OpenMusic公式マニュアル 日本語版PDF 公開にあたって
この度、「OpenMusic公式マニュアル 日本語版PDF」を公開することにした。本マニュアルは2012~2013にコツコツ翻訳した、個人使用を目的としたものである。何故これを10年の時を経た今になって公開する気になったかをここに記したい。
1つ目の理由は、「やさしい現代音楽の作曲法[註1]」という書籍が発売され、OpenMusicの存在、及びその利用方法が(簡易的なものではあるにせよ)明るみになった点。
つまり、翻訳当時、私にとっての秘伝のタレ的存在であった(といっても、海外留学組や一部の音大のゼミでは知れ渡っていたのではあろうが)この技術が、書籍が出た事で一般にも知られるようになり門外不出にする理由が無くなってしまったのである。非常に意地汚い話であるが、まさに若気の至りである。
2つ目の理由。音楽とオカルティズムの関係性について心底ウンザリしたため。もう論拠を提示するのも面倒臭く[註3]、適当に思いついたまま書くのだが、
・西洋音階のスケールに収まる7音が、天地創造の7日や光のプリズムである7色に紐づく
とか、
・黄道12宮が12音に紐づく
とか、
・ピアノの88鍵盤が88星座に対応する
とか、
・循環(繰り返し)が円を意味し、それが惑星の起動と紐づく
とか、
・円は完全を意味し、また、円の軌跡上の地点Aはα(始点)であり、Ω(終点)にもなりえて、それはつまり黙示録的にはキリストを意味している(もしくはウロボロスの輪)
とか、
・一つの小さなモチーフを繰り返しながら展開してゆく様が非常に呪術的である
とか、
・特に繰り返しの最たるものであるセリエリズムはオカルトそのものである
とか、
・ピッチクラスセットによる集合とか群論による音の操作も、ピュタゴラス教団の数秘術やユダヤ教(カバラ)のゲマトリア的である
(この記事で紹介されている技法は、ゲマトリアまんまである)
とか、
・スクリャービンの共感覚による各音への色付けも神智学由来である
(これは有名だが)
とか、
・音(周波数)という概念自体が、新興宗教/スピリチュアルな方々の「波動」という概念に(こちらはその気がないのに)結び付いてしまう
などなど、言い出したらキリがない。
作曲を生業にできるぐらいの階級の思想なんぞ、最終的に聖書か新プラトン主義に帰結するので、当然といえば当然である[註4]。文系は前者、理系は後者に寄っていく、というか、寄せられてしまう。自分の意志とか関係なしに、どちらかに巻き取られる。
もはや普通に考えると、何を言っているのだ?と鼻で笑われるレベルかもしれない[註5]が、魔術史、古典哲学史を調べれば普通にわかることだ[註6]。
その為、OpenMusicに関しても「オカルト宇宙製造機」という目でしか見れなくなってしまった。プログラム(科学)で数字を駆使するわけだから、上述の通りピュタゴラス教団や新プラトン主義を想起してしまう。「もはや私の手には負えない」「なんか気持ち悪い」というのが正直なところであり、このマニュアルも手放したくなってしまったのだ。
最後の3つ目の理由。漫画『チ。-地球の運動について-』に感化された為。これは2つ目の理由と直結する。ネタバレになるので詳しくは述べないが、本作では主人公たちが当時異端であった地動説を命を懸けて次世代に託していくのだが、私はこの「託す」という考え方に非常に共感してしまった。つまり、手に負えなくなってしまったOpenMusicを次世代の作曲家に託したい、そう思ったのである。
このツールをどのように使うかは君たちに託されている。何も考えずに自分の音楽のためだけに使用するのが良いとは思うが、とはいえ、自身が(自分の意図とは異なっていたとしても)オカルト的行為を行っているという意識も、どこか心の片隅に置いといてもらえると嬉しい。
さて、前置きが長くなった。問題のマニュアルである。冒頭で述べた通り、2012~2013にコツコツ翻訳したものである。当時の翻訳ポリシーは「直訳」。もっと言うと「英検4級は余計なこと(意訳)しない」である。なお翻訳自体は、Google翻訳とエキサイト翻訳に基づいている(今ならDeepLがある為、より優れた翻訳ができたのであろうが)。
「マニュアルを丸々ページ翻訳すれば良いじゃん。要らねえよ。」と思うかもしれないが、ページ翻訳と、私が行った1文づつコピペして行う翻訳では、当時精度が段違いであった。そういう意味では今の時代でもまだこのマニュアルは役立つであろうと思っている。PDFであるから、プリントもしやすいだろう。
とはいえ、しおりの「ローカルディスク」の表記が邪魔だったり、既知の誤植もたんまりある。そして、AudioScliptに関する章の翻訳は省略してある。が、もうAdobeCloudの契約もとっくに切れているし、修正の手段もないのである。
また、勝手に翻訳して配布してよいのか?という問題についてであるが、こちらについては1つ目の理由で紹介した書籍「やさしい現代音楽の作曲法[註1]」の中で、「IRCAMに書籍で紹介する旨の許可申請メールを送ったら、『そんなん要らないのに』と回答が来た」というようなことが書かれていた気がするので、おそらく大丈夫であろう。
特に見返りなども求めてはいないが、このマニュアルを見てOpenMusicが使えるようになり、CDもリリースできるようになった!とかあれば、SpecialThanksに名前書いてもらえると嬉しい笑
では、託す。
[註1]http://j-gendai.co.jp/2200/2243.html
[註2]2023年2月時点
[註3]とはいえ、ある程度のヒントは提示しておこう。ボエティウス『哲学の慰め』、キルヒャー『普遍音楽』、アウグスティヌス『音楽論』。最近のだとジェイムズ『天球の音楽』あたりか。ただし、私が列挙した例がそのまま載っているわけではない。
[註4]超偏見。なお、この思想の話はまんま現代のグローバルエリート達にも通じている。
[註5]ただし、一つの物事に対し意味は後付けで多重に含ませることが出来る点は口を酸っぱくして主張したい。あなたが「いや、それ違うし」と思ったところで関係ない。そして、後付けの理由で複数の物事に相互関係を持たせ、がんじがらめにして動けなくしてしまう事を西洋人は調和と言うのである。
[註6]ひょっとすると、大学レベルの音楽史をやれば常識なのかもしれない。ともすれば、音楽史に詳しい偉い方々はこの「音楽=オカルト問題」にどのように向き合っておられるのだろう。