#4「正しさよりも・・・ 」レスリング向田真優
水面に石が投げ込まれ、波紋が広がる。波紋は広がるとやがて消えていき、水面はまた新たな石を待つ。
五輪を前にコーチと選手が恋愛関係となり、週刊誌にスクープされた。別れることはせずにコーチは日本代表を離れ、選手は共に拠点としていた大学を離れた。その「選択」をめぐる2人の物語。皆さんはどう感じただろうか。
共感できた人も、そうでなかった人もいるだろう。理解できない、いや自分はできる。制作するなかでもそれはあった。
気持ちはわかるけど、もう少しこうできなかったのか。いつしか自分に置き換えて、好きなことを言ってしまうこともあった。自分だったらこうするのに、もっとうまくやればよかったんじゃないか。まるで試合を見ている無責任な観客のように。
自分を棚に上げて、評論家のように語る。だめだよそんなんじゃ、もっとこうしないと。ほら言ったじゃないか。
少し我に返って心にとめた。これは2人の人生の物語なのだ。1回きりの彼らの人生なのだと。彼らをジャッジすることはやめようと考えた。
理解して、伝える。もう少し丁寧に言うと取材対象の行動の意味を理解して、見る人が共感できるよう伝える。そんな風に考えてドキュメンタリーを作ることが多い。でもどこか傲慢さも宿る。
人はそんなに理路整然と行動するのか。あるいは正しさだけに向かって行動するのか。いい結果には結びつかないとわかっていても、そうしてしまう、せざるを得ない。そんなこともあるんじゃないかと。
思い出す詩があった。谷川俊太郎の「嵐のあと」。
引用する。
競技シーンはほとんどないドキュメンタリーとなった。2人はその時々の思いをまっすぐに語る。
決して言葉が達者なわけではない。だからこそ2人の心の叫びのようにも聞こえる。なんで?なんで?と。
2人はひとつの結論に達する。
「どんなことがあっても、2人で金メダルを取る」
それは何かを諦めるより、もっと厳しい道かもしれない。
恋愛かオリンピックか、その狭間で悩むアスリートとコーチ。そんなテーマさえいつか「え、そんなことで悩んでいたの?」と振り返るときがくるかもしれない。そうであってほしい。
波立っていなかった水面に、彼らが石となり生まれた波紋。そこに善悪はない。彼らはそう生きようと決めただけだ。
同じような番組であればと考えた。決してスマートではないけれど、何か波紋のようなものを与えられればと。
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