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スポーツ✖️ヒューマン「僕はエースの一歩を踏み出す 鍵山優真」に寄せて
フィギュアスケーターの物語は、ドライブシーンで始まった。
一人暮らしを始めたという若者はちょっと得意げに車を乗りこなす。ありがちと言えば、ありがちなスタート。かと思いきや、車は駐車場に入る。
「苦手なんですよ」とヒヤヒヤしながら、バックで車を入れる緊張した面持ち。世界の脚光を浴びて舞うスケート選手とは思えない。愛すべき若者の名は鍵山優真。いいドキュメンタリーが見られるかもな、そんな気持ちになる。
スポーツ✖️ヒューマンで取り上げるのは3回目となる鍵山。その初回の番組の制作に関わり、文章を書いたのが4年前。自分が取材したわけではなかったが、番組で関わったアスリートはその後もどこか気になる。
北京五輪で銀メダルを獲得。その後、羽生結弦に続いて宇野昌磨も引退し、来年の五輪はエースとして臨むという。
成長過程でメダルを掴み、充実した時期にエースとして2度目の五輪に向かうということ。それは、アスリートとしては「持っている」ということになるのか。それとも、大きなプレッシャーに苦しむことになるのか。それが気になっていた。
番組は後者、プレッシャーと向き合う鍵山の姿を描いていく。と思っていた。しかし、番組が進むともうひとつのテーマが立ち上がっていく。それは親子の物語。もっと言えば「父・正和」の物語だ。
「解決できることは、自分で」
番組のサムネールにもなっている言葉、それは鍵山優真の言葉ではない。
父が息子に投げかけた言葉だ。父親でありコーチでもある父・正和。だから、投げかける言葉はその両面を併せ持っている。
「失敗してもいいから思い切ってやらなきゃ」
「トーだけで飛んじゃってるぞ」
父の言葉は、短く簡潔。何よりも、絶妙な距離感で発せられる。もう一歩踏み込んだら、もう少し言い過ぎたら2人の関係にヒビが入る。その数ミリ手前で踏みとどまる言葉の選び方。
優真は、その言葉を時に背を向けて、時には向き合って聞く。息子も父との距離感に神経を配っていることが伝わってくる。
冒頭の言葉は、そんな2人の関係の中で父親から発せられた言葉。本編では、その前後も合わせて伝えられる。編集なしで伝えられた言葉は簡潔だけど、いつにない迫力があった。それまで、ストイックに距離を保ってきた父が、「一歩踏み込んだ」ようにも聞こえた。
「技術的なことではないんだけど、私生活においても1人でいる時間を必ず作りなさい。1人でいろいろ考えて、1人で消化して次の日につなげるようにしないと。自分で解決できることは、自分で解決しないとダメ。人に頼りっぱなしではダメだよ。厳しい言い方をするようだけど、すごく大事なことだから」
明確に語られはしなかったが、父が何か「具体的なこと」を意識して話していることが伝わってくる。誰か、何かを頼りすぎるなと。自分自身ともっと徹底的に向き合えと。
その言葉がきっかけかはわからないけれど、後半は鬼気迫る優真の練習が描かれる。父親が心配してしまうほど。あるいは優真は考えていたのかもしれない。父の想像を超えてみせると。
親離れ、がテーマの番組ではない。
親子の信頼関係をベースに、新たな関係を結びなおそうとする物語だ。
親と子の年齢の差。例えば、鍵山親子なら32歳。その年齢の差は永遠に変わらない。しかし息子が急速に成長を続けていく時、その関係はまた速いスピードで変わっていく。
そこにはきっと大きな喜びと、少しの寂しさがあるだろうことが想像できる。自分の親や子を想像しながら見た人も多いのではないか。
そして気付く。
鍵となったあの言葉にはもうひとつの思いが隠されていることに。
「自分で解決できることは、自分で解決しないとダメ」
そこに隠されている思いは、きっとこういうこと。
一人きりで解決できない問題なら、決して一人きりにはしない、と。
素敵な親子のドキュメンタリーを見た。