(略)
──自分すらも作品の一部だ、みたいな感覚?
そうですそうです。
「しぐれういはエンタメ」と定義する彼女のエンタメ観がよく表現されている。
「きてくれてありがと~」配信中!
自分が言わなそうなこととして本人がネタにしていた。
要約すると、作家しぐれういがVtuberしぐれういに変化する経過を歌ったアルバムでは珍しい曲。
6.二人模様
落ち着いたジャジーな一曲。作詞作曲はMIMI。しぐれういのリサーチでは「この曲がいちばん人気が高い」(コメンタリー)。
一見ちょっと地味だが結構重要な楽曲だと思っていて、僕の解釈では、これは「イラストレーターしぐれういがVtuberしぐれういを想っている曲」である。
そしてそれが「あいしてやまない」との対比になっているのだが……こちらは後に譲ろう。
ぎゅって抱きしめて
嗚呼 ぎゅって抱き締めていてよ
もうバイバイなんて言わないで
背中合わせの鼓動 I Love u
"u"とは"UI"のことだろうか。
彼女が「愛している」という表現を使うほど作品としてVtuberしぐれういを大事に思っている、と同時に離れてしまうのが怖いという、依存的な性格が皆無な彼女にしては珍しい感情を歌っているように聴こえ、新鮮だ。
(前略)しかもその“愛”が聴いている人に対してじゃなくて、自分の作品や自分への愛だったりするのがちょっとイラストレーターっぽいなと我ながら思います。
7.ういこうせん
タイトルはういビーム……に見せかけて、「お前ら天国行くぞ!」の歌い出しで分かるように小林多喜二『蟹工船』のパロディー。
作詞はにゃるら、作曲はAiobahn。昨今すっかり売れっ子となってしまった二人。しぐれういのインターネット偏愛・(この文化全体にもある)平成リバイバル的な側面を強調している。偶然かは定かではないが「U.N.オーエンは彼女なのか?」の引用めいたメロディーもある(彼女のルーツの中では目立たないが東方も当然通っている)。こちらは本人も指摘済。
U.N.オーエンはしぐれういなのか
— しぐれうい🌂 (@ui_shig) September 11, 2024
曲調はまさに平成っぽいレトロ(?)さで、Aiobahnそのものと言っていいだろう。
歌詞は「うい麦」に続きリスナーに言及した二曲目で、毎日働くリスナーがしぐれういの配信に救済されるというもの。それと『蟹工船』から取り入れた船のイメージを導入している。
労働を続けていても
つらいだけ それじゃヤダもう
いまだけはここに居てもいいよ
(略)
ボクたち毎日働く
少女を夢見て輝く
ボタンを押したら極楽
踊れば天国
また歌詞カードには書かれていないが間奏では「うい! 好き! ラブ!」のコールもあり、ライブに向いていそう。今回はやらなかったが「INTERNET OVERDOSE」をカバーしていたのでこちらも今後はやるかもしれない。
しぐれういをインターネットエンジェル的に解釈するにゃるらの十八番のような楽曲。彼女にはリスナーとの共依存的関係が薄いので、こちらに関しては賛否あると思うし、少々オーバープロデュースだったのでは感もあるが、違った一面を引き出す面白い試みでもあったかもしれない。
当然コンセプト的には100パーセントVtuberしぐれういの曲である。
8.あいしてやまない
作詞作曲は活動範囲が広すぎるのと新曲で人々を動揺させることでおなじみのDeco*27。コンプティークで対談したり応援イラストを描いたり、しぐれういと縁の深いボカロPである。
彼のイメージとは裏腹にしぐれういに病みロック的な要素は皆無……ではどんな曲になっているかというと、なんと彼女が何者かを全肯定するという変化球のような曲になっている。
心配だけは誰にも負けない
君がつらいのは私もきっつい
伝えたいことはたくさんあるけど
君の平和を願っています
そういう面が皆無ではないと思いつつ、これがあの「うい麦」と同じしぐれういなのか……という衝撃があるが、これは(残念ながら)リスナーではなく「虚構のキャラクターのVtuberしぐれういが自分を生んだ作家のしぐれういを励ます」という大変エモな歌になっている、と解釈した。
その根拠はこの歌詞である。
泣いてるの? ねえどっちなの
まあどっちでも側にいるよ
ここで連想されるのが、「ハッピーヒプノシズム」のこの部分である。単体で聴くと唐突でちょっと違和感がある。
例えば 今 わたしは泣いてない
いたずら好きな 天気のせいでしょう
僕は先ほどこの楽曲を「作家しぐれういの歌」と解釈した。だとしたら、「あいしてやまない」はその返歌になっている、と考えるのはどうか?
作詞者が違うためこのような仕掛けが実現できるのかは不明で、スケジュール的にも完全に偶然かもしれないが、お互い示し合わせたか、片方が合わせたという可能性はなくはないと思う。Deco*27ならなんかやりそう。
本当にそうなのかは定かではないが、そう考えてみるとより感動する一曲になるのは間違いない。
また仮説に従うなら、Vtuberが作家を応援するという構図は「二人模様」とも対になった曲かもしれない。
もしかしたら作家しぐれういはイメージほど強くないのかもしれない。嫌なことも悲しいことも疲れることもあるかもしれない。プロの作家として活動することにそれがまったくないとは思えないし、そもそも彼女も(作家としては)人間である以上、ネガティブな感情からは完璧には逃げられないだろう。しかし、そんなとき自分が創作したキャラクターに救われるというのは、なんというか、すごく美しい。
でも、もちろんこの楽曲からリスナーが元気をもらってもいいと思う。解釈は自由!
9.勝手に生きましょ
アルバムのクロージングトラック。
作詞作曲はいよわ。満を持しての登場である。
もともと二人の作風は相性がいいと思うのだが(虚構性、キャラクターへの拘り、メタ等)、この楽曲は非常に完成度が高く、音楽的にもいよわの最高傑作のひとつではないかとさえ感じられる。
しぐれういの生き方・価値観を象徴したような曲名のこの楽曲。
まず耳を惹くのが曲中ずっと続くコーラス。すべてしぐれうい本人が別録りして重ねられており、ほとんど止まることがない。いよわの特徴のひとつだが、その中でも最大級に技巧的な楽曲のひとつだろう。彼のトリッキーな面は見られず、最高のメロディーの重ね合わせで勝負している。
そしてリズムもいよわお得意のシャッフル風。しかしまったりはしておらず、途中で加速して高揚感を上げるのも怠らない。さらに最終盤ではコーラスから突如として世界が開け新たに創造されたかのような転調まで待ち構え、ポップソングとして完璧としか言いようがない。感嘆すらつきたくなる一曲である。
それらすべてが相まって曲はウォール・オブ・サウンドの如き圧倒的な全肯定感を体現している。それは「あいしてやまない」とはまた違う、人智を超えた巨大な何かからの愛や祝福のようなもの。多くの芸術家が求めてやまない、永遠を閉じこめたような四分間。歴史上数少ない天才だけが達したその世界。
それを彼女は手にした。
【💿#しぐれうい2ndアルバム #fiction】
— umusicjapan (@umusicjapan) September 10, 2024
🎈発売日まであと1日!🎈
「勝手に生きましょ」の作詞/作曲/編曲をしていただいた #いよわ さんより、コメントを頂戴しました🎵
ご予約💿 https://t.co/QWqQ2prmQWhttps://t.co/dqgmvdK2Uw#しぐれうい5thPJ pic.twitter.com/m6aycrf25y
そしてこのコーラスは、しぐれういたちのデュエットでもある。
(前略)なのでその曲は、「わたし」が同時に歌うタイミングがあって。まるでイラストレーターとVtuberの「しぐれうい」が2人でデュエットしているかのような……そういうタイミングがある、すごい素敵な曲ですね。
ここまで(ほぼ)交互に登場したイラストレーターとVtuberのしぐれうい。その両者が最後に歌い合い、アルバムが終了する。
単体でも素晴らしいが、アルバムのクロージングとしてもコンセプトを徹底した、感動的な結末だ。そしてそれを歌いこなすしぐれういの歌手としての成長も刻まれている。
ライブでは本篇ラストで披露され、出演した「ぶいあーる!」でも今年を代表する楽曲として彼女が選んだ。5周年の象徴であり、しぐれういにとって唯一無二の、特別な一曲。
雨が降ったって(口笛吹いて)
勝手に生きましょ(雲が切れたら)
博物館へ(手作りのチケットで)
肩の荷を置いて
なおこの楽曲にはいよわが手掛けたMVが存在するが、こちらの内容は後述する。
アルバムまとめ
アルバムを要約すると、
A.作家・イラストレーターの歌
B.Vtuberの歌
C.両方
があり、それらが「A→B→C→B→C→A→B→B→C」とほぼ被らず繰り返し登場する。
もちろんこの分析は恣意的なものだが、確かにほとんど本人の発言どおりになっているといえる。
全体として非常に挑戦的で、かつメタ的である。「作家とVtuberの名前が同じ」という自身の特異な存在を作品に現わし、再定義するというきわめてコンセプチュアルな一作である。音楽的にも聴きどころが多く、同時にリスナーも楽しめ、作品として優れているという、まさに非のうちどころのない一枚。本人さえもその真価に完全には気づいていないのではないかといえるほどの名盤といって間違いないだろう。
「勝手に生きましょ」MV、そして黒髪の女の子
「勝手に生きましょ」のMVには、二人の人物が登場する。キャラクターの姿のしぐれういと、黒髪で制服姿の女の子。
映像はちょっとしたストーリー仕立てとなっており、一番で絵を描く黒髪の女の子が、二番で額の内側に視点が移りしぐれういが登場。終盤で二人が同じ傘を手に落下し、最後に黒髪の女の子がしぐれういに描いていたスケッチブックを渡し、しぐれういが笑顔を見せてMVは終了する。
このラストの解釈については過去にツイートしてめちゃくちゃバズってしまったのだが、ライブのネタバレになってしまうためこの時点では触れないでおく。
代わりに先に問うのは「この女の子は誰か?」という問題だ。
前回書いたように、僕は彼女を「作家しぐれういのアバターではない」と考える。では誰か。これも言ったように、誰でもない、平凡な女の子である。
誤解しかねないのが、二人の髪型や背格好が似ていることと、眼の色が同じであること。
しかし、これまでの作家性を考えて、作家としての彼女は自分を女子高生の女の子として描くだろうか?
そうは考えにくい、と思う。
詳細は避けるが、このアルバムを除くと、作家としての彼女は一度だけ、配信中に意図して現れたことがある。一度きりである。
そこまで自分を見せようとしない作家が簡単に自分のアバターを描くだろうか?
そうも考えにくい、と思う。
僕の知るかぎり、作家は一言も「これは自分のアバターです」と言っていない。
ゆえにこれはミスリードではないか。
僕はこれを「同じしぐれういだから」ではなく「黒髪の女の子が自分をモデルに作ったキャラクターだから」と解釈する。
想像してほしい。
クラスの片隅で、ある女の子が絵を描いている。そのスケッチブックには彼女と似た、同じ目の、しかし髪の色と形の違う女の子。そのキャラクターは、我々には「しぐれうい」と呼ばれている。
しぐれういは、明るく、楽観的で、物怖じせず、多くの人と仲が良く、超がつくほどオタクで、ちょっと意地悪だが可愛らしい女の子だ。でも、きっと彼女は絵の中のキャラクターとは正反対の性格なのかもしれない。だからこそ、自分と違う自分を作りたかったのかもしれない。
そんな女の子が、ある日そのキャラクターと出会う――そんな魔法。
このMVはそれを描いた映像ではないか。
(だからややこしいのだが、「勝手に生きましょ」でデュエットしているのは黒髪の女の子ではない。作家のしぐれういである、と解釈する)
では、この設定は何のために導入されたのか?
前回の「垂直な解答」、しぐれういの各層を貫くメタ作品として問いに答えるのに必要だからだ。
しぐれういはなぜ平凡な女の子が好きなのに、Vtuberを描き、自身もVtuberとして活動しているのか?
答えは、
その平凡な女の子が創造したのが、Vtuber、そしてキャラクターのしぐれういだったから。
知らないうちから知ってた
彼女の中に、既に彼女はいたのだ。
そして、ライブの幕が上がる。
長くなりすぎた
当初はこの記事を後編にするつもりでしたが、アルバムへの思い入れから文章量が増えすぎ、このままライブの話を書くと可読性が低すぎるので、分割します。
次はいよいよ最大の鬼門であるライブ。
ちょっとこれは今年中には書けないかもしれないですが、気長に書いていきます。