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友達観について。

僕は友達作りにトラウマがあります。今、友達いる?って訊かれたら正直どう答えていいかわからない。何をもって友達というのだろうかという問いが頭の中で真っ先に出てくるんです。
大学に入学して数週間、正直友達なのか?と思いながら毎日同じ子と一緒に行動してます。合わせてるわけでもないし、合わせてもらってるわけでもなく。だから、釣り合ってないんだと思う。それに気づいてるのは自分だけ。周りから見てもそうなんだろうけど、その子は気づいてないのではないかと思う。というか僕自身がそう思いたいだけなのかもしれない。
ここで、高校時代のトラウマに話を戻します。
僕は同じ中学校出身の子がほぼいない高校を受検し、進学しました。正直、そこの高校は自称進学校と呼ばれるところで、ほとんどが大学進学を目指す高校。そんな中、高校一年生の春入学してすぐ友達という存在ができたと思ったんです。その考えに間違いはないとも思いました。でも、数週間過ぎたある日、それまで毎日のようにお昼ご飯を一緒に食べて談笑して、楽しかったのに、気がついたらお昼休みに僕以外のクラスの男子がいなくなっていました。それは僕以外の男子で食堂に行っていたから。そこで気がつきました。仲間外れにされてる、と。あぁ、自分は必死にその友達と思っていた人にしがみついていたんだなぁと。自分が仲間外れにされたことに対して悲しいと思う気持ちよりも、固執していた自分が気色悪いという気持ちが大きかったように思います。それからというものの、その友達と思っていた人とは口も聞かなくなり、他のクラスメイトからも罵られたり陰口を言われる始末。本当に苦しかった。
今、このタイミングでこの話を打ち明けたのは、ちょうどこの時期にあった出来事だから。確かに高校生の頃はどうしてもその友達と仲良くしたくて、知らない話めっちゃ必死に調べて合わせてしてきた。それが気持ち悪かったのかそもそも自分とは合わなかったのかなんなのか正直わからないけど、仲間外れにされたことが自分を拒否されたように感じたんだよね。
今、大学で一緒に行動をしてる人も自分を拒否するんじゃないか、本当は自分のことが嫌いなんじゃないか。とかいろんな思いがあって毎日会うことが怖くなって、まともに話せてないと思うんだよね。自分の意見を言ってひかれたらどうしようとか、もう頭の中訳わかんない。大学生っていろんなコミュニティがあるからこそ広い世界なのかもしれないけど、日常的なコミュニティってやや狭く感じる。だからそこで孤立したくないし、誰でもいいわけではないと思ってる。だから、その人と今の関係が崩れるのが怖いし、崩れたところでどうにもできないことも知ってるから。ひとりぼっちでも楽しく生きる覚悟はできてます。
自分が遊びに誘ってばっかりだなぁて気づく瞬間ほど嫌な時はないです。

でもね、今日大学行ったら普通に接することができたし何に悩んでいたかもわからないくらい普通。気にしすぎなんだろうね。自分の中には友達とはこうだっていう固定観念があるんだろうね。

正直なところ友達がいなくても僕はひとりで十分楽しく生きてくことができるんですけど、できることなら友達がいた方が楽しいですね^_^
我儘な僕ですけど、なんとかなるんですかね

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